tennis365.net テニス365ブログ 新着記事を読む ]    [ テニス365 ホームショッピングニュースログイン ]

Tennisnakama in New York 世界にテニスの輪を広げたいと願っています。元レポーターのTennisnakamaが、ホットな情報やめずらしい話を、ニューヨークからどんどんお届けします。自由にリンクしてください。(記事はすべて〓tennisnakama.comとなっておりますので、無断掲載はご遠慮ください)

Tennisnakama 
最近の記事
さようなら!
12/30 21:24
伝説のパトリック・ラ…
12/28 01:07
伝説のパトリック・ラ…
12/27 01:46
チーズフォンデュをビ…
12/26 08:02
伝説のパトリック・ラ…
12/25 00:16
最新フェデラー・ファ…
12/23 11:27
セントラルパークの雪…
12/22 23:42
エナンがWCでシドニ…
12/21 23:54
ドローの仕組み
12/21 03:10
タイガーvsピューマ…
12/19 01:46
フェデラーもちょっと…
12/16 22:45
フェデラーのスイスで…
12/15 11:28
サフィンが語るサフィ…
12/11 11:37
サフィン「僕は奇跡だ…
12/10 10:21
さよならサフィン
12/08 01:45
カテゴリ別アーカイブ
このブログサービスは「テニス365 テニスブログ」で運営しています。テニス365会員なら無料でご利用・作成いただけます。






アンディ・マリー戦争

「アンディ・マリーは一夜にしてヒーローになった。しかしなったところはアメリカだけだった。」

マリーのUS Openの決勝戦について、イギリスの名門新聞『タイムズ』の記事が、「イギリスはアンディ・マリーを愛せるようになるだろうか?」の題で皮肉たっぷりに書いています。
http://timesonline.typepad.com/sports_commentary/2008/09/will-britain-le.html

なぜ英国人がスコティッシュのアンディによくやった!と褒めてやらないのか?

なぜイングリッシュがアンディを認めたがらないか?

(英語でEnglishは正確に言えば、イングランドに生まれた人をさし、ここではイギリス人と訳すると混乱しますので、イングリッシュと呼びます。いわゆる私たちが言っている英国生まれは、ブリティッシュBritishです。区別をはっきりさせるために、ここでは英国人としました。)

スコットランドとイングランドの関係は、例えれば仲の悪い兄弟のようなもので、英国に住んだ経験がないと、想像するのはむずかしいと思いますが、アンディ・マリーの決勝戦でこの二国の関係が表面化してきました。何しろFirst Warから700年の間に、何度も引き起こしてして来た戦争の傷がまだ癒えないで今日に至っているのですから根が深いのです。

アンディが英国でヒーローになれないのは、この対抗意識からくることも原因ですが、また価値観の違いも浮上してとても興味深いのです。コメントではマリー派、アンチ・マリー派に真っ二つに分かれて喧々囂々。その有様を「マリー戦争」とひやかして書いている私としては、同じ英国人なのだからマリーを応援してやればよいのにと思うのですが、誇り高きイングリッシュにとっては、マリーは受け入れがたいのです。ティム・ヘンマンのような清潔で礼儀正しい選手は誇りに思うが、マリーはパンクみたいでヒゲが汚らしい。マナーがなっていない。態度が大きい。ウィンブルドンのガスケ戦で見せた、勝利の腕こぶのみせびらかしが下品だった。と、いくらでも気に入らないことがあるようです。つまりチャンピオンとしてふさわしくないのです。

murraywar


スコティッシュも負けておらず、あの堅苦しいヘンマンの紳士面は気に入らない。それに比べてマリーは正直で面白い。皆がヘンマンになってしまえば、テニスもつまらなくなって誰も見ないだろう、という訳です。

英国ローン協会出身のヘンマンは、ジェントルマンの象徴ですが、アンディはスポイルされたわがままな若造というイメージでこの二人は絶えず比較されてきました。しかし今回は特別に理由があるのです。 アンディが記者会見で、サッカー選手権について質問されたとき、「スコットランドは、他のチームに負けても、イングランドだけには負けてほしくない」と冗談のつもりで言った言葉が一人歩きして、アンディはイギリスのメディアから非難ゴウゴウの集中豪雨にあってしまいました。 実はその前にヘンマンとマリーの間で「サッカー・トラッシュ・トーク」(サーッカーチームのこき下ろし合い)が冗談で交わされていたという背景を知らないプレスは、アンディの軽い冗談を大々的に報道したものですから、イングリッシュはムッときたのは当然です。しかもアンディは昔から、英国のテニスに対して批判的で、そのためにスペインでテニスを修行したのですから、イングリッシュにとってはますます面白くないのです。

「僕はアンディは傲慢で好きでないよ。スコッティッシュだけれど、フェデラーを応援したよ」
「僕はイングリッシュだけれどヘンマンはつまらん。アンディーのファンなんだ」
という裏切り者もぞくぞくでてきて、ブログのマリー戦争は収拾がつかなくなってきました。

このマリー戦争が、単純なスコティッシュvsイングランドの民族対立だけにとどまらないのは、「チャンピオンとはどうあるべきか?」という個人の価値感に深く根ざした問題だからでしょう。

まだ21才のアンディは、今はまだ自分の個性を生かしつつチャンピオンにふさわしい選手になる成長の過渡期です。フェデラーがラケットをコートに投げて怒りを表現することをやめ、言葉の選び方も相手をけなすことなく意見を述べられるようになってくるまでかなりの時間を要しています。

私のブログでも『錦織選手の今後の課題』で、ITOの問題と共にこのチャンピオンとは何かの問題に触れていますが、価値観の違いからいろいろ反響を呼んでしまいました。

しかし「チャンピオンとは?」「ヒーローとは?」の答えはとてもシンプルだと思うのです。時代を超え、国境を超え、ジェネレーションを超えた答えがヒーローなのです。子供は複雑な問題のコアを本能的に見分ける能力があります。子供たちが「彼のようになりたい」と思える選手が、チャンピオンでありヒーローだと思うのです。

          「 正々堂々と戦う正義の味方」

この基本さえ押さえておけば、いろんなヒーローが出現してもよいと思うのですが。


投稿者 Tennisnakama  05:52 | コメント(9) | トラックバック(0)