2008年09月25日
錦織選手の思い出
masaharu-tsuchiya選手から先日メールをいただき、昨年錦織選手とテキサスで一緒だったというお話を伺ったものですから、彼にお願いしてそのときの話を原稿にしていただきました。masaharuさんは「世界一弱いプロテニスプレーヤーのブログ」 http://ameblo.jp/masaharu-tsuchiya/ のウェブマスターでテニスのゲリラ戦士。 ユニークな燃えるmasaharu選手のプロフィールについては上記のブログをご覧になってください。
Report by masaharu-tsuchiya
2007年のテキサスでのフューチャーが3週ありブラウンズビルでは日本人はいなかったのですが、翌週、ハーリンジェンでは日本人を見かけて「ニシキオリ君ですよね」と話しかけたら、「ニシコリです」という返事が返ってきました。錦織選手との会話はこれが最初でした。(笑)
私はオルタネート制度に関しての質問をディレクターにしたかったのですが、私の英語が通じなくて英語を教えてくれたのが彼でした。名前の読み方は間違えましたが、彼のことはもちろん知っていました。第一印象は 優しそうな青年といった感じで、そのときに「プロになろうかどうか考えてます」と悩んでいる様子でした。私は底辺のプロですが、世界的な選手になることを真面目に目指していましたので、心の中では 【なんでアメリカにいる第一シードが迷ってんだ】みたいな感じで彼の言葉を聞いていました。(笑)
選択肢がいろいろあるから迷うのも当然と思いましたが、自分の次男と同い年なので自分の子供と話してるような感じでした。その後試合をビデオに収めましたが、予選会場は整備の悪いデコターフで亀裂や強風もあり、ビデオを撮りながら「エリートは逆境に弱いのか」とかぶつぶつ一人で文句を言ってたと思います。(こわいものしらずですみません)このビデオは非公開で保管してます。
私はそこではサインインできず、4日目で次のマッカランに移動しましたが、そこでまた錦織選手と再会することになりました。彼がN0,1コートでIMGのコーチや仲間と練習していましたので、一緒に入れてもらおうとOKを本人からもらったのですが、タイミングが合わず、私は横のコートで練習することになりました。
http://ameblo.jp/masaharu-tsuchiya/entry-10088644850.html
彼は選手控え室では右足にだけアンクルサポーターをしていました。「サポーターはどこの?」「IMGで貰いました」(たぶんDONJON)そんな会話をした記憶があります。そこでサポーターをデジカメに撮影させてもらい、彼の練習や他の選手の練習を観察してました。
彼は周りの選手とのコミュニケーションもスムーズで、 「やっぱテニスで一流になるにはマイアミにいなきゃだめだ」と確信したのでした。(私はマイアミにいましたので)
記憶は薄れてますが一番の印象は、そつがない選手。まだ優しさが抜けてない選手。全身の筋肉は柔らかく、限りない可能性を彼から感じました。
フェデラーもそうなのですが、 最初に見たときになぜ強いのかわからない。彼と同じような印象を錦織選手から受けました。 私がそう思う選手は大概なぜか凄いのです。やわらかさとタッチのよさ。本番でここというときに強い選手です。おそらくダイナミックさや迫力を強さと勘違いしていた私は、テニスのことをまだ真から理解できていなかったのだと思いますが。
その後マイアミに戻り、知り合ったアメリカの金融関係の友人が、「NISHIKORI」と変な発音でしっかり応援していたのが印象に強く残っています。
私は3ヶ月間の滞在予定でしたが、1ヶ月目でクレジットも止まってしまい、所持金0でしたのであまり移動が出来なかったのですが、ソニーエリクソンオープンのワイルドカード選手権に出場することができましたが、残念ながら敗戦してしまいました。翌日布田涼子ちゃんの試合を応援するため、$4とパンだけで行きましたが、その翌日はバス代もなくて応援に行けませんでした。
とにかく金欠が激しかったものですから、 時々カンパしてもらえたときに食物を買ったりする生活でした。その後 サウスビーチで知り合った日本人女性のテニスファンの方から、「錦織君がグーガとダブルス練習していた」とか「ロジャーと練習していた」という話を聞いたときは、正直【先を越された!】と思ってしまいました。なにしろ2004年にフラッシング・メドーのアーサー・アッシュ・スタジアムでロジャーにPlease hit with meと最初にお願いしたのは自分だったんですから。(笑)
毎日エリクソン会場に行っていた友人のレイモンドは、「He is nice.」 と毎日のように私に錦織選手のことを話してくれました。私はなぜ彼がそんなに熱く錦織君のプレイを誉めたのか、
そのときは理解していませんでした。 私はどうやらフューチャーズの試合のイメージで、彼を見てしまっていたのだと思います。 懐の深さは感じましたが、パワー的なものは当時感じられませんでした。しかし漠然とですが、ゆくゆく彼は世界1になれると、なぜかそんな気がしていました。
ですから「錦織選手が世界10に入る可能性がある」と言い出したのは、実は私のほうが松岡さんより先なんです!
(以下は私のブログで錦織選手について思い出を語ったページです。)
http://blogs.yahoo.co.jp/masaharu_tsuchiya/53648500.html
http://blogs.yahoo.co.jp/masaharu_tsuchiya/MYBLOG/yblog.html?m=lc&sk=1&sv=%B6%D3%BF%A5&p=5
Report by masaharu-tsuchiya
2007年のテキサスでのフューチャーが3週ありブラウンズビルでは日本人はいなかったのですが、翌週、ハーリンジェンでは日本人を見かけて「ニシキオリ君ですよね」と話しかけたら、「ニシコリです」という返事が返ってきました。錦織選手との会話はこれが最初でした。(笑)
私はオルタネート制度に関しての質問をディレクターにしたかったのですが、私の英語が通じなくて英語を教えてくれたのが彼でした。名前の読み方は間違えましたが、彼のことはもちろん知っていました。第一印象は 優しそうな青年といった感じで、そのときに「プロになろうかどうか考えてます」と悩んでいる様子でした。私は底辺のプロですが、世界的な選手になることを真面目に目指していましたので、心の中では 【なんでアメリカにいる第一シードが迷ってんだ】みたいな感じで彼の言葉を聞いていました。(笑)
選択肢がいろいろあるから迷うのも当然と思いましたが、自分の次男と同い年なので自分の子供と話してるような感じでした。その後試合をビデオに収めましたが、予選会場は整備の悪いデコターフで亀裂や強風もあり、ビデオを撮りながら「エリートは逆境に弱いのか」とかぶつぶつ一人で文句を言ってたと思います。(こわいものしらずですみません)このビデオは非公開で保管してます。
私はそこではサインインできず、4日目で次のマッカランに移動しましたが、そこでまた錦織選手と再会することになりました。彼がN0,1コートでIMGのコーチや仲間と練習していましたので、一緒に入れてもらおうとOKを本人からもらったのですが、タイミングが合わず、私は横のコートで練習することになりました。
http://ameblo.jp/masaharu-tsuchiya/entry-10088644850.html
彼は選手控え室では右足にだけアンクルサポーターをしていました。「サポーターはどこの?」「IMGで貰いました」(たぶんDONJON)そんな会話をした記憶があります。そこでサポーターをデジカメに撮影させてもらい、彼の練習や他の選手の練習を観察してました。
彼は周りの選手とのコミュニケーションもスムーズで、 「やっぱテニスで一流になるにはマイアミにいなきゃだめだ」と確信したのでした。(私はマイアミにいましたので)
記憶は薄れてますが一番の印象は、そつがない選手。まだ優しさが抜けてない選手。全身の筋肉は柔らかく、限りない可能性を彼から感じました。
フェデラーもそうなのですが、 最初に見たときになぜ強いのかわからない。彼と同じような印象を錦織選手から受けました。 私がそう思う選手は大概なぜか凄いのです。やわらかさとタッチのよさ。本番でここというときに強い選手です。おそらくダイナミックさや迫力を強さと勘違いしていた私は、テニスのことをまだ真から理解できていなかったのだと思いますが。
その後マイアミに戻り、知り合ったアメリカの金融関係の友人が、「NISHIKORI」と変な発音でしっかり応援していたのが印象に強く残っています。
私は3ヶ月間の滞在予定でしたが、1ヶ月目でクレジットも止まってしまい、所持金0でしたのであまり移動が出来なかったのですが、ソニーエリクソンオープンのワイルドカード選手権に出場することができましたが、残念ながら敗戦してしまいました。翌日布田涼子ちゃんの試合を応援するため、$4とパンだけで行きましたが、その翌日はバス代もなくて応援に行けませんでした。
とにかく金欠が激しかったものですから、 時々カンパしてもらえたときに食物を買ったりする生活でした。その後 サウスビーチで知り合った日本人女性のテニスファンの方から、「錦織君がグーガとダブルス練習していた」とか「ロジャーと練習していた」という話を聞いたときは、正直【先を越された!】と思ってしまいました。なにしろ2004年にフラッシング・メドーのアーサー・アッシュ・スタジアムでロジャーにPlease hit with meと最初にお願いしたのは自分だったんですから。(笑)
毎日エリクソン会場に行っていた友人のレイモンドは、「He is nice.」 と毎日のように私に錦織選手のことを話してくれました。私はなぜ彼がそんなに熱く錦織君のプレイを誉めたのか、
そのときは理解していませんでした。 私はどうやらフューチャーズの試合のイメージで、彼を見てしまっていたのだと思います。 懐の深さは感じましたが、パワー的なものは当時感じられませんでした。しかし漠然とですが、ゆくゆく彼は世界1になれると、なぜかそんな気がしていました。
ですから「錦織選手が世界10に入る可能性がある」と言い出したのは、実は私のほうが松岡さんより先なんです!
(以下は私のブログで錦織選手について思い出を語ったページです。)
http://blogs.yahoo.co.jp/masaharu_tsuchiya/53648500.html
http://blogs.yahoo.co.jp/masaharu_tsuchiya/MYBLOG/yblog.html?m=lc&sk=1&sv=%B6%D3%BF%A5&p=5
投稿者 Tennisnakama 13:06 | コメント(8)| トラックバック(0)
会えば判るのですが、コート外ではシャイで純朴な雰囲気の圭君からはオンコートでの
迫力は全くと言っていいほど感じません。
緊張感すら漂ってないのは、USOのフェレール戦やデルポ戦の試合でもそーだったようです。
実は今日、圭君に会えたのです。
小学生対象のイベントでしたが、すぐ隣をすれ違いザマに自分が「頑張ってね」と声を掛けたら
「はい」とにこやかに答えてくれました。
この子が近い将来世界のトップ選手として第一線で闘うのか・・・凄いなっ!!
と、改めて感じるとともに「しっかり応援していこう」と、こちらの気も引き締まりました。
イベントの様子は今晩の「スポルト」フジTV23:55~で放送されそうです。
「フェデラーってそのmasaharu-tsuchiya選手より随分大きいわ」・・・ということは錦織選手が目標としている人たちはこれほどまでに体格差が有るんですね。「テニスセンスはフェデラーやナダルに匹敵するものがある」と多くの解説者が指摘していますが、体格面でのハンディーが少し気掛かりです。エナンのように体格のハンディーを克服してもらいたいですが。。。
種丸さん。圭君と話せたんですね。 うらやまし~~~いぃぃぃぃ・い!!! (ーー;) イ・イ・ナー
info@tennisnakama.comまでお願いしますね~♪♪
hiroshiさん、実際圭君を見た時はそれほど小さいとは思いませんでしたが、さすがデルポトロと戦ったときは、大人と子供の差があり力負けをしておりました。圭君は177cm、68kg。ダヴィデンコは177cm、70kgで体形が変わりません。私は小さめの選手が勝ち残っていくには、まず体力。そしてボールをon-the-riseで打ち、相手に余裕を与えない速攻の連射と、ドロップショットなどのような、意外なショットとのコンビネーションしかないと確信しました。例えばデルポトロのような爆発力のある、しかも安定したショットの持ち主とまともにラリーをやれば勝てないからです。
1セット目とって、2セット目も1ゲーム目ブレイクしたんだけど、4ゲーム目でブレイクバックされた。
ライブストリームってどう探すんですかぁぁぁぁ~~!!!????
さりげなくって素敵ですねぇ。 い~な~。 圭クンも爽やか~。
ほかではナカナカ聞けないと思われるmasaharu-tsuchiya選手の記事、とても楽しかったですね。
ありがとうございました。
masaharu選手もこれから応援です!