2009年01月29日
Winning Ugly
ナダルvsシモンの試合は期待したように見応えのある試合でした。ブラッド・ギルバートは試合の始まる前に、シモンの勝つチャンスは0.00%だと言ってました。このようにまず勝ち目はないとみなされた試合に、全身全霊を傾けてたとえストレートで負けたとはいえ、シモンの2-6, 5-7, 5-7のスコアは立派でした。この魂がデルポトロには欠けていたように思います。この差はメンタルの差だとよく言われますが、ではメンタルとはどういうことなのでしょうか?
最近はメンタルという言葉ですべてを片付けてしまいがちですが、このメンタルという言葉は様々なlayer(日本語では層ですが、的訳が見つからないので英語のまま書きます)を含んでいます。シモンとデルポの差は、メンタルの一つ「勝つ事への執念」だったと思います。デルポは試合前からフェデラーにすでに負けていました。「彼にはどうせ勝てないのだから」といった気持が、最後にはむくむくと膨れ上がってしまって、打つ手を失ってしまったように思います。
私がシモンを好きなのは、あの今にも死にそうな顔をしながら、球を追い続け、最後まで諦めず、作戦をねりつづける魂にみせられるからです。この魂が不可能と思われた、ナダル、フェデラー、ジョコの打倒を可能にしました。
ナダルはシモンはとてもやり辛い選手だと述べていました。パワーで圧倒していけないシモンは「相手にリズムを与えないテニス」で徐々に駒を進めていくしぶとさがあります。この「しぶとさ」もひとつのメンタルです。しかも42のウィナーを打っています。トロトロとラリーを続けているかと思えば、突如打ち放たれる爆発的なインサイドアウト(日本では逆クロス)のフォアハンドはスリリングでした。
しかしナダルはますます強くなってきましたね。もうオールラウンドプレーヤーです。それに新しいフォアハンド(ワイパー)もウィナーが気持よく決まっています。昔はあまり作戦には興味ないといっていましたが、最近の彼は頭を使ったテニスをしていて(すみません)ますます魅力を増してきました。
ギルバートの有名な著書に「Winning Ugly」がありますが、「どんなみっともないことをしても勝つ」ことの重要性を説いています。「美しいテニス」をすることに喜びを見いだす、つまり芸術派タイプは、勝っても勝ち方が気に入らないときは素直に喜べない。このタイプがサフィンです。しかしWinning is Everythingと試合の勝敗にすべてをかける選手は、テニスは勝つためにプレーをするのであって、美しさのためにプレーするのではない。このタイプがナダルです。
フェデラーはなぜ世界中のテニスファンを魅了するかといえば、この両者のテニスをフェデラーが持ち合わせているからだと思います。バーディッチ戦ではフェデラーはいわゆるWinning Uglyでした。フェデラーがNo.1の座をナダルに奪われた瞬間、芸術家でありつづけなければならないフェデラーの宿命に別れを告げる事ができたと思います。「完璧なテニス」を期待され続けてきたフェデラーは、この自分のイメージから解放されました。今でももちろんNo.1を狙うフェデラーではありますが、一度陥落したフェデラー王はWinning Uglyで這い上がるカムバックキッドのフェデラーが許されるのです。
これからどれだけ「フェデラーらしくないテニス」をして勝っていけるか、新しい挑戦がフェデラーには待ち受けています。
最近はメンタルという言葉ですべてを片付けてしまいがちですが、このメンタルという言葉は様々なlayer(日本語では層ですが、的訳が見つからないので英語のまま書きます)を含んでいます。シモンとデルポの差は、メンタルの一つ「勝つ事への執念」だったと思います。デルポは試合前からフェデラーにすでに負けていました。「彼にはどうせ勝てないのだから」といった気持が、最後にはむくむくと膨れ上がってしまって、打つ手を失ってしまったように思います。
私がシモンを好きなのは、あの今にも死にそうな顔をしながら、球を追い続け、最後まで諦めず、作戦をねりつづける魂にみせられるからです。この魂が不可能と思われた、ナダル、フェデラー、ジョコの打倒を可能にしました。
ナダルはシモンはとてもやり辛い選手だと述べていました。パワーで圧倒していけないシモンは「相手にリズムを与えないテニス」で徐々に駒を進めていくしぶとさがあります。この「しぶとさ」もひとつのメンタルです。しかも42のウィナーを打っています。トロトロとラリーを続けているかと思えば、突如打ち放たれる爆発的なインサイドアウト(日本では逆クロス)のフォアハンドはスリリングでした。
しかしナダルはますます強くなってきましたね。もうオールラウンドプレーヤーです。それに新しいフォアハンド(ワイパー)もウィナーが気持よく決まっています。昔はあまり作戦には興味ないといっていましたが、最近の彼は頭を使ったテニスをしていて(すみません)ますます魅力を増してきました。
ギルバートの有名な著書に「Winning Ugly」がありますが、「どんなみっともないことをしても勝つ」ことの重要性を説いています。「美しいテニス」をすることに喜びを見いだす、つまり芸術派タイプは、勝っても勝ち方が気に入らないときは素直に喜べない。このタイプがサフィンです。しかしWinning is Everythingと試合の勝敗にすべてをかける選手は、テニスは勝つためにプレーをするのであって、美しさのためにプレーするのではない。このタイプがナダルです。
フェデラーはなぜ世界中のテニスファンを魅了するかといえば、この両者のテニスをフェデラーが持ち合わせているからだと思います。バーディッチ戦ではフェデラーはいわゆるWinning Uglyでした。フェデラーがNo.1の座をナダルに奪われた瞬間、芸術家でありつづけなければならないフェデラーの宿命に別れを告げる事ができたと思います。「完璧なテニス」を期待され続けてきたフェデラーは、この自分のイメージから解放されました。今でももちろんNo.1を狙うフェデラーではありますが、一度陥落したフェデラー王はWinning Uglyで這い上がるカムバックキッドのフェデラーが許されるのです。
これからどれだけ「フェデラーらしくないテニス」をして勝っていけるか、新しい挑戦がフェデラーには待ち受けています。