tennis365.net テニス365ブログ 新着記事を読む ]    [ テニス365 ホームショッピングニュースログイン ]

Tennisnakama in New York 世界にテニスの輪を広げたいと願っています。元レポーターのTennisnakamaが、ホットな情報やめずらしい話を、ニューヨークからどんどんお届けします。自由にリンクしてください。(記事はすべて〓tennisnakama.comとなっておりますので、無断掲載はご遠慮ください)

Tennisnakama 
最近の記事
さようなら!
12/30 21:24
伝説のパトリック・ラ…
12/28 01:07
伝説のパトリック・ラ…
12/27 01:46
チーズフォンデュをビ…
12/26 08:02
伝説のパトリック・ラ…
12/25 00:16
最新フェデラー・ファ…
12/23 11:27
セントラルパークの雪…
12/22 23:42
エナンがWCでシドニ…
12/21 23:54
ドローの仕組み
12/21 03:10
タイガーvsピューマ…
12/19 01:46
フェデラーもちょっと…
12/16 22:45
フェデラーのスイスで…
12/15 11:28
サフィンが語るサフィ…
12/11 11:37
サフィン「僕は奇跡だ…
12/10 10:21
さよならサフィン
12/08 01:45
カテゴリ別アーカイブ
このブログサービスは「テニス365 テニスブログ」で運営しています。テニス365会員なら無料でご利用・作成いただけます。






タイトル15の意味

冬期オリンピック開催地で避暑地として有名なLake Placidから昨夜マンハッタンに戻ってきました。

夫はハイキング、息子と私はゴルフを目的に木曜から日曜までの4日間を楽しく過ごすことが目的だったのですが・・・連日豪雨、風、冷気という最悪の天候。しかしせっかく休日をとり6時間ドライヴしてきたのですから、我々3人はそれぞれの目的を果たすために決行。びしょびしょで震えながらのゴルフは、ストレスがたまる一方で、二日目は途中の12ホールで断念してしまいました。

皮肉なことに、私たちがいなかったニューヨークは晴天に恵まれ、最高の天気だったとか。

フェデラーおめでとう!
フェデラーが15のタイトルを獲得しちゃいましたね!  ATPはホームページ一面を使って祝辞のデザインでなかなかしゃれたことをしています。

federer15

ATP ホームページ



私たちはホテルで観戦をしましたが、芝のテニスらしく、二人のエースを合わせると何と77。 決勝にふさわしい試合でしたが、ラリーが少なくて、ちょっぴりエースがうらめしくもありました。

フェデラーは最後までロディックのサーヴィスゲームをブレークすることができず、どうしてよいのか分からない、といった感じのリターンゲームでしたが、辛抱強くチャンスを待ってここぞというチャンスを逃さずポイントへ。さすがフェデラーでした。しかし勝敗はどちらに転んでもおかしくない試合だっただけに、ロディックにとっては断腸の思いだったでしょうに。彼の無念な気持ちをおもうと胸が熱くなります。

あれほど大変だったタイトル14に比べて、以外にあっさりと15の記録が破られてしまいました。今回のタイトル15は全仏のような盛り上がりに欠けましたが、No.1に返り咲き、赤ちゃんの誕生も間近に控えて、フェデラーはまさに世界一の幸せ男ですね。

サンプラスの気持ち
決勝に駆けつけたサンプラスの心中は複雑なものがあったと思います。

ウィンブルドンといえばサンプラス。1993年以来、1996年を除いて毎年優勝を勝ち取ってきたサンプラスは、 圧倒的な強さで芝の王者を誇ってきました。クレーで言えば、無敵のナダルのような存在だったのです。フェデラーは今回の優勝で、ウィンブルドンは6タイトルとなりますが、サンプラスの7タイトルの最多の記録はまだ破られていません。

サンプラスは2001年にフェデラーに敗れて以来、ウィンブルドンのタイトルはなく、引退した2002年にはランキング145位の無名の選手に2回戦で敗退するという屈辱を味わいました。ナダルがフレンチオープンで2回戦で敗れることを想像していただければ、彼の屈辱の大きさが理解していただけると思いますが、その苦い思い出があるだけに、今まで招待を受けても頑としてウィンブルドンには戻ろうとしませんでした。しかし自己の記録を破るかもしれないフェデラーのために、サンプラスはカリフォルニアから飛んできたのです。

サンプラスのとなりにはロッド・レイヴァー。そしてその隣にビヨン・ボルグ。ジェネレーションを代表する王者たちが並ぶあのロイヤルボックスに、いつかはフェデラーも座る日が来るのですね。その世代交替の日まで、歴史に残る名試合を堪能できる私たちは本当にラッキーです。

無念、ロディックの涙
今年のロディックは、フェデラーに勝てるほどの力量とメンタルの強さを見せながら、またもや優勝のチャンスを逃してしまいました。新しいコーチ、ステファンキのもとで、減量し、トレーニングに励み、目を見張るように強くなったロディックだっただけに残念でした。私は別にロディックのファンではありませんが、やはり今回は彼に勝たせてあげたかった。

2003年にフェレロを破ってUS Openに優勝したロディックは弱冠21歳。ファッションもトレンディーでまるでロック歌手のようにクールなロディックは一躍スーパスターになりました。しかしアメリカの期待を一身に背負ったロディックは、いつまでたっても2度目のGSタイトルをとることもできず、ファンは失望して彼を見放してしまったのです。

「アメリカは今まで偉大な選手を生んできているから、サンプラスやアガシのような選手でないと満足できないんだ。トップ10では駄目なんだよ。」

「僕は肩の具合がよくなくてどうしようかと迷っていた。 焦りもあったし、完治しないうちから試合に出てみたが結果は最悪だった。そのときブルックリン(今の妻)に正直に打ち明けたんだ。このまま駄目になるかもしれないけど、それでもいいかいって。」

ロディックはブルックリンの愛に支えられて、肩の治療に全力をそそぎ、新しいコーチのもとで、もう一度テニスに賭けることにしたのです。決勝戦にみせたあのファイターのロディックに多くのテニスファンは感動したと思います。全仏で肉ばなれの足を引きずりながら、アンダーサーヴでレンデルをやぶり、どんなに不可能な状況でも決して諦めることなく、ついにエドバーグを破って優勝してしまったマイケル・チャンを思い出します。(結局GSタイトルは全仏の一つだけでしたが、チャンが全世界に与えた感動は計り知れなく、テニス殿堂入りを果たしました。)

どんな球でも必死に追いかけるロディック。セットを落としても落胆せず、ひたすらフェデラーに向かって攻めていくロディック。転んでも立ち、フェデラーのウィナー(107)とエース(50)の嵐に果敢に戦う姿は崇高でさえありました。

最後には無念の涙をチラッと見せましたが、あとはサンプラスに「記録を破られないようにがんばったんだけど、ごめん」とユーモアをとばして観客を笑わせたロディック。負けてグタグタ文句を言ったり、口惜しくて泣いたりする敗者のことをSore Loserと呼びますが、ロディックフェデラーを讃え、サンプラスにも配慮する真のチャンピオンでした。

もしも・・・
単純に私たちはタイトル数だけで選手を評価しがちです。しかしもしフェデラーが存在しなければ・・・と仮定すると、どれだけ多くの選手たちが彼の15個のタイトルをシェアできたか? 彼の同時代の選手はある意味で不運でした。

もしもフェデラーがいなければ・・・
ロディックは4回もフェデラーから優勝を逃しています。もしフェデラーがいなければ・・・あと1つや2つはとれていたかもしれません。
2004年 Wimbledon
2005年 Wimbledon
2006年 全米
2009年 Wimbledon

もしもナダルがいなければ・・・
ロディックにとってフェデラーがタイトルの厚い壁であったように、フェデラーにとってはナダルが大きな障害でした。過去5回もフェデラーは決勝でナダルに優勝を譲っています。もしナダルがいなければ・・・以下のタイトルはフェデラーのものになっていたかもしれません。そうするとすでにタイトルは20となります。
2006年 全仏
2007年  全仏
2008年  全仏
2008年 Wimbledon
2009年 全豪

今回のナダルの2度のGS欠場は、「もしもナダルがいなければ・・・」のシナリオが現実に起こってしまったのです。

タイトル15は健康管理の勝利
全仏に続き、ウィンブルドンのドローは、大きな壁であったナダルの欠場によってフェデラーに有利に働いたことは事実です。かといってフェデラーの勝利をラッキーだったということで片付けてはならないと思います。今まで大きな怪我もなく故障もなく、健康管理を徹底させたフェデラーであったからこそ、この機会を有利に導く事ができたのです。フェデラーの15タイトルの偉業は、技、メンタル、作戦、体力、サポート集団の総合力の勝利であるとともに、健康管理の勝利であったと思います。

それにしてもナダルのいないテニスは寂しいですね。

投稿者 Tennisnakama  02:38 | コメント(35) | トラックバック(0)