2009年07月15日
フェデラーとナダルの比較検証
ウィンブルドンはロディックの健闘で感動的な決勝戦となりましたが、それにしてもナダルのいない全仏とウィンブルドンの決勝は寂しいものがありました。フェデラーとナダルは性格もプレースタイルも対照的だからこそ、ますます私たちは二人の試合に魅せられるのですが、ここで世紀のライヴァルと呼ばれる二人のテニスに対する姿勢について述べてみたいと思います。題は重々しいですが、つまりフェデラーとナダルをプレースタイル以外で比較してみましょう、という軽い気持ちから書いています。
フェデラーは自分のコンディションについては語りたがりません。モノのときは、モノだという病名がわかるまで、フェデラーは調子が悪いことはひた隠しにしてきました。体調が悪くても、決して悪いとは言わず、負けたときでも「体調はすこぶるいいよ」とフェデラーは言い続けてきたのです。 このような発言が多かったものですから、「実はモノにかかっていて、発熱したりして大変なときがあった。」何て後できくと、「じゃ今までのコメントはなんだったの?」という非難めいた声も多く聞かれたことは事実でした。腰の問題もそうですが、一切具体的なことには触れようとしません。このようにして自分の体のコンディションは内密にしておくというのが、フェデラーであれば、逆にナダルはファンの要望に応えるため、膝のコンディションを詳細に伝えています。
この二人の態度の違いは、試合の作戦上の違いとも解釈できます。
怪我を隠すことのメリット:Federer
これは一般の選手がとる作戦で、相手に有利と感じさせないことが目的ですが、フェデラーの場合もしかり。具合の悪いフェデラーであっても、黙っていればフェデラー強しのイメージで相手を威圧できます。
調子の悪いときでも「まさかあのフェデラーがこんなミスを!?」と、つい対戦者は 半信半疑です。勝てそうな試合であっても、つまり尊敬しすぎて負けてしまうのです。
怪我を隠さないことのメリット:Nadal
対戦相手は膝が悪いのだからひょっとしたら勝てるかも、とかすかな期待感をもって試合にのぞみます。これは対戦相手が試合の途中で怪我をしてしまったときの心理と似ています。「相手にハンディがあるから。」こういうときは過去の例が示すように意外に勝てないものなのです。なぜか? 自分に余分なプレッシャーをかけてしまうのです。「ナダルに勝つには彼を走らせるしかない」とワイドにやたらに振ってみたり、ドロップショットをやってみたり、ナダルの膝に気をとられすぎて、自分のテニスを忘れてしまうのです。
デ杯に対するFedererのスタンス
フェデラーが最初にスイスのデ杯チームに参加したのは10年前の1999年。それ以降5年間連続出場していたデ杯を、突如自分のテニスのキャリアに専念したいので、デ杯には参加しないと発表しました。 フェデラーがランキング一位になった直後のことです。結局2004年4月フランスとのQFを最後に、現在に至るまでフェデラーはデ杯には一度も出場することはありませんでした。スイス国民は彼の発言に大きなショックを受け、フェデラーは自己中心で愛国心に欠けると非難しました。私も正直いって彼に失望したことは確かです。同年の2004年2月にランキング一位の座を獲得したフェデラーは、プライオリティーを自分のテニスのキャリアを優先することを決意したのです。そして昨年8月にナダルに一位の座を譲るまで、4年半にわたってフェデラーは一位の座を守り続けたのでした。
昨年8月はランキング一位の座をナダルに明け渡した無念の月でもあり、またオリンピックのダブルスに優勝した栄光の月でもありました。2位への転落という失意のなかで、母国に金メダルをもたらしたフェデラーは、自分のためだけでない大義のために戦う深い喜びと誇りを学びました。「これからは母国のためにデ杯に出場したい」フェデラーはデ杯への情熱を隠そうとはしませんでした。
このフェデラーの言葉を聞いて、私たちは彼を応援するために、今年3月のスイスvsアメリカ観戦アラバマ行きを決行しました。巨大なカウベル。赤地に白十字のスイス国旗のシャツ。ハット。それにスカーフ。さすがパンツまではスイスの国旗ではありませんが、ばっちり決めて、 Hopp Schwiiz! (頑張れスイス!)と張り切って応援するつもりでいたのです。
せっかくアラバマまで飛ぶのですから、狙うは特上席です。発売当日、クレジットカードをしっかり握りしめて、さっそくコンピューターのアラバマの会場サイトにクリック。ところがどうでしょう。5年ぶりにフェデラーのデ杯出場で、チケットはあっという間に2時間で売り切れてしまっていたのです。私たちはチケットを買うことが出来ませんでしたが、1万6千人の観客の中に、何千ドルを払ってフェデラーを観るために飛行機+ホテル代を捻出して、アラバマまで出かけていった人は沢山いるはずです。その人たちの期待を裏切って、フェデラーは直前にキャンセルしてしまったのです。理由は「腰の調子がもうひとつでリハビリに徹したい」ということでした。翻訳すると、「出れない状態ではないが、腰を悪化させるようなことはしたくない」ということになります。
フェデラーのキャンセルは、アメリカのテニスファンに大きな失望を与えたのは言うまでもありません。テニスの記事を滅多に書かないニューヨークタイムズまでが、「フェデラーがデ杯にコミット」という大きな見出しで記事を掲載したくらいでしたから、まさかキャンセルするとは思ってもいなかったのです。http://www.nytimes.com/2008/10/29/sports/tennis/29tennis.html?pagewanted=all
もし私たちがチケットを買っていたら、きっとフェデラーの事情を察してあげるなんて、やさしい気持ちなど吹き飛んでしまって、恨めしい思いでアラバマに飛んでいったと思います。「コミットできないのなら、始めから出るなんて言わないでほしかった。」というのが本音でしょうか。
ここでフェデラーについて批判するつもりは全くありません。しかしフェデラーのテニスに対する姿勢は、このデ杯欠場によく現れていると思うのです。ナダルのデ杯への情熱とは、対照的で興味深いものがあります。デ杯への情熱は、お国柄を反映しているのではなく、個人の価値観を反映していると思います。現にアメリカにおいてはデ杯の興味が薄れてしまっているにも拘らず、ロディックやブライアン兄弟は、自分のキャリアよりも優先させてデ杯にプライオリティーをおいています。
Federerのプライオリティー
フェデラーは今までも出場するといっておきながら、デ杯のときのように、直前にトーナメントをキャンセルすることがあります。AIG オープンのときもそうでした。ストックフォルムやドイツのハーレもそうでした。フェデラーの欠場の理由のほとんどが「疲れているから」というものでした。これは自分の体に余計な負担をかけて怪我をしたくない、という彼のモットーが貫かれています。
ファンの立場としては、薄っぺらい財布から大枚を払って彼の試合にコミットするのですから少々疲れていても出場してほしい。大会主催者としては、出場する可能性が少しでもあれば、チケットの売り上げのためにも、フェデラーに出場すると言ってもらいたい。フェデラーとしては、体の調子がよければ参加するが、無理してまでは参加したくない。三者三様の立場があって複雑です。
しかし複雑な状況の中でも、フェデラーのプライオリティーはいつもシンプルで明確です。「怪我をしないために最善の努力を払う」多くの選手が怪我でキャリアを断念したり引退していく中で、彼の健康管理に対する厳しい自己規制には驚くばかりです。何しろあの魅力的な女優のキーラ・ナイトリーとのディナーも、試合があるからと断ってしまったのですから。サフィンだったら、夕食だけでなくディスコまで付き合って夜更かしをしてきたに違いありません。
ファンがキャンセルをしたと怒ろうが、大会主催者に泣きつかれようが、スイスの国民からデ杯欠場で愛国心に欠けると非難されようが、ガンとして自分のプライオリティーを通してきたのは見事です。よい例が、今年のモンテカルロのマスターズです。彼のメジャーなスポンサーであるローレックスが主催者であるにも拘らず、欠場すると発表。ソニーオープンに錦織選手が「ちょっと体調に自信がないから」といって断るようなものです。もちろんこれはフェデラーであるからできるのでしょうが、自分の体調を最優先する信念を貫いたプロフェッショナリズムの真髄をみる思いがしたのです。(結局、大会直前にフェデラーは出場することになりましたが)
Nadalのプライオリティー
彼のファンに対するサーヴィス精神はすばらしいといつも感心してしまいます。大会前のプラクティスの後に群がる百人近いファンの最後の一人まで、丁寧にサインをして、気がつくと彼一人が残っていたということがよくあります。
ファンのために、スペインのために、自分の膝を二の次にして戦ってきたナダルは、自分、ファン、スペインの3者の願いを同時に満たすことが、彼のプライオリティーであったように思います。その3者には順序がつけられない。しかしそれは不可能であることを、今回の膝の故障で学んだのではないでしょうか。
「自分で間違いだったと気づかない限り、いくら忠告しても意味がない。」
ナダルのダイエットのいい加減なことに対するトニーのコメントを思い出します。つまり今回の膝の件でも「本人が自覚しなければ意味がない」トニーはナダルにそのことを知ってもらいたかったのかも知れません。トニーコーチはメディアに2年ほど前に、ナダルの膝はかなり重傷でもう戻れないかもしれないと爆弾発言をしたときがあります。そのときナダルはあわてて別に記者会見を開いて、あれはおじさんの思い過ごしで僕の膝は何でもない、とトニー発言を否定したことがありましたが、この二人のちぐはぐな発言は不可解でした。しかし今から思えば、いくら周りが止めろと忠告しても、自分の体に対する過剰な自信から、ナダルは無理をしてきたのではないかと思います。
Get your priorities straightとよく英語で言いますが、これはプライオリティーをはっきりさせるという意味です。今回の膝の故障はナダルにとっては辛いレッスンだったと思いますが、長い選手生命をたもつためにも、これからは「自分の健康管理」を最優先させてくれると信じます。
二人の試合を観戦できる日を楽しみに、Hopp Roger! (Hoppはpが二つ並びます)、Vamos Rafa!
(訂正のお詫び)
2004年以降は一度もフェデラーがデ杯に出ていないというのは間違いでした。ワールドグループからヨーロッパ/アフリカ・ゾーンに落ちてしまった9月のプレイオフには出ておりました。ワールド・グループに焦点を絞っていましたので、うっかりとプレイオフのことは忘れておりました。大変失礼しました。(汗)
フェデラーは自分のコンディションについては語りたがりません。モノのときは、モノだという病名がわかるまで、フェデラーは調子が悪いことはひた隠しにしてきました。体調が悪くても、決して悪いとは言わず、負けたときでも「体調はすこぶるいいよ」とフェデラーは言い続けてきたのです。 このような発言が多かったものですから、「実はモノにかかっていて、発熱したりして大変なときがあった。」何て後できくと、「じゃ今までのコメントはなんだったの?」という非難めいた声も多く聞かれたことは事実でした。腰の問題もそうですが、一切具体的なことには触れようとしません。このようにして自分の体のコンディションは内密にしておくというのが、フェデラーであれば、逆にナダルはファンの要望に応えるため、膝のコンディションを詳細に伝えています。
この二人の態度の違いは、試合の作戦上の違いとも解釈できます。
怪我を隠すことのメリット:Federer
これは一般の選手がとる作戦で、相手に有利と感じさせないことが目的ですが、フェデラーの場合もしかり。具合の悪いフェデラーであっても、黙っていればフェデラー強しのイメージで相手を威圧できます。
調子の悪いときでも「まさかあのフェデラーがこんなミスを!?」と、つい対戦者は 半信半疑です。勝てそうな試合であっても、つまり尊敬しすぎて負けてしまうのです。
怪我を隠さないことのメリット:Nadal
対戦相手は膝が悪いのだからひょっとしたら勝てるかも、とかすかな期待感をもって試合にのぞみます。これは対戦相手が試合の途中で怪我をしてしまったときの心理と似ています。「相手にハンディがあるから。」こういうときは過去の例が示すように意外に勝てないものなのです。なぜか? 自分に余分なプレッシャーをかけてしまうのです。「ナダルに勝つには彼を走らせるしかない」とワイドにやたらに振ってみたり、ドロップショットをやってみたり、ナダルの膝に気をとられすぎて、自分のテニスを忘れてしまうのです。
デ杯に対するFedererのスタンス
フェデラーが最初にスイスのデ杯チームに参加したのは10年前の1999年。それ以降5年間連続出場していたデ杯を、突如自分のテニスのキャリアに専念したいので、デ杯には参加しないと発表しました。 フェデラーがランキング一位になった直後のことです。結局2004年4月フランスとのQFを最後に、現在に至るまでフェデラーはデ杯には一度も出場することはありませんでした。スイス国民は彼の発言に大きなショックを受け、フェデラーは自己中心で愛国心に欠けると非難しました。私も正直いって彼に失望したことは確かです。同年の2004年2月にランキング一位の座を獲得したフェデラーは、プライオリティーを自分のテニスのキャリアを優先することを決意したのです。そして昨年8月にナダルに一位の座を譲るまで、4年半にわたってフェデラーは一位の座を守り続けたのでした。
昨年8月はランキング一位の座をナダルに明け渡した無念の月でもあり、またオリンピックのダブルスに優勝した栄光の月でもありました。2位への転落という失意のなかで、母国に金メダルをもたらしたフェデラーは、自分のためだけでない大義のために戦う深い喜びと誇りを学びました。「これからは母国のためにデ杯に出場したい」フェデラーはデ杯への情熱を隠そうとはしませんでした。
このフェデラーの言葉を聞いて、私たちは彼を応援するために、今年3月のスイスvsアメリカ観戦アラバマ行きを決行しました。巨大なカウベル。赤地に白十字のスイス国旗のシャツ。ハット。それにスカーフ。さすがパンツまではスイスの国旗ではありませんが、ばっちり決めて、 Hopp Schwiiz! (頑張れスイス!)と張り切って応援するつもりでいたのです。
せっかくアラバマまで飛ぶのですから、狙うは特上席です。発売当日、クレジットカードをしっかり握りしめて、さっそくコンピューターのアラバマの会場サイトにクリック。ところがどうでしょう。5年ぶりにフェデラーのデ杯出場で、チケットはあっという間に2時間で売り切れてしまっていたのです。私たちはチケットを買うことが出来ませんでしたが、1万6千人の観客の中に、何千ドルを払ってフェデラーを観るために飛行機+ホテル代を捻出して、アラバマまで出かけていった人は沢山いるはずです。その人たちの期待を裏切って、フェデラーは直前にキャンセルしてしまったのです。理由は「腰の調子がもうひとつでリハビリに徹したい」ということでした。翻訳すると、「出れない状態ではないが、腰を悪化させるようなことはしたくない」ということになります。
フェデラーのキャンセルは、アメリカのテニスファンに大きな失望を与えたのは言うまでもありません。テニスの記事を滅多に書かないニューヨークタイムズまでが、「フェデラーがデ杯にコミット」という大きな見出しで記事を掲載したくらいでしたから、まさかキャンセルするとは思ってもいなかったのです。http://www.nytimes.com/2008/10/29/sports/tennis/29tennis.html?pagewanted=all
もし私たちがチケットを買っていたら、きっとフェデラーの事情を察してあげるなんて、やさしい気持ちなど吹き飛んでしまって、恨めしい思いでアラバマに飛んでいったと思います。「コミットできないのなら、始めから出るなんて言わないでほしかった。」というのが本音でしょうか。
ここでフェデラーについて批判するつもりは全くありません。しかしフェデラーのテニスに対する姿勢は、このデ杯欠場によく現れていると思うのです。ナダルのデ杯への情熱とは、対照的で興味深いものがあります。デ杯への情熱は、お国柄を反映しているのではなく、個人の価値観を反映していると思います。現にアメリカにおいてはデ杯の興味が薄れてしまっているにも拘らず、ロディックやブライアン兄弟は、自分のキャリアよりも優先させてデ杯にプライオリティーをおいています。
Federerのプライオリティー
フェデラーは今までも出場するといっておきながら、デ杯のときのように、直前にトーナメントをキャンセルすることがあります。AIG オープンのときもそうでした。ストックフォルムやドイツのハーレもそうでした。フェデラーの欠場の理由のほとんどが「疲れているから」というものでした。これは自分の体に余計な負担をかけて怪我をしたくない、という彼のモットーが貫かれています。
ファンの立場としては、薄っぺらい財布から大枚を払って彼の試合にコミットするのですから少々疲れていても出場してほしい。大会主催者としては、出場する可能性が少しでもあれば、チケットの売り上げのためにも、フェデラーに出場すると言ってもらいたい。フェデラーとしては、体の調子がよければ参加するが、無理してまでは参加したくない。三者三様の立場があって複雑です。
しかし複雑な状況の中でも、フェデラーのプライオリティーはいつもシンプルで明確です。「怪我をしないために最善の努力を払う」多くの選手が怪我でキャリアを断念したり引退していく中で、彼の健康管理に対する厳しい自己規制には驚くばかりです。何しろあの魅力的な女優のキーラ・ナイトリーとのディナーも、試合があるからと断ってしまったのですから。サフィンだったら、夕食だけでなくディスコまで付き合って夜更かしをしてきたに違いありません。
ファンがキャンセルをしたと怒ろうが、大会主催者に泣きつかれようが、スイスの国民からデ杯欠場で愛国心に欠けると非難されようが、ガンとして自分のプライオリティーを通してきたのは見事です。よい例が、今年のモンテカルロのマスターズです。彼のメジャーなスポンサーであるローレックスが主催者であるにも拘らず、欠場すると発表。ソニーオープンに錦織選手が「ちょっと体調に自信がないから」といって断るようなものです。もちろんこれはフェデラーであるからできるのでしょうが、自分の体調を最優先する信念を貫いたプロフェッショナリズムの真髄をみる思いがしたのです。(結局、大会直前にフェデラーは出場することになりましたが)
Nadalのプライオリティー
彼のファンに対するサーヴィス精神はすばらしいといつも感心してしまいます。大会前のプラクティスの後に群がる百人近いファンの最後の一人まで、丁寧にサインをして、気がつくと彼一人が残っていたということがよくあります。
ファンのために、スペインのために、自分の膝を二の次にして戦ってきたナダルは、自分、ファン、スペインの3者の願いを同時に満たすことが、彼のプライオリティーであったように思います。その3者には順序がつけられない。しかしそれは不可能であることを、今回の膝の故障で学んだのではないでしょうか。
「自分で間違いだったと気づかない限り、いくら忠告しても意味がない。」
ナダルのダイエットのいい加減なことに対するトニーのコメントを思い出します。つまり今回の膝の件でも「本人が自覚しなければ意味がない」トニーはナダルにそのことを知ってもらいたかったのかも知れません。トニーコーチはメディアに2年ほど前に、ナダルの膝はかなり重傷でもう戻れないかもしれないと爆弾発言をしたときがあります。そのときナダルはあわてて別に記者会見を開いて、あれはおじさんの思い過ごしで僕の膝は何でもない、とトニー発言を否定したことがありましたが、この二人のちぐはぐな発言は不可解でした。しかし今から思えば、いくら周りが止めろと忠告しても、自分の体に対する過剰な自信から、ナダルは無理をしてきたのではないかと思います。
Get your priorities straightとよく英語で言いますが、これはプライオリティーをはっきりさせるという意味です。今回の膝の故障はナダルにとっては辛いレッスンだったと思いますが、長い選手生命をたもつためにも、これからは「自分の健康管理」を最優先させてくれると信じます。
二人の試合を観戦できる日を楽しみに、Hopp Roger! (Hoppはpが二つ並びます)、Vamos Rafa!
(訂正のお詫び)
2004年以降は一度もフェデラーがデ杯に出ていないというのは間違いでした。ワールドグループからヨーロッパ/アフリカ・ゾーンに落ちてしまった9月のプレイオフには出ておりました。ワールド・グループに焦点を絞っていましたので、うっかりとプレイオフのことは忘れておりました。大変失礼しました。(汗)