2008年07月17日
なぜブログを?
ブログだから、「いい加減なことを書いていい」という人もいるでしょうね・・・どうせ誰が書いているのか分からないのだから。
ブログだから、「コメントに書いたことは責任もたなくてもよい」、という方もいるでしょうね・・・どうせ誰が書いているのか分からないのだから。
ここでおこがましくも、ブログはどうあるべきなどと述べるつもりは、さらさらありません。ただ、人によってブログの持つ意味が、実に様々だということをここ半年で学びました。いろんな方に読んで頂いて感激すると同時に、ブログの持つ責任の重さも痛感しているころごろです。昨日ちょっと気になることを耳にしたものですから(私が別の名前を使って他所のブログにコメント記事を寄稿しているという疑惑)、今日は私のブログを読んで頂いてる方々に、Tennisnakamaの名のもとで私が何をやりたいのかを、知っていただきたくて書いております。
私には一人息子がおります。彼が小学校一年のときです。私が世界中を駆け回って、TVの仕事、雑誌の仕事、広告の仕事を精力的にこなしているときでした。睡眠時間は3時間。出張は、子供とベビーシッターを連れて、決して息子には寂しい思いをさせず、精一杯がんばってきました。時間があれば、子供と一緒に遊ぶ時間をつくり、何とか仕事と両立させてきたと自分では信じていたのです。
ところがある日、怪我では絶対泣かない彼が泣きじゃくっているのです。
「マミー、お家にいてほしい! 僕は他の子供たちのようになりたくない!」
他の子供たちというのは、彼のクラスメートのことです。夕食を両親と食べることのない子供たちのことです。自家用飛行機を持って別荘に飛んでいっても、両親はほとんど一緒に過ごしてくれない子供のことです。キャリアに明け暮れる夫婦。社交界に明け暮れる夫婦。息子はそういうクラスメートの寂しさを知り尽くしているため、泣いて私に「僕はあの子供達の仲間入りはしたくない!」と訴えたのでした。
もう12年前の話です。彼が泣いたのは、あれが最初で最後でした。キャリアとしては全盛期だったのですが、迷いはありませんでした。それ以来、国際祭りを主催し、音楽会を開催し、サッカーコーチをやり、テニスチームのキャプテンをやり、そして様々なヴォランティア活動を精力的に行ってきましたが、これらはすべて仮の自分であるという思いがいつもありました。
昨年の9月、やっと息子が大学に入り、やっとこれから自分のやりたいことが出来る、と胸が騒ぎましたが・・・でも何を本当にやりたいのか、何が生き甲斐なのか、果たしてこれからどうやって生きていけばよいのか? 疑問ばかりで答えの見つからない自分に出会うばかり。悶々と自問自答するなかで、3度の飯よりも好きな「テニス」について書きたいという願望が自然に生まれてきたのです。今まで日本のウェブはあまり見たことが無かったのですが、どのオンライン・スポーツのサイトにもテニスの欄がないことに気付きました。これには愕然としました。アメリカもテニスはマイナーですが、日本はもっとマイナーです。日本での世界テニス情報は限られています。日本のテニスファンのために、ひょっとして役立てるかも知れない! という訳でウェブサイトやブログを始めて半年が経ちました。いろいろ皆さんに励ましていただきながら、何とか続けることができました。
ところでヨハンの「仕事を一緒にやろうよ」の話はどうなってるの?
実は中断しているのは、本当にテニスだけを書きたいのか?と新たな疑問が湧いてきたからです。「テニスだけはなく、政治、文化、いろんなことを語っていきたい」エッセーを書いていた頃の楽しさが蘇ってきました。でもそうするとTennistalkの日本語版は成り立たない。また悶々の日々です。
このような訳でなかなか方向が定まらなく、試行錯誤のTennisnakamaではありますが、これからもよろしくお付き合いのほどをお願いします。
ブログだから、「コメントに書いたことは責任もたなくてもよい」、という方もいるでしょうね・・・どうせ誰が書いているのか分からないのだから。
ここでおこがましくも、ブログはどうあるべきなどと述べるつもりは、さらさらありません。ただ、人によってブログの持つ意味が、実に様々だということをここ半年で学びました。いろんな方に読んで頂いて感激すると同時に、ブログの持つ責任の重さも痛感しているころごろです。昨日ちょっと気になることを耳にしたものですから(私が別の名前を使って他所のブログにコメント記事を寄稿しているという疑惑)、今日は私のブログを読んで頂いてる方々に、Tennisnakamaの名のもとで私が何をやりたいのかを、知っていただきたくて書いております。
私には一人息子がおります。彼が小学校一年のときです。私が世界中を駆け回って、TVの仕事、雑誌の仕事、広告の仕事を精力的にこなしているときでした。睡眠時間は3時間。出張は、子供とベビーシッターを連れて、決して息子には寂しい思いをさせず、精一杯がんばってきました。時間があれば、子供と一緒に遊ぶ時間をつくり、何とか仕事と両立させてきたと自分では信じていたのです。
ところがある日、怪我では絶対泣かない彼が泣きじゃくっているのです。
「マミー、お家にいてほしい! 僕は他の子供たちのようになりたくない!」
他の子供たちというのは、彼のクラスメートのことです。夕食を両親と食べることのない子供たちのことです。自家用飛行機を持って別荘に飛んでいっても、両親はほとんど一緒に過ごしてくれない子供のことです。キャリアに明け暮れる夫婦。社交界に明け暮れる夫婦。息子はそういうクラスメートの寂しさを知り尽くしているため、泣いて私に「僕はあの子供達の仲間入りはしたくない!」と訴えたのでした。
もう12年前の話です。彼が泣いたのは、あれが最初で最後でした。キャリアとしては全盛期だったのですが、迷いはありませんでした。それ以来、国際祭りを主催し、音楽会を開催し、サッカーコーチをやり、テニスチームのキャプテンをやり、そして様々なヴォランティア活動を精力的に行ってきましたが、これらはすべて仮の自分であるという思いがいつもありました。
昨年の9月、やっと息子が大学に入り、やっとこれから自分のやりたいことが出来る、と胸が騒ぎましたが・・・でも何を本当にやりたいのか、何が生き甲斐なのか、果たしてこれからどうやって生きていけばよいのか? 疑問ばかりで答えの見つからない自分に出会うばかり。悶々と自問自答するなかで、3度の飯よりも好きな「テニス」について書きたいという願望が自然に生まれてきたのです。今まで日本のウェブはあまり見たことが無かったのですが、どのオンライン・スポーツのサイトにもテニスの欄がないことに気付きました。これには愕然としました。アメリカもテニスはマイナーですが、日本はもっとマイナーです。日本での世界テニス情報は限られています。日本のテニスファンのために、ひょっとして役立てるかも知れない! という訳でウェブサイトやブログを始めて半年が経ちました。いろいろ皆さんに励ましていただきながら、何とか続けることができました。
ところでヨハンの「仕事を一緒にやろうよ」の話はどうなってるの?
実は中断しているのは、本当にテニスだけを書きたいのか?と新たな疑問が湧いてきたからです。「テニスだけはなく、政治、文化、いろんなことを語っていきたい」エッセーを書いていた頃の楽しさが蘇ってきました。でもそうするとTennistalkの日本語版は成り立たない。また悶々の日々です。
このような訳でなかなか方向が定まらなく、試行錯誤のTennisnakamaではありますが、これからもよろしくお付き合いのほどをお願いします。