2009年06月23日
選手の怪我との闘い
錦織選手とナダルの怪我の問題は、多くのアスリートの共通の深刻な悩みでもあります。今日は選手生命を脅かす怪我の問題について述べてみたいと思います。
錦織圭
6月22日の錦織選手のブログはこのような書き出しで始まっています。
「今日は、最近の気持ちを書いてみようと思います。
一人でも励ましてくれる人がいたらなーと思いつつ。笑
いやいや、気持ちを晴らす為に書きます。」
辛そうです。読んでいて泣けてきました。ボレテリに帰ったものの、プラクティス仲間のハースやステパネックはウィンブルドンに行ってしまって、きっと寂しく取り残されたような気持ちなのでしょうね。
「アメリカに帰ってきてから、トレーニング2日目の時、ふと僕は何をやってるんだろう・・と考えるようになりました。」
「こんな気持ちの中、ふと思ったのが日本に帰りたいってことでした。たぶん相当まいってるんだと、自分でも思います。」
調子がいいときは毎日が充実してホームシックになる時間がないでしょうけれど、辛いことがあるときはやっぱりご両親のいる家に帰りたいのでしょうね。私も若くして海外に長く一人で住んでいましたので、その辛い気持ちは痛いほど分かります。
私はさっそくtennisnakamaの名前で激励のコメントを残しました。 コメント欄ですが、不思議なことに名前を書く欄がないのですね。うっかりこの前は名無しで激励コメントを書いてしまいましたが、これは顔のないファンになってしまいます。名前が書かれていたほうが圭君も喜ぶと思います。ペンネームでも本名でもかまいません。県名も入れるともっとよいかもしれません。全国いろんなところからくる励ましのコメントは嬉しいものです。次回のコメントにはニューヨークを入れるつもりです。
私は仕事をやめ落ち込んでしまってからもう何年もたちますが、こういうときに一番聞きたくない言葉は、哲学的な言葉とお説教地味た言葉です。テニスの話もきっと聞きたくないでしょうね。心が痛んでいる状態がもう他人事とは思えないので、ごちゃごちゃと注文をつけてすみませんが、そのへんを察してあげたいと思います。
励ましエールを圭君に送りましょう。
http://blog.keinishikori.com/index.html
ラファエル・ナダル
今日はウィンブルドンの初日。新しく屋根をつけたセンターコートで、フェデラーが本来の華麗なロジャーテニスを披露して、オープニングにふさわしい一日となりました。しかしやはり昨年のチャンピオンのナダルのいないウィンブルドンは寂しく、TVの解説はナダルの膝の問題に集中していました。
「果たしてナダルの膝はどれほど悪いのか?」
アガシの元コーチのダレン・ケイヒルは、現在ヒューイットのアドヴァイザーをしながら、ESPNの解説をつとめていますが、彼の体験談がとても印象に残りましたので、ここで要約してみたいと思います。
「僕はラファと同じ症状、膝の腱炎で引退せざるをえなくなったので、彼の気持ちが手に取るようにわかるんだ。25歳のときに膝を悪くしてから3年間というもの、それは辛い日々の繰り返しだった。
毎日、アイシングを一日2回。炎症止めの薬。リハビリ。ありとあらゆることをやりながら、よくなったかなと思って試合に出ては、また痛くて動けなくなる。そしてトーナメントを欠場して2~3ヶ月リハビリ。そして出場してはまた同じことの繰り返し。
朝起きると立てないほど痛いときがあるかと思えば、全然痛くないときもある。いつも膝のことは心の片隅にあって気持ちが休まるときがない。
100%で戦えない状態で戦わなければならない、というのは本当に辛いものだ。でもどうしても一度はトップ10になりたかった。僕の長い間の夢だったからね。この夢のために僕は必死に頑張ったよ。 最後はあんまり痛くて、歯を食いしばるために歯止めが必要なほどだった。こんな痛い目にあってなぜ続けていかなければならない。 僕は駄目になってしまったのか。 毎日がこの問いとの闘いだった。
こういう状態では、試合に出てもまた膝が悪化しないかと心配で十分にプレーができない。最後の手段として手術をしたが、もう昔の健康な膝には戻らなかった。医者、リハビリ、アイス、薬の繰り返し。疲れてしまったんだ。精神的にやっていけなくなってしまったんだ。」
この話を聞いて正直ぞーっとしました。どれほど多くの選手が同じ思いで引退していったことか。
ラファは大丈夫なのだろうか? もう無理をしすぎて完治の見込みはないのだろうか? 完治してもあのプレースタイルを続けるかぎり膝がまた悪化することは目に見えています。
アガシが3年ほど前にラファに「今のようなテニスを続けていると若くして引退することになるよ」と忠告したことがあります。これはアガシでなくても素人の私たちでもうすうす抱いていた悪い予感です。
今日の解説者はそろってラファの膝について疑問を投げかけていました。
「なぜ一日8時間ほどもテニスをしなければならないのか?」
「試合が終わったあとでも、なぜ何時間もコートでプラクティスをする必要があるのか?」
これはラファがかわいそうです。もしプラクティスのやりすぎが原因の一つであれば、これはコーチの問題です。しかしあの血のにじむような努力のおかげで、彼はフェデラーからNo.1の座を奪うことができたのです。
フェデラーと比較して「フェデラーは怪我が少ないのだから、彼のようなテニスをすればよい」というのは、ラファであることをやめろと言うようなものです。「一球一球に魂を入れながらプレーする」たとえそのプレースタイルが膝を悪化させる原因になるとわかっていても、彼は最後まで球を追い続けるテニスしかできないのではないかと思います。
アガシの忠告にラファが答えています。「でも僕にはこれしかできないんだ」
このとき私は、「自分を殺したテニスはできない」と言っているように聞こえました。
自分のテニスが出来なければ、たとえそれが選手生命の延命につながることが分かっていても、そんなテニスはやりたくない・・・
スポーツは自己表現のアートフォームだと思います。自殺行為になると分かっていても、自己を偽って表現できない。アーチストとして、スポーツマンとして、険しい道を歩み続けていかなれればならないラファを、これからも見守りながら応援していきたいと思います。
錦織圭
6月22日の錦織選手のブログはこのような書き出しで始まっています。
「今日は、最近の気持ちを書いてみようと思います。
一人でも励ましてくれる人がいたらなーと思いつつ。笑
いやいや、気持ちを晴らす為に書きます。」
辛そうです。読んでいて泣けてきました。ボレテリに帰ったものの、プラクティス仲間のハースやステパネックはウィンブルドンに行ってしまって、きっと寂しく取り残されたような気持ちなのでしょうね。
「アメリカに帰ってきてから、トレーニング2日目の時、ふと僕は何をやってるんだろう・・と考えるようになりました。」
「こんな気持ちの中、ふと思ったのが日本に帰りたいってことでした。たぶん相当まいってるんだと、自分でも思います。」
調子がいいときは毎日が充実してホームシックになる時間がないでしょうけれど、辛いことがあるときはやっぱりご両親のいる家に帰りたいのでしょうね。私も若くして海外に長く一人で住んでいましたので、その辛い気持ちは痛いほど分かります。
私はさっそくtennisnakamaの名前で激励のコメントを残しました。 コメント欄ですが、不思議なことに名前を書く欄がないのですね。うっかりこの前は名無しで激励コメントを書いてしまいましたが、これは顔のないファンになってしまいます。名前が書かれていたほうが圭君も喜ぶと思います。ペンネームでも本名でもかまいません。県名も入れるともっとよいかもしれません。全国いろんなところからくる励ましのコメントは嬉しいものです。次回のコメントにはニューヨークを入れるつもりです。
私は仕事をやめ落ち込んでしまってからもう何年もたちますが、こういうときに一番聞きたくない言葉は、哲学的な言葉とお説教地味た言葉です。テニスの話もきっと聞きたくないでしょうね。心が痛んでいる状態がもう他人事とは思えないので、ごちゃごちゃと注文をつけてすみませんが、そのへんを察してあげたいと思います。
励ましエールを圭君に送りましょう。
http://blog.keinishikori.com/index.html
ラファエル・ナダル
今日はウィンブルドンの初日。新しく屋根をつけたセンターコートで、フェデラーが本来の華麗なロジャーテニスを披露して、オープニングにふさわしい一日となりました。しかしやはり昨年のチャンピオンのナダルのいないウィンブルドンは寂しく、TVの解説はナダルの膝の問題に集中していました。
「果たしてナダルの膝はどれほど悪いのか?」
アガシの元コーチのダレン・ケイヒルは、現在ヒューイットのアドヴァイザーをしながら、ESPNの解説をつとめていますが、彼の体験談がとても印象に残りましたので、ここで要約してみたいと思います。
「僕はラファと同じ症状、膝の腱炎で引退せざるをえなくなったので、彼の気持ちが手に取るようにわかるんだ。25歳のときに膝を悪くしてから3年間というもの、それは辛い日々の繰り返しだった。
毎日、アイシングを一日2回。炎症止めの薬。リハビリ。ありとあらゆることをやりながら、よくなったかなと思って試合に出ては、また痛くて動けなくなる。そしてトーナメントを欠場して2~3ヶ月リハビリ。そして出場してはまた同じことの繰り返し。
朝起きると立てないほど痛いときがあるかと思えば、全然痛くないときもある。いつも膝のことは心の片隅にあって気持ちが休まるときがない。
100%で戦えない状態で戦わなければならない、というのは本当に辛いものだ。でもどうしても一度はトップ10になりたかった。僕の長い間の夢だったからね。この夢のために僕は必死に頑張ったよ。 最後はあんまり痛くて、歯を食いしばるために歯止めが必要なほどだった。こんな痛い目にあってなぜ続けていかなければならない。 僕は駄目になってしまったのか。 毎日がこの問いとの闘いだった。
こういう状態では、試合に出てもまた膝が悪化しないかと心配で十分にプレーができない。最後の手段として手術をしたが、もう昔の健康な膝には戻らなかった。医者、リハビリ、アイス、薬の繰り返し。疲れてしまったんだ。精神的にやっていけなくなってしまったんだ。」
この話を聞いて正直ぞーっとしました。どれほど多くの選手が同じ思いで引退していったことか。
ラファは大丈夫なのだろうか? もう無理をしすぎて完治の見込みはないのだろうか? 完治してもあのプレースタイルを続けるかぎり膝がまた悪化することは目に見えています。
アガシが3年ほど前にラファに「今のようなテニスを続けていると若くして引退することになるよ」と忠告したことがあります。これはアガシでなくても素人の私たちでもうすうす抱いていた悪い予感です。
今日の解説者はそろってラファの膝について疑問を投げかけていました。
「なぜ一日8時間ほどもテニスをしなければならないのか?」
「試合が終わったあとでも、なぜ何時間もコートでプラクティスをする必要があるのか?」
これはラファがかわいそうです。もしプラクティスのやりすぎが原因の一つであれば、これはコーチの問題です。しかしあの血のにじむような努力のおかげで、彼はフェデラーからNo.1の座を奪うことができたのです。
フェデラーと比較して「フェデラーは怪我が少ないのだから、彼のようなテニスをすればよい」というのは、ラファであることをやめろと言うようなものです。「一球一球に魂を入れながらプレーする」たとえそのプレースタイルが膝を悪化させる原因になるとわかっていても、彼は最後まで球を追い続けるテニスしかできないのではないかと思います。
アガシの忠告にラファが答えています。「でも僕にはこれしかできないんだ」
このとき私は、「自分を殺したテニスはできない」と言っているように聞こえました。
自分のテニスが出来なければ、たとえそれが選手生命の延命につながることが分かっていても、そんなテニスはやりたくない・・・
スポーツは自己表現のアートフォームだと思います。自殺行為になると分かっていても、自己を偽って表現できない。アーチストとして、スポーツマンとして、険しい道を歩み続けていかなれればならないラファを、これからも見守りながら応援していきたいと思います。
Vamos Rafa!