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Tennisnakama in New York 世界にテニスの輪を広げたいと願っています。元レポーターのTennisnakamaが、ホットな情報やめずらしい話を、ニューヨークからどんどんお届けします。自由にリンクしてください。(記事はすべて〓tennisnakama.comとなっておりますので、無断掲載はご遠慮ください)

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さようなら!

いよいよ2010年も終わりです。そして今日でこのブログも更新が最後となります!

何となく思いつくまま書き始めたブログでしたが、早くも2年の月日が経ちました。多くのテニスファンの方たちと交流するすることができ楽しい2年間でした。心からお礼を申し上げます。

さて中断していたtennisnakama.comですが、やっと立ち上げることができました。これからはこのサイトで「めずらしいビデオ特集」「投票」「カウントダウン」など、いろいろトライしていきたいと思っています。またコメントを自由に残していただくこともできるようになりました。

それではtennisnakama.comで皆様にお目にかかれることを楽しみにしています。

2010年が皆様にとってすばらしい年となりますよう

A Happy New Year!




(追記)
テニス365さんには大変お世話になりました。ありがとうございました。ブログは閉鎖せず継続させていただきますのでよろしくお願いいたします。













投稿者 Tennisnakama  21:24 | コメント(0) | トラックバック(0)

伝説のパトリック・ラフターに聞く!(3)

読者の皆さんから質問をあおり、元No.1のパトリック・ラフター Patrick Rafterのインタービューが、オーストラリアの tennisassist.com の Michael Maidens氏(写真左)のご好意で実現しました。インタービューを担当したのは元プロのPeter Tramacchi氏(写真右)です。このインタービューは連載していきます。(12月24日、26日掲載)

サーヴ&ヴォレーの練習の仕方とアプローチショット

Q:幾人かの日本のテニスファンからの質問です。サーヴ&ヴォレーの選手になるために、ジュニアのときにどのようなトレーニングが必要でしょうか?

ラフター:実際にサーヴ&ヴォレーをやってみること。特にフットワークのドリルが大切。そしてビデオを見ること。ステファン・エドバーグがどのようなステップを行っているのか、またいかに瞬時のパワーでスプリットステップを行っているのか、何度もサーヴ&ヴォレーの選手のビデオを見て学ぶことが有効だ。

Q:ラフター選手のビデオも有効ですよね。

ラフター:たぶんね。僕はできるだけジュニアのモデルになれたらと願っているから。でもエドバーグのフットワークはベストなのでぜひ彼のビデオをみて真似てほしい。

(続く)tennisnakama.comにリンク

投稿者 Tennisnakama  01:07 | コメント(0) | トラックバック(0)

伝説のパトリック・ラフターに聞く!(2)

12月24日の記事で紹介したインタービューの連載です。このラフターのインタービューは、オーストラリアの tennisassist.com の Michael Maidens氏(写真左)のご好意で実現しました。インタービューを担当したのは元プロのPeter Tramacchi氏(写真右)です。

rafterinterviewsmall



今日はtakeyamaさんの質問に答えてもらいました。

インタービュー(2)

Q: takeyamaからの質問です。コーチのアドヴァイスで最も記憶に残るのは何ですか?

ラフター:テニスのキャリアのなかで多くのコーチについたので昔のことはよく覚えていないけれど、 Bob Carmichaelの言葉をよく覚えている。

(続く)


新しくtennisnakama.comを立ち上げましので、今年一杯でテニス365は閉鎖します。(アーカイヴが読めるようにブログ自体はキープしておきます)今までできなかった多くの楽しいことを取り入れていきたいと思っていますので、来年も引っ越し先でよろしくお願いします。


投稿者 Tennisnakama  01:46 | コメント(0) | トラックバック(0)

チーズフォンデュをビデオで

寒いですね。いよいよ本格的な冬の到来です。そこでちょっとスイスのアルプスに行った気分でチーズフォンデュをつくってみませんか? 上級になるといろいろ加えていきますが、今日はチーズフォンデュの基本をビデオでお届けします。

鍋は日本の土鍋でもかまいません。以下の材料をそろえて5分で出来上がり。簡単でおいしくて最高の冬料理です。以下は3人4人用のレシピです。

キスの罰則
パンにフォークを刺してチーズにからめますが、そのときにパンをチーズの中に落としてしまうと、隣の人にキスをするという罰則があります。魅力的な人の隣にすわった場合、パンを落としたりすると下心がみえみえですのでご用心のほどを。

(続く)

投稿者 Tennisnakama  08:02 | コメント(0) | トラックバック(0)

伝説のパトリック・ラフターに聞く!(1)

元No.1のパトリック・ラフター Patrick Rafter に質問に答えてもらいました!

このインタービューは tennisassist.com の協力で行われたものです。Michael Maidensと私はネットの仲間で、前回のジョン・ニューカムや元フェデラーのコーチのトニー・ローチにも質問に答えてもらったことがあります。

今回のインタービュー相手はシニアツアーに復帰して、年末のロンドンのAegon Mastersで宿敵ステファン・エドヴァーグと決勝で戦って優勝してしまった、往年のスーパースター選手、パトリック・ラフターです。このラフターとエドバーグは今やすたれてしまったサーヴ&ヴォレーの代表的選手。現役中は0勝3敗でどうしても勝てなかったエドバーグをやっとシニアで打倒することができ、ラフターの来年の活躍が期待されます。(嬉しいことにこのツアーのシリーズはテニスチャンネルで観ることができるのです)

rafterinterview



写真:Michael Maidens(左) Pat Rafter(中央)Peter Tramacchi(右)



(続く)

投稿者 Tennisnakama  00:16 | コメント(0) | トラックバック(0)

最新フェデラー・ファミリーフォト

フェデラーのfacebookに今日ファミリーフォトが掲載されました。ホリデイ・グリーティングとしてファンにHappy Holidays!となかなかしゃれています。写真をとったのはすっかり腕をあげたロジャーのパパです。

それにしてもお人形のようにかわいい赤ちゃんたち!どちらの赤ちゃんがMylaでCharleneなのかわかりませんが、本当に幸せを絵に描いたようなファミリーですね。 ミルカも素敵です。

タイガーの偶像が崩れてしまったので、子供たちにはヒーローが本当にいなくなってしまいました。最後のヒーローのロジャーにはぜひテニスとファミリーライフの両面でがんばってほしいと思います。

(それにしても7700近いコメントはすごい!ロジャーの人気の高さを物語っています。)

写真はこちら

投稿者 Tennisnakama  11:27 | コメント(0) | トラックバック(0)

セントラルパークの雪景色

A Happy Snow Day

昨日12月20日は、大騒ぎをした割には積雪30cmくらいの降雪ですんでホッとしました。セントラルパークの雪景色はいつみても美しいもの。さっそく小型カメラをもってフラッと散歩に出かけてみました。Snow Dayをそれぞれ楽しむ家族や恋人たち。不景気に悩むニューヨーカーもこの一日は A Happy Day。ではセントラルパークに行った気分を味わってください。

Happy Holidays!





投稿者 Tennisnakama  23:42 | コメント(0) | トラックバック(0)

エナンがWCでシドニー大会出場

(更新:追記を加えました)

ジュスティン・エナン Justine Henin (27才)がいよいよ正式にカムバックします。精力的な活動が開始されました。

12月20日発表
公式サイトが誕生:http://www.justine-henin.be/
なかなか素敵なサイトです。英語、フランス語、オランダ語の三ヶ国語のマルチ言語のサイトは国際スターにふさわしく彼女の力の入れようが伺われます。

12月21日発表
1月10日から開催されるシドニー大会 Medibank International Sydney のワイルドカード(WC)がエナンに与えられました。

125年の古い歴史を誇るシドニー大会は、2010年は女子部門ではランキングトップ10のうち9選手が出場するという史上ベストメンバーがそろいました。主な選手はセリーナ・ウィリアムズ、サフィーナ、クズネツォヴァ、ヴォズニアッキ、ディメンティエヴァなど。

(続く)

【お知らせ】
tennisnakama.comのメニューにあるTOURNAMENTSのページに、1月の大会の詳しい情報を掲載しています。特にすべてのエントリー選手のリストを掲載しましたので参考にしてください。

投稿者 Tennisnakama  23:54 | コメント(0) | トラックバック(0)

ドローの仕組み

引っ越しします!
tennisnakama.comを再スタートしました。このサイトではなかなか手に入らないテニスの情報を満載することに重点をおき、まったく新しいサイトとして運営していくつもりです。

今年一杯まではtennis365のブログに投稿させていただきますが、1月からはtennisnakama.comに完全移行することになります。今までの2年間、楽しい思い出をありがとうございました!


(本題)
いよいよ1月3日からオーストラリアのブリスベイン、4日からインドのチェンナイとカタールでトーナメントが始まります。その前に大会のいろんな仕組みをおさらいしてみたいと思います。(明日は1月に開催されるトーナメントのエントリー選手を発表したいと思います。)

以前に書いた記事をもとに分かりやすく説明してみました。なお、これからhttp://tennisnakama.comのサイトで、なかなか得られない情報を中心に掲載していきたいと思います。
ドローの仕組みを知る

2008年8月モントリオール・マスターズを例にとって説明したいと思います。

マスターズのポイント
優勝: 1000
準優勝: 600
準決勝進出: 360
準々決勝進出: 180
第3戦進出: 90
第2戦進出: 45
第1戦敗退: 10 (WCは0ポイント)

エントリーの締め切り:大会開催日の6週間前
モントリオールのエントリーの締め切りは8月10日の開催日の6週間前ですから6月29日となります。この日のランキングで大会のエントリーが決定されます。人数枠は64名。しかしBYEが8枠ありますので、実際の出場選手は56名となります。
BYEとはトップシードの選手に、第1戦をスキップする特典を与えるために設けられた枠で、モントリオールはシード8までの選手に与えられています。

トップシード8
1 フェデラー
2 ナダル
3 マレー
4 ジョコヴィッチ
5 ロディック
6 デルポトロ
7 ツォンガ
8 ダヴィデンコ

しかしこのシーディングはエントリーランキングの順ではありません。エントリー時点でのランキング順は以下の通りです。

1 ナダル
2 フェデラー
3 マレー
4 ジョコヴィッチ
5 デルポトロ
6 ロディック
7 シモン
8 べルダスコ

では参加者56名の内訳を説明したいと思います。

ディレクト・アクセプタンス DA (Direct Acceptance)
6月29日付けのランキングからトップ45名はディレクト・アクセプタンス DAと呼ばれ、ダイレクトにエントリーされます。ナンバーは当時のランキングで、シードNo.ではありません。

1 ナダル
(エントリーの6月29日の段階ではまだランキングは1位でしたが、7月6日以降2位に落ちていますので、ドローではシード2となっています。怪我のために欠場する選手はOUT。)
2 フェデラー
3 マレー
4 ジョコヴィッチ
5 デルポトロ
6 ロディック
7 シモン
8 べルダスコ
9 ツォンガ
10 ゴンザレス
11 ダヴィデンコ
OUT ソダリング
13 チリッチ
14 モンフィス
15 ロブレド
OUT ナルバンディアン
OUT ブレイク
18 ヴァヴリンカ
OUT ガスケ
20 バーディッチ
21 フェレール
22 ツルスノフ
23 ステパネック
24 サフィン
OUT フィッシュ
26 アンドレエフ
27 Fロペス
28 ハネスク
29 シュトラー
30 メルツァー
31 トロイッキ
32 コールシュライバー
OUT モンタネス
34 ハース
35 キーファー
36 カーロヴィッチ
OUT  サントロ
38 マチュー
39 クニツィン
OUT アンチッチ
41 シャルディ
42 ガルシアロペス
OUT アカスーソ
44 ユズニー
45 イズナー (SE)

スペシャル・エグゼンプト SE (Special Exempt)
97位のイズナーはワシントンで準決勝に進んだため、予選に間に合わずSE (Special Exempt) として本戦入りを果たしました。SEを得る資格はトーナメントのサイズによってちがってきますが、マスターズの場合は一つの枠が設けられる場合があります。

今回のイズナーはワシントンの大会(500以上の大会でなければマスターズのSEは認められない)の準決勝のために、モントリオールの予選に間に合 わなかったためにSEの資格があたえられました。このSEの選考プロセスは複雑ですので、またの機会にでも説明したいと思います。

クウォリー Q (Qualie)
予選で勝ち残った選手をクウォリファイアーQualifierと呼びます。これを略してくウォリーと一般には呼ばれていますが、以下の7名がエントリーしました。

フェレーロ、ベネトー、ルヴィン、ロアニッチ、ハーニッチ、ファヤ、ボゴモロフ

あのフェレーロが予選からの出場です!
彼の現在のランキング29位からですと、本戦エントリーは全く問題ないのですが、6月29日のエントリー締め切り時点では70位でエントリー外のランキングです。

しかし次の7月10日のランキングでは33位もジャンプして37位です。これは彼がウィンブルドンでQFまで進出しましたので、一度に360ポイントを得ることができたためです。
フェレーロの今年のランキングの推移は異常ともいえるアップダウンで、5月には115位に落ち込み今は29位。こういう選手もめずらしいですね。

ワイルドカード WC
ダンセヴィッチ、ポランスキー、ニーメヤー、アゴスティネリの4名がWCを与えられました。

ラッキールーザー LL
ラッキールーザーとは、エントリーしている選手が棄権した場合、予選で敗れた選手の中で最もシードが高い選手がラッキールーザーとしてエントリーが許されます。ソダリングが棄権したためにゴルベフに与えられました。

オータネイツ Alternates
DAを果たしている選手の中で怪我などで出場できない選手がでてきます。これらの欠場選手の替わりにエントリーできる選手をオータネイトとよびます。今回はナルバンディアン、ブレイク、ガスケ、フィッシュ、モンタネス、サントロ、アンチッチ、アカスーソの8名がドローが発表される前に欠場(OUT)を決めた選手です。

ソダーリングはドローが発表されてから棄権していますので、この場合はLL(ラッキールーザー)でオータネイトではありません。

オータネイトの8人は、6月29日のランキング順にとっていきます。しかしこの場合は選手に出場の義務はありませんので、以下の8人(IN)がエントリーを決めました。

IN ツヴェレフ 45
IN セラ 46
IN クェリー 47
OUT アルマグロ 48
OUT ベッカー 49
OUT セッピ 50
OUT ティプサレヴィッチ 51
OUT ニーミネン 52
OUT クレモン 53
IN セラ 54
IN ペツヒナー 55
IN ヒューイット 56
OUT バサヨ 57
OUT ベック 58
OUT ジケル 59
OUT ローカス 60
OUT モヤ 61
OUT Mゴンザレス 62
OUT ボレリ 63
IN マエール 64
IN ルー 65
投稿者 Tennisnakama  03:10 | コメント(0) | トラックバック(0)

タイガーvsピューマの戦い

Warning: Tiger vs Puma
この記事はタイガーvsピューマ(プーマ)の戦いは動物の話ではありません。

11月28日午前2時25分。サンクスギヴィングの夜でした。この時間は家族団らんでターキーをたっぷり食べたあと熟睡している時間帯です。タイガーがフロリダの自宅で自動車をぶつけて以来、といいますか妻エリンがゴルフクラブでタイガーの車の窓を叩き割って以来、ちょうど3週間が経ちました。

もう毎日にようにタイガーのゴシップでゲップがでるほどですが、それにしてもあれだけの多くの女性と関わりをもちながら(もし彼女らの話が本当であれば)、どうして今までスキャンダルが浮上してこなかったのでしょうね。あるAV女優がオンラインで「タイガーのバッチャーラー・パーティーで彼とセックスしたけれど、すごくよかった。」なんて堂々といっていたにもかかわらず、誰も本気にはしなかったのでしょうね。

さてこの3週間のタイガー事件で最も得をした人たちは?

(今、中断してしまったtennisnakama.comを立ち上げようとしています。これからしばらく実験的にtennisnakama.comにリンクするやり方でやっていきたいと思っています。ご不便でしょうが(続き)をクリックしてください。)

(続き)

投稿者 Tennisnakama  01:46 | コメント(0) | トラックバック(0)

フェデラーもちょっとびっくり

記録男のフェデラーがスイスで最優秀アスリートに選ばれなかったショッキングな事件について、生放送を見ていた夫にその状況を聞いてみました。

スイスから昨日帰ってきた夫は、12月12日土曜の夜のスイス生番組での人気投票をみていたのだそうです。これはフェデラーのスポンサー、クレジット・スイス(銀行)がスポンサーで、スイス全国の視聴者が参加して電話によって投票する番組。

男女の最優秀アスリートからハンディキャップの分野までいろんなカテゴリーに分かれてそれぞれ投票できるようになっていて、刻々と結果が掲示されていき、最後には最優秀賞が決まる仕組みになっているとか。

フェデラーは今年は、全仏とウィンブルドン優勝、全豪と全米は準優勝。しかもキャリア・グランドスラムを達成した上、サンプラスを追い抜いて15のGSタイトル。タイトルを独り占めしてしまったフェデラーを抜いて選ばれたのは、スキーヤーのディディエ・キュシェDidier Cuche。

投票結果は投票数ではなくて、パーセンテイジ%で決定。キュシェは31.45% フェデラーは30.67% とその差はたったの0.78%というきわどいレース展開が繰り広げられました。

圧倒的な支持をえてフェデラーが当選すると信じていたキュシェは、驚きを隠せない表情で衛星放送では、「フェデラーが選ばれて当然なのに彼に申し訳ない。」とちょっと気恥ずかしいコメントを述べたとか。

ドバイでこの番組を見ていたフェデラーも、衛星放送で「僕もちょっと意外だった。選ばれると思っていたんだけれど」みたいな感想を述べていたとか。(はっきりした内容はわかりませんがコメントのニュアンスから)

この投票結果についてスイスのいろんな記事に目を通しましたが、コメント数は約500くらいにのぼり投稿が続いています。メディアも圧倒的な差でフェデラーが優位と予想していただけに、この結果はまだまだ波紋をなげかけているようです。

20 Minuten Onlineでは「スイスの深い森の中で国民は樹がよく見えないようだ。」となかなか面白いコメントを載せていました。
http://www.20min.ch/sport/weitere/story/29511594






投稿者 Tennisnakama  22:45 | コメント(0) | トラックバック(0)

フェデラーのスイスでの人気

今日はスイスの話題を少し。今スイスは、最優秀アスリート賞の結果にちょっとした衝撃を受けています。

今年は何といってもフェデラーの年でしたので、当然フェデラーが受賞すると信じられていたのですが・・・全仏とウィンブルドン優勝、全豪と全米は準優勝。しかもキャリア・グランドスラムを達成した上、サンプラスを追い抜いて15のGSタイトル。記録につづく記録を樹立したフェデラーでしたから、彼がスイスで毎年行われる投票、「2009年のベストアスリート」に選出されなかったことは大きなショックでした。

Sportler des Jahresは、スイスでその年に最も活躍したアスリートに与えられる最高権威の賞ですが、これは一般の人の投票によって決められるいわば人気投票なようなもので、今年は35才のスキーヤーのディディエ・キュシェDidier Cucheに決まったのです。彼は今年のスーパG(ジャイアント・スラロム)のワールドカップの優勝者ですが、フェデラーの業績に比べればかなり差があるのは明らか。誰もがフェデラーが圧倒的な投票数で選ばれると思っていましたので、そのショックは隠しきれないようです。

どうしてスイス人はフェデラーを選ばなかったのか? 

フェデラーはスイスの国民にそれほど人気がないのか?」と早合点してしまいそうですが、ここでオンラインに掲載されたコメントをいくつか紹介して、スイス人の気持ちに迫ってみたいと思います。

フェデラーの故郷、バーゼルの新聞Basler Zeitungに載せられた代表的なコメントを拾ってみました。
http://bazonline.ch/sport/weitere/Roger-Federer-ist-der-wahre-Sportler-des-Jahres/story/29430414

フェデラーはスイスの大きな誇りなのに、この結果はまことに残念だ。」
(本当に遺憾である。)

フェデラーは今まで4度も受賞しているのだから(2003年、2004年、2006年、2007年)もう沢山じゃないの。キュシェはあの歳でよくがんばったから、まあよく頑張ったで賞みたいなものよ。」
フェデラーはもらいすぎ。)

「クッヒェには個人的なうらみはないが、フェデラーの業績の足もとにも及ばないのに考えられない結果だ。この賞は全くいい加減で嫌になるよ。」
(あの投票はいい加減であるから、結果がいい加減になっても仕方がない。)

フェデラーはスイスの大使みたいなもんだけれど、スイスにほとんどいないしね。それにテニスはスイスの国民競技じゃないし。」
(スキーはスイスの国民競技。)

フェデラーは肝心のデ杯には欠場するし、スイスよりドバイにいる時間の方が長いしね。彼は個人の記録の方が大切で、スイスは彼にとっては二の次なんだ。 Federer, world's best athletes, yes, Switzerland-no フェデラーは世界一のアスリートだ。でもスイスではそうじゃないのさ。」
(スイスを忘れて国際スターになりすぎた。)

これらのコメントのどれもが真実のような気がします。スイスの小さな国を超えて世界のフェデラーになってしまったフェデラー。あまりにもスーパスターになってしまった彼に、なかなか振り返ってもらえないスイス人のちょっとした抵抗とでもいいましょうか。

スイスはテニスの国ではないことは確かです。私はスイスの隅々まで旅をしていますが、ほとんど公共のテニスコートは見た事がありません。テニスはまだまだ一般のスポーツにはほど遠い存在のような気がします。

ヒンギスの人気はスイスでは最悪でした。パティー・シュニーダーもほとんど無視されたようなもので、「スイスなんて未練もないわ」なんてアンチ・スイスを剥き出しにしています。小国にしてはこれほど多くのトップ選手を生んでいる割には、テニスがまだまだポピュラーなスポーツとして浸透しないのは不思議です。スキー、ハイキング、サッカーに国民のアイデンティティーを見いだしても、なかなかテニスには馴染めない、スイスのお国柄とでもいいましょうか。



投稿者 Tennisnakama  11:28 | コメント(0) | トラックバック(0)

サフィンが語るサフィンの素顔

サフィンのインタービューはいつも本音が出ていて面白く、彼が勝っても負けても記者会見には多くの記者が集まります。それだけサフィンに魅力があったからですが、日本にはほとんど紹介されることがなかったサフィンの12年間にわたるコメントを選んで紹介したいと思います。

サフィンが語るサフィン。( )は私の説明です。

ロシア
「いつも自分たちがどこからやってきて(ロシア)、選手になる前はどれだけの金を持っていたか(貧乏)、を忘れることはできないよ。あのみじめな生活は絶対忘れることはできない。」

「誰もロシア人を理解することはできないだろうね。メンタリティ、人生、物事への反応の仕方。僕はフロイドじゃないからうまく分析できないけど。」

「引退したら僕の故郷のモスクワに帰ってそこに住み着くつもりだ。(今までは税金の関係でモナコに住んでました。)ロシアの女性は世界で最も美しいのは本当だよ。」

「僕は学校ではバカでも天才でもなかったよ。普通の生徒だった。ときにはカンニングもやったしね。でもこれは皆やることだろう。」

アイドル
「スターというのは空にある星のことをさす。」(僕はスターではない)

「サンプラスの半分でよいから彼のようになりたい。」

「僕はアガシやクルニコヴァのように有名になりたくない。有名になると期待されるからね。誰からもプレッシャーを受けたくないんだ。」

「僕は普通の生活をしたいんだ。人気があるかどうか僕には興味がない。TVの番組に出たり、新聞の見出しに大きく載ったりしたくない。自分の好きなように生きたいんだ。僕の仕事はテニスをプレーすること。オフィスにいって仕事をするようなものなんだ。それが終われば普通の人。でもそれが今はできない。」

「USオープンに優勝したら今まで面白いと思っていたことができなくなってしまった。例えば、有名なナイトクラブに入るときは、誰も僕のことを知らないので、貧しい学生で入ることができた。でももうそんな遊びも出来なくなってしまった。」

女性
「女性が怒ったときが一番セクシーだね。特に物を投げたりしたときなんか。」

「僕たち(選手)は誰かが必要なんだ。そうでないと寂しすぎるからね。男ばかりで嫌になるからね。美しい女性に会って話をして、怒らせて、それでないと人生は退屈してしまう。」

「アナ・クルニコヴァとは子供の頃から知っているけど、きれいだけれど僕のタイプじゃない。彼女とは結婚したくないね。」

人生
「釣りはいいね。8時間くらい船にじっと座ってビールを飲んで。夕食は釣った魚とワイン。リラックスできて、時には人生のことを考えたりね。でも僕は泳げないんだ。」

「僕は一日中ソファに座って、ボーっとしているのが好きなのさ。」

「人生の最高の年齢は20才から40才までだ。だから僕は思いっきりエンジョイするつもりだよ。若さは戻ってこない。」

「失敗したりバカなことをしたり。僕も普通の人間だから過ちをおかすことがあるよ。でもそれでいいんだ。僕は僕らしく生きることができればそれでいいんだよ。」

テニス
「テニスはラヴのようなものだね。一生懸命になりすぎても見つからない。自然にしていると自ずからやってくるものだ。」

「僕はもうすぐ24才になる。コートで焼けクソになったり、そんなことをやってるときじゃない。」

「昔の自分にもどりたい。昔のレベルに戻るのは大変なことだけど。目を醒さなくちゃ!」

「僕は大きくてパワーはあるけど、タッチに欠けている。小さい選手の方が賢いね。足が速いし、球を予期できるし、Great handsをもっている。」

「多くの人は僕がテニスをもっと簡単にできると思っている。才能があるのになぜもっとGSのタイトルがとれない。真面目に練習をしていない。やる気がない。いつも何か言われて僕は傷ついているんだよ。」

「僕は美しい女性だけにサインをすることにしてるんだ。」(ニンマリ)

「お客はお金を払ってゲームを楽しむために来ているのだから、彼らに喜んでもらえたときは嬉しい。」

「試合をどうやって勝つか思い出せないときは心配した方がいい。」

「もう自分のていたらくに嫌気がさした。こんなひどい負け方をした自分にね。」

「僕は歳をとってきたから、ゲームが前よりも分かってきた。でもゲームが分かってきたら今度はチョーキング(緊張)してしまうんだ。先が読めてくるからね。考えてしまうんだ。知らない方がもっと自由にリスクをおったショットが打てることが多い。」

「僕は好いプレーをして彼ら(観客)に示したいんだ。僕はモスクワからきたヨーヨーじゃないってことを。」(ヨーヨーは勝ったり負けたりを繰り返す意味)

「USオープンに優勝したときもビタミンはとっていなかったし、水も水道から直接飲んでるしね。これが僕のドーピングなんだ。」

「負けてるときは自分を限界までプッシュする必要があるんだ。ラケットをぶつけるとか、ボールをコートの外に投げるとかね。そうすると効き目があるんだ。」

「僕は感情の人間だから静かにプレーすることができない。ぶつぶつと静かに自分に語るようにプレーしてみたんだが効果がなかった。やっぱり大声で叫んで、ラケットを投げつけるのが自分の性分に合っているんだ。それでないとナーヴァスになってしまうんだ。」

「僕はステファン・エドバーグじゃない。マシーンじゃない。」

「僕はモティベーションが必要なんだ。特にサンプラスと戦うときはね。だから一杯ブロンドの女性を呼んだのさ。」

「選手にはこういう日が必ず一度はあるものなんだ。何をやってもミスをしない日。僕がサンプラスに勝った日がそうだった。何をやってもパーフェクトだった。ボールをミスろうとしても絶対ミスらない。そんなパーフェクトな日があるのだよ。でもマジックは二度とやってこないんだ。」

サントロ
「サントロとのドローは死の宣告をうけるようなもの。ボールが一個もコートに入らないかもしれない。本当に恐いよ。世界中で僕が絶対に勝てないのがサントロなんだ。彼は僕に5連勝しているからね。」(サフィンが20才のとき)

「サントロの顔をみてはだめなんだ。そうすると彼がどのようなテニスをするか忘れてしまうからね。焦ってリスクを負ったり、普段やらないようなクレージーなことをやってしまう。コートで麻痺してしまうんだよ。」

チェアアンパイア
「僕はサングラスをかけた人とは話す気になれない。僕は彼をリスペクトしているのだから、彼は僕をリスペクトするべきだ。」

「誰もが過ちをおかす。でも彼らはもっと頭を使うべきだ。」

「僕には分からないよ。なぜアンパイアが大きなミスをして、その結果選手が負けてしまうようなことがあれば、どうして彼らに罰金を課さないのか。」(全く同感です!)


「僕は飛ぶのが恐いんだ。飛行恐怖症なんだ。だから飛行機に乗ったら睡眠薬をすぐ飲むことにしている。」

「ウィンブルドンは理解できないよ。彼らは態度を変えないといけない。選手にもっと親切であるべきだよ。芝の選手とそうでない選手との待遇が違いすぎる。食事も改善するべきだ。」

「芝は一週間で十分だよ。」

「僕はアメリカに住めない。僕のスタイルじゃない。ビールも飲めないのだから。」(このコメントは20才のとき。21才からアルコールは飲めます。スイスは16才から。アメリカは遅すぎますがスイスは早すぎ。ヨーロッパは平均18才から。)

「僕はすばらしい人生を送っている。都市から都市へ旅行ができ、テニスをして人々に楽しんでもらえる。夢に描くような職業だ。でもこの職業は皆が思っているほど楽なものじゃないけれど。」

2000年US オープン優勝の翌日、レターマンショーに出演したマラットのビデオです。チャーミングでユーモアたっぷりの20才のマラットをお楽しみください。

(パート1)


>

(パート2)




資料:
http://www.safinator.com/home.html?x=7&y=-175&city




投稿者 Tennisnakama  11:37 | コメント(0) | トラックバック(0)

サフィン「僕は奇跡だよ」

入れ墨
コートにラケットを投げつけるサフィンはあまりにも有名ですが、私の最も印象に残るサフィンは、プラクティスコートで見た半裸のサフィンでした。真夏の太陽の光を受けてうっすらと汗をかいた背中に大きな入れ墨が。おお!これがかの有名な太陽の入れ墨!たくましい背中に大きく描かれた太陽は、まさに彼自身を象徴するかのごとく、雄々しくさんぜんと輝いていたことを思い出します。

背中の入れ墨の写真:
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テニス選手の宿命
マラット・サフィン Marat Safin は銀のテニスラケットを持って生まれたと言われています。母親Rausaは元トップ10のテニス選手。父親MikhailはスパータッククラブSpartak Clubの経営者。 1980年1月27日モスクワに生まれ、テニスクラブを遊び場として育ったマラットは、まさにテニス選手になる宿命を負って生まれてきました。

母親が本格的にマラットにテニスを教え始めたのが彼が6才のときでした。マラットはサッカーをやりたかったのですが、「サッカーの才能はない」と両親から言われ、興味のなかったテニスをやり始めました。本当にやりたかったことをやらせてもらえなかった・・・この想いはアガシに通じるものがあり、親から押し付けられたテニスへの屈折した想いが一生ついてまわります。

テニスへのlove & hateはマラットのテニス人生を複雑なものにしてきました。記者会見ではI’m suffering 「苦しんでいる」の言葉がよく聞かれたものです。天才と呼ばれたにもかかわらず、なかなかグランドスラムのタイトルがとれない。「どうしたサフィン?」という記事の見出しが多くなるにつれて、サフィンはプレッシャーでますます勝てなくなってしまう。激しい性格の彼はコートでの感情コントロールができず何度もラケットを叩き付けては罰金をとられていました。

母親コーチ
少年時代、母親がコーチだった選手に、ジミー・コナーズ、アンディー・マリーがいます。ジョコヴィッチは母親がコーチではありませんが、元フェデカップの代表選手から習っています。彼らのテニスをみていると、女性からテニスの基本を習った選手に共通点があるように思われるのです。

コナーズ、マリー、ジョコヴィッチ、サフィンに共通するのは、ヴァラエティーに富んだショットメイキングができること。私の経験上から、男性コーチからはサーヴとフォアハンドを主体としたパワーテニスを学びましたが、女性コーチからはニュアンスのあるテニス、つまりさまざまなショットメイキングを覚えることによって、パワーに頼らない感覚feelのテニスを学びました。

私は特に彼らの両手バックハンドに注目しています。彼らはバックハンドが一様に強いのです。バックハンドが強いと、コート全面を使った展開が可能になり、特にダウンザラインのバックハンドは最大の威力を発揮するのです。

テニス留学
13才になったマラットは身長も親をこすほど大きく逞しく成長しました。母親はマラットがこれからプロとして活躍していくには、トーナメントの機会もテニス施設にも欠けるロシアでは不可能であることを熟知しています。

「どうしてもマラットを海外で修行させなければ!」

母親はマラットを連れて、ニック・ボレテリのテニスアカデミーを訪れました。しかしボレテリはマラットに才能を見いだせず奨学金入学を断わっています。口惜しかったのか、マラットは後にボレテリのことを「彼はテニスのことを知っていない。」とコメントしています。余談ですが、ボレテリのアカデミーで育ったアガシも同じことを言っています。つまりボレテリ自身は正規のトレーニングを受けたトーナメント選手ではないので、コーチの才能はあってもテニスはうまくないのです。

今度は14才になったマラットを連れて、母親はスペインのヴァレンシアのクラブを訪れました。ディレクターである元プロ選手マリア・パスカルにマラットのテニスを評価してもらうことが目的でした。

「息子には将来性があるのか?」

マラットの才能に強い印象を受けたパスカルは、彼女のクラブでマラットを修行させることを勧めます。しかしサフィン家にはスペイン留学をさせる資金などありません。パスカルはマラットが留学できるように、スイス資産家のスポンサーを探し出してきました。そのスポンサーのおかげでマラットはヴァレンシアで18才になるまでの4年間、スペインにてトレーニングを積むことになったのです。

14才で言葉も知らない異国での訓練は、マラットにとってとても辛いものでした。しかし語学の才能に恵まれたマラットはスペイン語を間もなくマスターすると同時に、英語も流暢に話せるようになります。(アンディー・マリーもスペイン留学をしていますが、スペイン語があまり話せません。これは多分皆が彼に英語で話しかけたためではないかと思います。)

プロ転向
1997年はマラットにとってプロ転向の重要な年となりました。400番台だったマラットは、ポルトガルのチャレンジャーで優勝。ついに200番を切りプロ転向への転機の年となったのです。マラットが17才のときです。

今までチャレンジャーで戦っていたマラットは、翌年初めてグランドスラム出場する機会がやってきました。フレンチオープンです。スペインでトレーニングを受けたマラットはクレーは自分の庭のようなもの。当時ランキング116位のマラットは初戦で20位のアガシを破り、そして2回戦でも、前年度のチャンピオンのキールテンをも破ってしまいました。18才の青年の快挙に世界がアッと驚いたのは言うまでもありません。

同年1998年にマラットは来日しています。9月のデ杯で鈴木貴男選手と対戦して 7-6, 6-2, 6-3でマラットが勝っています。この試合を覚えている方もいらっしゃると思いますが、この時の鈴木選手のランキングは128位。マラットはすでに54位まで駆けのぼっていました。

早すぎたUSオープン優勝
そして2年後、マラットが20才のときです。クレーとハードの両方のサーフェスで勝ち続けるマラットはなんと7タイトルを独占。そしてUSオープンでは、無敵のチャンピオン、サンプラスを破って堂々優勝をなしとげたのです。

エースに続くエース。193cmのそびえるタワーから落ちる210kmの爆雷サーヴをサンプラスはリターンができません。サーヴ&ヴォレーでネットダッシュをして必死に対抗しますが、ことごとくパッシンショットの嵐に合い呆然とたちすくむサンプラス。 4-6, 3-6, 3-6 大きな音をたててサンプラス帝国が崩壊するのを私たちは目撃したのです。

マラットの優勝のインパクトは、敗者のサンプラスだけでなく、勝者のマラットにとっても皮肉な結果を招くことになります。サンプラスはあまりにも見事に完敗してしまったため、そのショックから立ち直るのに2年の歳月を要しました。どうしてもグランドスラムに勝てない。サンプラスのスランプ時代が始まったのです。

マラットは反対にあまりにも完璧なテニスをして優勝しまったため、幻のテニスを追い続けなければならない運命を負うことになります。

「僕は不思議なことにあの試合のことはほとんど覚えていないんだ。」

心と体と技が完全に一致したマラットのUSオープンは、彼の記憶にないほどの無心の究極のテニスだったのです。

完璧主義者のマラットが求めたのは、何がなんでも勝つテニスではなく、パーフェクトなテニスだったと言われています。USオープンの優勝後、2度目のGSタイトルのオーストラリアン・オープンまで、長くて苦しい5年の歳月はファンにとっても辛いものでした。

「僕はまさか自分が優勝するとは思ってもみなかった。そしてその後すぐ世界No.1になってしまったんだ。20才で選手なら誰もが抱く夢を実現してしまった。だからその後What's next?という感じで目標がなくなってしまったんだ。」

「僕に感情をコントロールしろ!と皆は言うけど、今度僕が無表情になると、一体どうした!といってくる。僕はどうしてよいのか分からない!」

「トーナメントでは24時間テニスのことが頭にあって、ストレスがたまりっぱなし。この点が僕がテニスを嫌いな点なんだ。」

そんな苦悶のマラットに「天才的な才能があるのに・・・なぜ勝てない!」と問いつめることをやめなかった私たち。幻のテニスを負い続けてきたのは、本当はマラットではなくて私たちだったのかもしれません。

スポーツが嫌い
「本当は僕はスポーツが嫌いなんだ。サッカーやホッケーはやらないし、バスケットボールは嫌いだし。TVでもスポーツは見ない。だから僕がテニス選手だなんて驚きだよね。僕はコンペティションが嫌いなんだ。友だちとサッカーをやっても10分ともたない。すぐ飽きるんだよ。だから僕はスポーツ選手じゃないんだ。」

フェデラーのすごいのは、本当にテニスをエンジョイしていることだ。テニスを愛している。そしていつもトップでありたいという気持ち。これは僕には分からない。」

マラットは勝敗にこだわるスポーツに向いていなかったのです。だから勝った負けたと大騒ぎをするスポーツに関心がなかったのでしょう。彼はプロセスを大切にするアーチストだったと思います。

「僕がテニスをこれだけ長くしかも高いレベルを保てたのは奇跡なんだよ!」

「自分らしく生きたい!」といつも語っていたマラット。テニスを去ることによって、マラットの自己発見の旅が始まろうとしています。

「テニスが僕から去っていくのではなくて、僕がテニスから去っていくのだよ。」

美しい容姿。理想的な体型。フェアで真っ正直。正義感に溢れた熱血男。独特のスパイスのきいたユーモア。選手から敬愛された人気者。そしてラケットをぶつけても憎まれなかった唯一の選手。

「僕がこれから何をやっていくのかまだかわからないけれど、テニスで成功した10分の1でもよいから、僕の第2の人生が成功すれば嬉しい。」

荒々しくて繊細。パワーフルでソフト。強くて弱いメンタル。限りなく複雑でシンプルな生のマラットを体現したサフィンテニスを12年間観戦できた私たちは幸せでした。

ありがとう!Спасибо (スパシーバ)
そしてGood luck! Удачи  (ウダチ)


ジョン・マッケンローとマリー・カリロの名コンビの解説で、USオープン2000決勝のハイライトをお楽しみください。

(パート1)




(パート2)










投稿者 Tennisnakama  10:21 | コメント(0) | トラックバック(0)

さよならサフィン

2009年11月11日。マラット・サフィンが29才で引退してしまいました。最後の試合の対戦相手は今年USオープン・チャンピオンのデルポトロ。

この試合が多分現役最後の試合であろうと予期した彼の仲間たちがお祝いに駆けつけました。ピオリン(仏選手。シニアツアーで活躍)、ジョコヴィッチ、シモン、カーロヴィッチ、ロブレド、コスタ(デ杯優勝チームキャプテン)、エラノーウィ(モロッコ選手。今年からシニアツアーに参加)。最後にデルポにチュッとキスしたサフィンは選手に取り囲まれて嬉しそうです。

この一年、大会ごとに引退セレモニーをやってもらった人気者のマラットは、パリのセレモニーでも終始ニコニコ。しかしこれで最後の最後。セレモニー慣れしたサフィンにもいろんな想いがサフィンに蘇ってきたのでしょう。彼の目にうっすらと涙が・・・ 初めてみるマラットの涙をみて私の胸もジーン・・・

マラットのお別れセレモニーのビデオです。右下2番目をくりっくしてフルスクリーンでご覧ください。



サフィン最後の試合
サフィンの最後の試合となったデルポトロとの試合では、サフィンはチャンスボールをネットにかけて一瞬ヒヤッとしましたが、彼は終始ニコニコ。(普通だったらラケットを投げてぐちゃぐちゃにしているところです。) デルポもミスすると苛立つどころか舌をペロ。雰囲気はエクジビションのように和気あいあいとしています。

二人は過去の対戦歴がなくこの試合が最初で最後です。サフィンはまったく練習をしていないといいながらも、4-6, 7-5, 4-6と健闘しました。

豪快なビッグサーヴ、確実でパワフルな両手バックハンド、華麗なヴォレー。軽やかなフットワーク・・・2000年のUS Openで、サンプラスを完封して優勝した20才のサフィンを思い出させるすばらしいプレーをみせてくれました。

「本当は勝ちたかったけど、デルポはいい奴だし、US オープンのチャンピオンに負けたのだから本望だよ。」サフィンは負けても口惜しさはありません。

「マラットの最後の試合をやることができて光栄です。」デルポも歴史的な瞬間を共有することができ、選手冥利につきるといった面持ち。

サフィン最後の試合です。お楽しみください。




サフィンの引退を偲んで、サフィン特集を組みたいと思っています。次回は『サフィンの生い立ち』を企画しています。それにしても彼ほどカリスマ性に溢れ、世界の人々から愛された選手は当分現れないでしょうね・・・惜しい選手を失いました。

投稿者 Tennisnakama  01:45 | コメント(0) | トラックバック(0)