2008年12月05日
ナダル特集(1)
alala特派員にフランス/レキップ紙 L’Equipe の記事を翻訳していただきました。これほど内容の濃い記事やインタービューは英字新聞ではみつかりません。多分彼の英語のせいだと思いますが、それにしてもalalaさんのご厚意で3回にわけてナダルの特集が組めることになりました。あとの2回はインタービュー記事です。
翻訳 by alala特派員
「コート上のラファとコート外のラファ」
私(記者)の母は、ナダルがあまり好きではない。母がナダルを見るのは大抵ローラン・ギャロスのときだが、その度彼女はこう言うのだ。
「ああ、このナダルっていうのは、意地悪そう。フェデラーはそんなことないわよ、物静かで…まるでボールをやさしくなでているかのよう…。ナダルは激しすぎて私のスタイルじゃないわ」。(中略)
しかし、母や彼女に賛同する「ナダルをトゥーマッチだと思う会」の会員たちは、ナダルのほんの一部分しか見ていない。(中略)いったんコートを去ると、ナダルは本当に心優しい青年だ。
毎日アパートの踊り場で顔を合わせるたびに挨拶をし、エレベーターのドアを開けておいてくれる、そんな隣の家の息子という感じだ。記者会見は、必ず英語を話す記者たちに「ハロー」で始め、それが終わると「オーラ」とスペインの記者たちに挨拶をする。会見では自分のお尻のことを冗談にしてみたり、英語でうまく説明できないときは、ボディランゲージを一生懸命駆使して何とか伝えようとする。英語が得意でないために、思わぬ表現を使って記者たちを笑わせることもたびたび。そのことに気づくと彼も一緒に笑ってしまう。
今年のUSオープン、マーディ・フィッシュとのクオーター・ファイナルは深夜にまで及んだ。試合後インタビュールームで待ちわびていた記者たちにナダルは言った。
「こんなに遅くまで待っていただいてありがとうございます。こんな時間になってしまって申し訳ないけれど、念入りにマッサージを受ける必要があったものだから…」。
そして会見が終わると、「さあ、みんな寝ましょう!おやすみなさい。そして遅くなったこと、もう一度おわびします」
たいしたことではないかもしれない。けれど、選手たちのみんながみんな、こういう気遣いをできるものではない。
一枚もCDを出していないにもかかわらず、ナダルは今ではロックスターのような存在だ。彼がどこにいても、「グルーピー」たちが彼を待ち構えている。今年のUSオープンが始まってすぐに、彼のコンピューターが「あの世」に行ってしまった。そこで彼は新しいコンピューターを買うことにした。何も考えずに5番街のアップルストアに彼は行くことにしたのだが、車を降りるやいなや群集に取り囲まれ、引き返さざるを得なかったという。彼は新しいコンピューターをあきらめざるをえなかったというエピソードがある。
ナダルはいまや、自分がなりたいと一度も考えてもみなかったような存在になってしまった。ナダルが15歳のときから彼のそばにいるポルタは次にようにコメントしている。
「16歳のとき、すでにラファはスペインでは顔を知られるようになっていました。あるとき私たちが空港にいると、若い女の子がやってきて、彼にサインを求めたんです。だけどラファは彼女が何を欲しがっているのかわかっていなかった。自分がサインを求められるなんてありえないって思ったんです。それで彼は『こんにちは。僕、ラファエル・ナダルっていいます。よろしく』と自己紹介したんですよ。みんな大笑いして『おいおい、彼女はお前が誰だか知ってるよ。お前のサインを欲しがってるんだ』と教えてやりました」
そのナダルも今では100万を超えるサインをしたことだろう。どのサインも、右手で書かれたものだ。特に子供にサインをねだられたときに、彼がよくやる冗談がある。子供が恥ずかしそうに近づいてきてサインをねだると、ナダルは怒った顔をして「だめ、だめ、だめ、時間がないんだ」と言う。それから急ににっこりして、彼は言うのだ。「うそうそ、冗談だよ。もちろんサインしてあげる。名前はなんていうの?」
ナダルは威張ったりもったいぶったところが全くない。彼はまだ子供のままだ。だから、人はみな彼を何だか憎めないのだ。その気取らなさといえば思い出すのが2005年のローマでフルセットの末コリアを破った決勝後の記者会見だ。彼は会見の席で、パスタをむしゃむしゃ食べながら記者の質問に答えた。
「ごめんなさい。あんまり行儀がいいとはいえないのはわかってるんですけど、もうお腹がペコペコで。決勝戦が5時間にもわたってしまったものだから…。すみません」
こういった好感の持てる態度を、彼は教科書で学んだわけではない。大体、彼は本を読むのがそれほど好きではないのだ。彼のお手本である人物は、今彼の横で座りながらチェスの有名選手ゲルリー・カスパロフの物まねをやっている最中。彼の名前はアントニオ。通称トニー。ナダルのおじであり、コーチ、そして世界中のプレイヤーズラウンジでチェスの名手として知られる男だ。
「ラファのことなら彼に聞いたらいい。何でも知っているから」とナダルの父、セバスチャンは言う。では聞いてみよう。ラファエルはなぜ、コートの上ではあんなに激しく、コートの外ではあんなに穏やかなのだろう。
「それは彼が、コートにいるときには勝つことしか考えていないからですよ。試合が終われば、勝っても負けても、彼はいつものラファエルに戻るんです。私たちマヨルカの人間は、穏やかな気質なんです。マヨルカでは、マドリードのようなにぎやかな大騒ぎはないんですよ。あななたちはよく、ラファエルがあなたたちと握手をかわし挨拶をすることを、すばらしいといってくれるけれど、彼はあなたたち記者のことを知っているわけだし、当たり前のことですよ。とりわけすごいことじゃない。20歳そこそこの男の子にとって普通のことって何でしょうか?世界中がうらやむ宮殿で王子としてあがめられることですか?それとも、友達と遊びに出かけること?ラファエルは、何が本当に大切なのか知っているんです」
ラファエルは自分を神だと思ってなどいないし、そんなつもりもない。彼がそんなことを思えば、おじのトニーは彼に故郷を思い出すよう言うだろうし、父のセバスチャンは親子の縁を切るだろう。セバスチャンは言う。
「私は常にラファエルに言っています。今のこの暮らし、チャンピオンとしての暮らしは今だけのものだと。大切なのはそれが終わったときなんです。年月が過ぎ、選手でなくなったとき、ひとりの人間になる。そのときなんだと。」。
だからこそ、故郷マヨルカでは誰も彼を特別扱いしない。
「家では私が父親で、ラファエルは他の家の息子たちと同じように、私の息子なんです。家族でレストランに行くと、支払いをするのは彼ではなく私です。父親ですからね」。
彼の友人たちも同じだ。大金持ちであろうとなかろうと、誰もが自分の飲み物は自分で払う。きわめてシンプルなのだ。ナダルはプライベートジェットで旅をすることはないし、ジュネーブやドバイではなく故郷マナコールで暮らし続けている。
数年前、初めてオーストラリアン・オープンに出場したとき、ナダルはメルボルンの高級ホテルに泊まることを拒んだ。そんな待遇にふさわしいことを自分はまだ何一つしていないと思ったからだ。スペイン人のある女性記者から、信じられないような話を聞いた。割りと最近のことだが、ラファエルはコンピューターを壊してしまった(これは全く驚くにあたらないが)。毎日のように、彼のまわりの人々が新しいコンピューターを買うように言うのだが、彼ははぐらかしてしまう。あとでわかったことだが、彼はまず父親に新しいコンピューターを買ってもいいか聞こうとしていたのだ。
つまりこういうことだ。彼は今や超のつく金持ちだ。けれど、自分の大切な人やものに対する忠誠心を忘れることはない。彼の故郷の島に、おじのトニーに、14歳の時からの恋人マリア・フランシスカ(当時彼女は12歳だった)に、忠誠心を持ち続けている。
トニーの語る価値観は、常に仕事を基本にしたものだ。
「ギリシアの哲学者たちは幸福の起源について考え続けていました。幸福は、仕事から生まれるのか、それとも快楽から生まれるのか。禁欲的か快楽的かといったら、私もラファエルもストイックな禁欲主義者です。幸福は、働くことと規律正しさから生まれると私は思います。ラファエルが小さかったとき、私は彼に対して厳しかった。私はわざと悪いボールで練習をさせました。人生では、自分の持っていないものに不満を言うのではなく、自分の持っているものを生かして何とかやっていくことが大切なんだと彼にわかって欲しかったのです。コートの状態が悪い?わかってる、わかってる。さあ、試合だ。俺に何も言うな、お前がどんな文句を言っても聞かないよ。ただ、試合をして来い。そう言いました。こうして逆境を乗り越えることを覚えて欲しかったんです」。
だから、ナダルはラケットを絶対にコートに打ち付けない。「たった一回だけ、やっちゃったことがありますよ。ローラン・ギャロスでシューズの裏についた土を落とそうとして、地面を叩いちゃったんです」と、トニーは冗談を言う。またこの自分への厳しさゆえに、ラファエルは自分の限界を超えてしまうことがある。この若者は、他の選手たちと比べても相当痛みに対して我慢強い。13歳の時、彼はスペイン選手権を戦っていた。ある試合中彼は転倒し、小指を骨折してしまったのだ。甥の心中を推し量るトニーに、ラファエルは言った。
「これでは試合に勝つのは大変かもしれない。だけど僕に勝つのは大変なことなんだと相手の選手もわかると思うよ」。
2004年、エストリルでのガスケ戦を、右足の疲労骨折にもかかわらず棄権することを拒んだ彼のことも忘れられない。トニーは言う。
「試合に出ることで、怪我が悪化することだって考えられました。でもどうしても棄権したがらなかった。前の年にサン・ジャン・ドゥ・リュスでライバルとの試合を棄権して、また同じことをしたくなかったんでしょう」
私の母は言うだろう。
「ほんとにこのナダルっていうのは、激しすぎるわ」。でも、それは完全なる誤解なのだ。
L'Equipeにて:パリマスターズの前日インタービュー(10月26日)
最後にラファがフランス語をしゃべりますが、たどたどしくてとてもキュートです
翻訳 by alala特派員
「コート上のラファとコート外のラファ」
私(記者)の母は、ナダルがあまり好きではない。母がナダルを見るのは大抵ローラン・ギャロスのときだが、その度彼女はこう言うのだ。
「ああ、このナダルっていうのは、意地悪そう。フェデラーはそんなことないわよ、物静かで…まるでボールをやさしくなでているかのよう…。ナダルは激しすぎて私のスタイルじゃないわ」。(中略)
しかし、母や彼女に賛同する「ナダルをトゥーマッチだと思う会」の会員たちは、ナダルのほんの一部分しか見ていない。(中略)いったんコートを去ると、ナダルは本当に心優しい青年だ。
毎日アパートの踊り場で顔を合わせるたびに挨拶をし、エレベーターのドアを開けておいてくれる、そんな隣の家の息子という感じだ。記者会見は、必ず英語を話す記者たちに「ハロー」で始め、それが終わると「オーラ」とスペインの記者たちに挨拶をする。会見では自分のお尻のことを冗談にしてみたり、英語でうまく説明できないときは、ボディランゲージを一生懸命駆使して何とか伝えようとする。英語が得意でないために、思わぬ表現を使って記者たちを笑わせることもたびたび。そのことに気づくと彼も一緒に笑ってしまう。
今年のUSオープン、マーディ・フィッシュとのクオーター・ファイナルは深夜にまで及んだ。試合後インタビュールームで待ちわびていた記者たちにナダルは言った。
「こんなに遅くまで待っていただいてありがとうございます。こんな時間になってしまって申し訳ないけれど、念入りにマッサージを受ける必要があったものだから…」。
そして会見が終わると、「さあ、みんな寝ましょう!おやすみなさい。そして遅くなったこと、もう一度おわびします」
たいしたことではないかもしれない。けれど、選手たちのみんながみんな、こういう気遣いをできるものではない。
一枚もCDを出していないにもかかわらず、ナダルは今ではロックスターのような存在だ。彼がどこにいても、「グルーピー」たちが彼を待ち構えている。今年のUSオープンが始まってすぐに、彼のコンピューターが「あの世」に行ってしまった。そこで彼は新しいコンピューターを買うことにした。何も考えずに5番街のアップルストアに彼は行くことにしたのだが、車を降りるやいなや群集に取り囲まれ、引き返さざるを得なかったという。彼は新しいコンピューターをあきらめざるをえなかったというエピソードがある。
ナダルはいまや、自分がなりたいと一度も考えてもみなかったような存在になってしまった。ナダルが15歳のときから彼のそばにいるポルタは次にようにコメントしている。
「16歳のとき、すでにラファはスペインでは顔を知られるようになっていました。あるとき私たちが空港にいると、若い女の子がやってきて、彼にサインを求めたんです。だけどラファは彼女が何を欲しがっているのかわかっていなかった。自分がサインを求められるなんてありえないって思ったんです。それで彼は『こんにちは。僕、ラファエル・ナダルっていいます。よろしく』と自己紹介したんですよ。みんな大笑いして『おいおい、彼女はお前が誰だか知ってるよ。お前のサインを欲しがってるんだ』と教えてやりました」
そのナダルも今では100万を超えるサインをしたことだろう。どのサインも、右手で書かれたものだ。特に子供にサインをねだられたときに、彼がよくやる冗談がある。子供が恥ずかしそうに近づいてきてサインをねだると、ナダルは怒った顔をして「だめ、だめ、だめ、時間がないんだ」と言う。それから急ににっこりして、彼は言うのだ。「うそうそ、冗談だよ。もちろんサインしてあげる。名前はなんていうの?」
ナダルは威張ったりもったいぶったところが全くない。彼はまだ子供のままだ。だから、人はみな彼を何だか憎めないのだ。その気取らなさといえば思い出すのが2005年のローマでフルセットの末コリアを破った決勝後の記者会見だ。彼は会見の席で、パスタをむしゃむしゃ食べながら記者の質問に答えた。
「ごめんなさい。あんまり行儀がいいとはいえないのはわかってるんですけど、もうお腹がペコペコで。決勝戦が5時間にもわたってしまったものだから…。すみません」
こういった好感の持てる態度を、彼は教科書で学んだわけではない。大体、彼は本を読むのがそれほど好きではないのだ。彼のお手本である人物は、今彼の横で座りながらチェスの有名選手ゲルリー・カスパロフの物まねをやっている最中。彼の名前はアントニオ。通称トニー。ナダルのおじであり、コーチ、そして世界中のプレイヤーズラウンジでチェスの名手として知られる男だ。
「ラファのことなら彼に聞いたらいい。何でも知っているから」とナダルの父、セバスチャンは言う。では聞いてみよう。ラファエルはなぜ、コートの上ではあんなに激しく、コートの外ではあんなに穏やかなのだろう。
「それは彼が、コートにいるときには勝つことしか考えていないからですよ。試合が終われば、勝っても負けても、彼はいつものラファエルに戻るんです。私たちマヨルカの人間は、穏やかな気質なんです。マヨルカでは、マドリードのようなにぎやかな大騒ぎはないんですよ。あななたちはよく、ラファエルがあなたたちと握手をかわし挨拶をすることを、すばらしいといってくれるけれど、彼はあなたたち記者のことを知っているわけだし、当たり前のことですよ。とりわけすごいことじゃない。20歳そこそこの男の子にとって普通のことって何でしょうか?世界中がうらやむ宮殿で王子としてあがめられることですか?それとも、友達と遊びに出かけること?ラファエルは、何が本当に大切なのか知っているんです」
ラファエルは自分を神だと思ってなどいないし、そんなつもりもない。彼がそんなことを思えば、おじのトニーは彼に故郷を思い出すよう言うだろうし、父のセバスチャンは親子の縁を切るだろう。セバスチャンは言う。
「私は常にラファエルに言っています。今のこの暮らし、チャンピオンとしての暮らしは今だけのものだと。大切なのはそれが終わったときなんです。年月が過ぎ、選手でなくなったとき、ひとりの人間になる。そのときなんだと。」。
だからこそ、故郷マヨルカでは誰も彼を特別扱いしない。
「家では私が父親で、ラファエルは他の家の息子たちと同じように、私の息子なんです。家族でレストランに行くと、支払いをするのは彼ではなく私です。父親ですからね」。
彼の友人たちも同じだ。大金持ちであろうとなかろうと、誰もが自分の飲み物は自分で払う。きわめてシンプルなのだ。ナダルはプライベートジェットで旅をすることはないし、ジュネーブやドバイではなく故郷マナコールで暮らし続けている。
数年前、初めてオーストラリアン・オープンに出場したとき、ナダルはメルボルンの高級ホテルに泊まることを拒んだ。そんな待遇にふさわしいことを自分はまだ何一つしていないと思ったからだ。スペイン人のある女性記者から、信じられないような話を聞いた。割りと最近のことだが、ラファエルはコンピューターを壊してしまった(これは全く驚くにあたらないが)。毎日のように、彼のまわりの人々が新しいコンピューターを買うように言うのだが、彼ははぐらかしてしまう。あとでわかったことだが、彼はまず父親に新しいコンピューターを買ってもいいか聞こうとしていたのだ。
つまりこういうことだ。彼は今や超のつく金持ちだ。けれど、自分の大切な人やものに対する忠誠心を忘れることはない。彼の故郷の島に、おじのトニーに、14歳の時からの恋人マリア・フランシスカ(当時彼女は12歳だった)に、忠誠心を持ち続けている。
トニーの語る価値観は、常に仕事を基本にしたものだ。
「ギリシアの哲学者たちは幸福の起源について考え続けていました。幸福は、仕事から生まれるのか、それとも快楽から生まれるのか。禁欲的か快楽的かといったら、私もラファエルもストイックな禁欲主義者です。幸福は、働くことと規律正しさから生まれると私は思います。ラファエルが小さかったとき、私は彼に対して厳しかった。私はわざと悪いボールで練習をさせました。人生では、自分の持っていないものに不満を言うのではなく、自分の持っているものを生かして何とかやっていくことが大切なんだと彼にわかって欲しかったのです。コートの状態が悪い?わかってる、わかってる。さあ、試合だ。俺に何も言うな、お前がどんな文句を言っても聞かないよ。ただ、試合をして来い。そう言いました。こうして逆境を乗り越えることを覚えて欲しかったんです」。
だから、ナダルはラケットを絶対にコートに打ち付けない。「たった一回だけ、やっちゃったことがありますよ。ローラン・ギャロスでシューズの裏についた土を落とそうとして、地面を叩いちゃったんです」と、トニーは冗談を言う。またこの自分への厳しさゆえに、ラファエルは自分の限界を超えてしまうことがある。この若者は、他の選手たちと比べても相当痛みに対して我慢強い。13歳の時、彼はスペイン選手権を戦っていた。ある試合中彼は転倒し、小指を骨折してしまったのだ。甥の心中を推し量るトニーに、ラファエルは言った。
「これでは試合に勝つのは大変かもしれない。だけど僕に勝つのは大変なことなんだと相手の選手もわかると思うよ」。
2004年、エストリルでのガスケ戦を、右足の疲労骨折にもかかわらず棄権することを拒んだ彼のことも忘れられない。トニーは言う。
「試合に出ることで、怪我が悪化することだって考えられました。でもどうしても棄権したがらなかった。前の年にサン・ジャン・ドゥ・リュスでライバルとの試合を棄権して、また同じことをしたくなかったんでしょう」
私の母は言うだろう。
「ほんとにこのナダルっていうのは、激しすぎるわ」。でも、それは完全なる誤解なのだ。