2008年09月13日
2008年を振り返って
ちょっと早いのですが4GSが終了したところで、これまでの2008年を振り返ってみたいと思います。
まずナダルファンにとっては、夢のような年でしたね。2個のGSタイトルに金メダルのおまけまでつきました。ゴールデンスラムとまではいきませんでしたが、4年後が楽しみです。
(ゴールデンスラムという言葉は、1988年にシュテフィ・グラフが一年間に4個GSのタイトルとオリンピックの金メダルをとったことから名付けられました。これを正確には、カレンダーイヤー・ゴールデンスラムCalendar Year Golden Slamと呼びますが、これはグラフが最初で最後です。いろんなゴールデンスラムがありますので、説明は次回にまわします。)
それにしても22才のナダルは、テニスの歴史の流れを大きく変える原動力となりました。ウィリアムズ姉妹が女子テニスをパワーテニスに変えてしまったように、男子テニスは、もはやナダルのようなアスレティズムとパワーをもたなければ、トップランキングは不可能になりました。
フェデラーファンにとっては、2008年は最後のグランドスラムのUS Openをフェデラーの優勝で幕を閉じるという、スウィートなハッピーエンドの年となりました。スイスでの彼の評判は、世界の人気に比べてもう一つ芳しくなかったのは、デ杯よりも自分の記録を優先させてきたからですが、オリンピックでダブルスに優勝したフェデラーは、デ杯に出場することを決意しました。金メダル獲得は、今まで味わうことのなかった母国のために戦う誇りと喜びを彼にもたらしたのです。故郷のバーゼルでのパレードは、その彼に対するプレゼントでもあったわけですが、3000人の故郷の人々に温かく迎えられたフェデラーは、ますます意気高揚。昔のフェデラーが帰ってきたというより、個人を超えた崇高な目的に燃える新しいフェデラーの誕生です。
日本のテニスファンにとっては、センセーショナルな錦織選手の登場によって、想像を超すエクサイティングな年となりました。2月にトップ10のブレイクを破り、US Openで4位のフェレールを破った快挙は、まさに夢を見る気持ちに近いものがありました。私はNYに住むおかげで、4度も彼の試合を観戦できたことは、本当に幸せなことでした。「デルポトロのような巨大でパワフルな選手が続出しているプロテニス界で、錦織選手が今後どのように戦っていかなければならないか」その答えはフィジカルの強化と、マレーがデルポトロを打倒した「頭をつかった作戦力」にあると確信しました。
Tennisnakamaにとっては、自己発見の2008年でした。1月に好奇心からウェブサイトとブログを始めて以来、「テニスを書く、撮る、語る」ことに没頭できた幸せな年となりました。まだ自分に残っている情熱を発見できたことは、何よりも嬉しい貴重な体験でした。ただ漠然と始めたオンラインテニスマガジン、Tennisnakama.comでしたが、方向性が見え始めたような気がしています。
Tennisnakama in New Yorkの記事は、親サイトの Tennisnakama.comから転載していますが、 記事に寄せられるコメントが面白く、フィードバックがルアルタイムで戻ってくるので、書きがいがあります。おかげさまでヒット数もコンスタントに増え、毎日の平均は5000を上回るようになりました。ヒット数からは具体的にどれだけの人々に読んでいただいているか分かりませんが、多くの方たちに読んでいただいている責任の重さを感じております。
まずナダルファンにとっては、夢のような年でしたね。2個のGSタイトルに金メダルのおまけまでつきました。ゴールデンスラムとまではいきませんでしたが、4年後が楽しみです。
(ゴールデンスラムという言葉は、1988年にシュテフィ・グラフが一年間に4個GSのタイトルとオリンピックの金メダルをとったことから名付けられました。これを正確には、カレンダーイヤー・ゴールデンスラムCalendar Year Golden Slamと呼びますが、これはグラフが最初で最後です。いろんなゴールデンスラムがありますので、説明は次回にまわします。)
それにしても22才のナダルは、テニスの歴史の流れを大きく変える原動力となりました。ウィリアムズ姉妹が女子テニスをパワーテニスに変えてしまったように、男子テニスは、もはやナダルのようなアスレティズムとパワーをもたなければ、トップランキングは不可能になりました。
フェデラーファンにとっては、2008年は最後のグランドスラムのUS Openをフェデラーの優勝で幕を閉じるという、スウィートなハッピーエンドの年となりました。スイスでの彼の評判は、世界の人気に比べてもう一つ芳しくなかったのは、デ杯よりも自分の記録を優先させてきたからですが、オリンピックでダブルスに優勝したフェデラーは、デ杯に出場することを決意しました。金メダル獲得は、今まで味わうことのなかった母国のために戦う誇りと喜びを彼にもたらしたのです。故郷のバーゼルでのパレードは、その彼に対するプレゼントでもあったわけですが、3000人の故郷の人々に温かく迎えられたフェデラーは、ますます意気高揚。昔のフェデラーが帰ってきたというより、個人を超えた崇高な目的に燃える新しいフェデラーの誕生です。
日本のテニスファンにとっては、センセーショナルな錦織選手の登場によって、想像を超すエクサイティングな年となりました。2月にトップ10のブレイクを破り、US Openで4位のフェレールを破った快挙は、まさに夢を見る気持ちに近いものがありました。私はNYに住むおかげで、4度も彼の試合を観戦できたことは、本当に幸せなことでした。「デルポトロのような巨大でパワフルな選手が続出しているプロテニス界で、錦織選手が今後どのように戦っていかなければならないか」その答えはフィジカルの強化と、マレーがデルポトロを打倒した「頭をつかった作戦力」にあると確信しました。
Tennisnakamaにとっては、自己発見の2008年でした。1月に好奇心からウェブサイトとブログを始めて以来、「テニスを書く、撮る、語る」ことに没頭できた幸せな年となりました。まだ自分に残っている情熱を発見できたことは、何よりも嬉しい貴重な体験でした。ただ漠然と始めたオンラインテニスマガジン、Tennisnakama.comでしたが、方向性が見え始めたような気がしています。
Tennisnakama in New Yorkの記事は、親サイトの Tennisnakama.comから転載していますが、 記事に寄せられるコメントが面白く、フィードバックがルアルタイムで戻ってくるので、書きがいがあります。おかげさまでヒット数もコンスタントに増え、毎日の平均は5000を上回るようになりました。ヒット数からは具体的にどれだけの人々に読んでいただいているか分かりませんが、多くの方たちに読んでいただいている責任の重さを感じております。