2009年06月26日
マイケル・ジャクソンの冥福を祈って
マイケル・ジャクソンが死亡しました。彼の音楽とともに育ったジェネレーションは、自身の一部を失ってしまったような衝撃を受けています。
今日はマイケルの冥福を祈って彼につながる思い出話を書いてみたいと思います。
私はニューヨークで2度、マイケル・ジャクソンのコンサートを観ています。会場はニュージャージーのフットボールスタジアムとマディソンスクエアガーデンです。当時、音楽番組を制作しておりましたので、ほとんどのコンサートに招待されるという優雅な時代でした。しかし多忙をきわめていましたので、スーパスターのコンサートしかでかけなかったのですが、その一つがマイケル・ジャクソンのカムバックコンサート、ジャクソン5のコンサートでした。
マイケルにはインタービューできませんでしたが、ジャクソン5の一員のランディ・ジャクソンにNYで会う事ができました。彼をインタービューするために、マイケル兄弟が滞在しているホテルで取材スタッフ全員が待たされること数時間。世界各国からのメディアがロビーにたむろしていて、それは大変な取材合戦だったことを思い出します。
各メディア(プリント、ラジオ、TV)は与えられた時間以内に取材をこなしていかなければなりません。レッドゼッペリンのロバート・プラントやマライア・キャリーのようなスーパスターのインタービューは与えられる時間はたったの15分から20分。このときも大変でしたが、無名なランディは何しろジャクソン5の一員ということで、スーパスター扱いでした。このわずかな間にできるだけ面白い話をききださなければならない。有名スターとのインタービューはいつも短期間の真剣勝負でした。
一方インタービューされるスターたちも、一日中ホテルの一室で缶詰状態で、同じような質問に何百回も答えなければなりません。ランディはそれでも、きさくにいろんな質問に答えてくれました。兄マイケルとのエピソードなどもくわえながら・・・たとえマイケルに会ってなくてもまるで彼が側にいるようないい話を聞かせてくれました。
マイケルはTVのインタービューでこう答えています。
「僕は他の子供たちが公園で遊んでいるのをみて、涙がとまらなかった。彼らと一緒に遊びたかった。でも僕にはそれが許されなかったんだ。毎日働かなくてはならなかったから。今日も舞台に立って歌わなければならない。そのことを父に文句をいうとぶたれたよ。町から町へ。僕の遊び場はホテルの部屋しかなかった。だから小さい子供をみると、彼らののぞみをかなえてやりたいと思う。プレーグラウンドで思いっきり遊ばせてやりたいと思う。そのことが普通の人には理解してもらえないのだけど・・・」
どんな名声や財力でもっても時計を逆戻しすることはできません。「永遠に失ってしまった子供時代を取り戻す」このオブセッションともいえる子供時代への執着は、ネヴァーランドの遊園地をつくることに始まり、子供たちと遊園地で一緒に遊ぶだけでなく、スランバーパーティ(パジャマパーティー)を開いて子供たちと夜を共に同じベッドですごすようになります。そのために性のいたずら事件として訴えられることになり、裁判につぐ裁判のために約20億円相当の弁護士料を払うほどのダメージを受けました。
この性のいたずらは結局無実の判決に終わりましたが、イメージの低下と精神的ストレスはマイケルの歌手生命に致命的な打撃を与えて、ついに回復することができませんでした。
何十回にもわたる整形手術、白くなった肌、契約結婚・・・マイケルがある記者に語った言葉がわすれられません。
いつも多くの人たちに囲まれながら、真の友だちに恵まれなかったマイケル。
禿鷹のように彼の資産を狙って群がってくる人々の中で、誰にも心を開くことができなかったマイケル。
彼の不可解な行動は、マイケルのヘルプの必死な叫びだったのかもしれません。
マイケル・ジャクソンが音楽界だけでなく、世界の若者に与えたインパクトは計り知れないものがあります。初めて人種やカルチャーの違いを乗り越えたスーパスターが登場したのです。
何時間もCNNをかけっぱなしにしてマイケルの特集を観ていますが、今シェアがマイケルの思い出話をしています。その前はディオン・セリーヌ。世界的なスターたちが次々とマイケルとの思い出を語っています。今夜は夜通しでマイケルの音楽を流して、いろんなエピソードに耳を傾けながら彼を偲びたいとおもいます。
「最近のあなたは、非難と訴訟と借金で心の休まることがありませんでしたね。健康がすぐれないにもかかわらず、ロンドンのコンサートの準備も大変な負担になっていたと思います。
I am a very lonely man. といって突然去ってしまったあなた。
私たちはついに最後のスーパスターを失ってしまいました・・・世界各地であなたの死を悼んで人々が集まり始めています。今私たちはあなたの数多くの歌を聞きながら、いかにあなたが私たちの青春の大切な一部であったか、そして私たちを豊かにしてくれたかを噛み締めています・・・あなたは一人ぽっちではありません。私たちの心に永遠の住み続けるかけがえのない友なのですから。」
いつも駆け足で過去を振り返る余裕がなかった私ですが、今夜はゆっくりとマイケルと語りたい思います。プロデューサー、レコーディングスタジオのミキサー、マネージャー、レコード会社のPRの人たち・・・あの頃に知り合った人たちが懐かしく思い出されます。彼らもきっと私と同じ想いに違いありません。
This is a final curtain call. See you in July. I love you. I love you so much from the bottom of my heart.
7月のロンドン公演の発表が彼の最後のメッセージとなってしまいました。
今日はマイケルの冥福を祈って彼につながる思い出話を書いてみたいと思います。
私はニューヨークで2度、マイケル・ジャクソンのコンサートを観ています。会場はニュージャージーのフットボールスタジアムとマディソンスクエアガーデンです。当時、音楽番組を制作しておりましたので、ほとんどのコンサートに招待されるという優雅な時代でした。しかし多忙をきわめていましたので、スーパスターのコンサートしかでかけなかったのですが、その一つがマイケル・ジャクソンのカムバックコンサート、ジャクソン5のコンサートでした。
マイケルにはインタービューできませんでしたが、ジャクソン5の一員のランディ・ジャクソンにNYで会う事ができました。彼をインタービューするために、マイケル兄弟が滞在しているホテルで取材スタッフ全員が待たされること数時間。世界各国からのメディアがロビーにたむろしていて、それは大変な取材合戦だったことを思い出します。
各メディア(プリント、ラジオ、TV)は与えられた時間以内に取材をこなしていかなければなりません。レッドゼッペリンのロバート・プラントやマライア・キャリーのようなスーパスターのインタービューは与えられる時間はたったの15分から20分。このときも大変でしたが、無名なランディは何しろジャクソン5の一員ということで、スーパスター扱いでした。このわずかな間にできるだけ面白い話をききださなければならない。有名スターとのインタービューはいつも短期間の真剣勝負でした。
一方インタービューされるスターたちも、一日中ホテルの一室で缶詰状態で、同じような質問に何百回も答えなければなりません。ランディはそれでも、きさくにいろんな質問に答えてくれました。兄マイケルとのエピソードなどもくわえながら・・・たとえマイケルに会ってなくてもまるで彼が側にいるようないい話を聞かせてくれました。
マイケルはTVのインタービューでこう答えています。
「僕は他の子供たちが公園で遊んでいるのをみて、涙がとまらなかった。彼らと一緒に遊びたかった。でも僕にはそれが許されなかったんだ。毎日働かなくてはならなかったから。今日も舞台に立って歌わなければならない。そのことを父に文句をいうとぶたれたよ。町から町へ。僕の遊び場はホテルの部屋しかなかった。だから小さい子供をみると、彼らののぞみをかなえてやりたいと思う。プレーグラウンドで思いっきり遊ばせてやりたいと思う。そのことが普通の人には理解してもらえないのだけど・・・」
どんな名声や財力でもっても時計を逆戻しすることはできません。「永遠に失ってしまった子供時代を取り戻す」このオブセッションともいえる子供時代への執着は、ネヴァーランドの遊園地をつくることに始まり、子供たちと遊園地で一緒に遊ぶだけでなく、スランバーパーティ(パジャマパーティー)を開いて子供たちと夜を共に同じベッドですごすようになります。そのために性のいたずら事件として訴えられることになり、裁判につぐ裁判のために約20億円相当の弁護士料を払うほどのダメージを受けました。
この性のいたずらは結局無実の判決に終わりましたが、イメージの低下と精神的ストレスはマイケルの歌手生命に致命的な打撃を与えて、ついに回復することができませんでした。
何十回にもわたる整形手術、白くなった肌、契約結婚・・・マイケルがある記者に語った言葉がわすれられません。
I am a very lonely man.
いつも多くの人たちに囲まれながら、真の友だちに恵まれなかったマイケル。
禿鷹のように彼の資産を狙って群がってくる人々の中で、誰にも心を開くことができなかったマイケル。
彼の不可解な行動は、マイケルのヘルプの必死な叫びだったのかもしれません。
マイケル・ジャクソンが音楽界だけでなく、世界の若者に与えたインパクトは計り知れないものがあります。初めて人種やカルチャーの違いを乗り越えたスーパスターが登場したのです。
何時間もCNNをかけっぱなしにしてマイケルの特集を観ていますが、今シェアがマイケルの思い出話をしています。その前はディオン・セリーヌ。世界的なスターたちが次々とマイケルとの思い出を語っています。今夜は夜通しでマイケルの音楽を流して、いろんなエピソードに耳を傾けながら彼を偲びたいとおもいます。
「最近のあなたは、非難と訴訟と借金で心の休まることがありませんでしたね。健康がすぐれないにもかかわらず、ロンドンのコンサートの準備も大変な負担になっていたと思います。
I am a very lonely man. といって突然去ってしまったあなた。
私たちはついに最後のスーパスターを失ってしまいました・・・世界各地であなたの死を悼んで人々が集まり始めています。今私たちはあなたの数多くの歌を聞きながら、いかにあなたが私たちの青春の大切な一部であったか、そして私たちを豊かにしてくれたかを噛み締めています・・・あなたは一人ぽっちではありません。私たちの心に永遠の住み続けるかけがえのない友なのですから。」
いつも駆け足で過去を振り返る余裕がなかった私ですが、今夜はゆっくりとマイケルと語りたい思います。プロデューサー、レコーディングスタジオのミキサー、マネージャー、レコード会社のPRの人たち・・・あの頃に知り合った人たちが懐かしく思い出されます。彼らもきっと私と同じ想いに違いありません。
This is a final curtain call. See you in July. I love you. I love you so much from the bottom of my heart.
7月のロンドン公演の発表が彼の最後のメッセージとなってしまいました。
I love you too. You will be missed forever!
投稿者 Tennisnakama 13:06 | コメント(10)| トラックバック(0)
tennisnakamaさんなら、きっと、マイケルの話題を書いてくださると思い、サイトを開きました。マイケルの思い出話をありがとうございます。
先日の清志郎の死にショックを受け、同時に自分の青春の一時代が終わったことを否応なしに突きつけられたばかりでした。最近のジョギングの友はマイケルでした。彼の軽やかで天才的なダンスを思い出しながら走っているとどこまでも走れるような気がするのです。
「マイケルの真実」のインタビューの中で「何が一番したい?夢は?」の質問に「マーケットで買い物をしてレジに並びたい。本屋で自由に本を選びたい。今は僕が一人で買い物をしたら何を買ったのかいくらなのか逐一報道されちゃうからね。」と寂しく笑ったマイケルを思い出し、泣いてしまいました。あれほどの才能と財力があっても彼は一度も自分自身に満足したことがなかったのかもしれませんね。
安らかに眠って天国で自由に買い物や散歩を楽しんでね。
ジョンレノンが自宅の前で射殺されたとき私たちはニューヨークにすでに住んでいました。彼の死はショックでしたが、ビートルズとともに青春を歩んできた夫にとってはものすごいショックだったようで、セントラルパークの黙祷コンサートに一人で出かけて行きました。
今回のマイケル・ジャクソンの死ですが、私がCNNの特集番組をみているのに、ヤンキーズをみたいといってTVのある寝室に行ってしまいました。夫にとってはマイケルはそれほどの意味をもたなかったのです。
死の重みは人によって大きく違いますね。「もし自分が突然この世からいなくなったとしたら?」この手の問いは危険ですので止めておきましょうね。
マイケルは母が熱狂的なファンだったため、物心つく前から私の体に染み込んでします。
小さい頃からプロモーションビデオを見て、ダンスを真似していました。
何度も何度もビデオを見るから、画像が劣化してしまってましたね。
私が思春期頃には、裁判や整形疑惑でマイケルのイメージがマスコミによりどんどん下げられててしまい非常に残念でした。友達にどんな音楽が好きかと聞かれると、ほんとはマイケルが一番好きだったんだけど、「サザンが好き」と本音で言えなかったのを思い出します。もちろん邦楽ではサザンが一番好きなんです・・・
幸運にもコンサートも何度かいきましたし、最近でも車でマイケルを聞いてました。
あれだけすばらしい音楽を私たちに提供して頂いたのに、寂しい最後でとてもやりきれないです。
マスコミはこれから追悼番組などをやっていくと思いますが、最後はマイケルの本当の人間性や音楽を通して世界中に収めた功績などを正当に評価して欲しいです。
ついこの前は 忌野清志朗が 亡くなり、 多くのフアンの悲しみが、ショックが まだ 癒えない矢先に さらに マイケルジャクソン の悲報、、、、。
わが妹も 清志朗の葬儀には たくさんのフアンの人と共に4~5時間並んで お別れをしてきたそうです。
なんだか ほんとに "sara"さん同様 *青春の一区切り* を感じてしまいす。 そして、我が年齢も改めて、、、。(考えたくない ><;) そして マイケルの”生涯の孤独さ”も 深く考えさせられますね。
それにしても、Tennisnakamaさんの経験の豊富さと話題性には いつも感服です。
タイムリーで 内容の濃い記事を いつもありがとうございます。
自分は中学生の時に"BAD"ではまりそれから過去の作品、を遡り、現在まで全て聞き続けてきて良い時も悪い時もMJの音楽は共にありましたのでかなりショックです。レイ・チャールズの時はそうでもなかったというか悲しかったですが今回はなんか身内か親戚がなくなったようです。
良い曲が有り過ぎてなんですが1番好きなのは"You are not alone"です。"Smile"もNat king coleと変わらないぐらい良かったなあー。ゴスペルとかの熱唱系じゃありませんでしたが人の心にストレートに届く歌を歌う、自分の中では本物のソウルシンガーでした。
明日は自分もシングルスの試合です。1set matchですが勝てば5Rまでやります。MJの弾け系の曲で気合い入れていっちょやってきます!!
ハマったわけでもない私でも マイケルについては、かっこいいなぁと思ったし、曲はすごく印象的なものが沢山ありますね。あれほどの才能がありながら、それ以外の事で取りざたされる事も多く「孤独」なイメージがありました。Tennisnakamさんにとっては本当に悲しい死なのですね。誰もがいつかはその日が来るのですが、自分の周りや大切な人に訪れる「その日」は永遠に来ないように思うときがありますね。どうか十分に彼のために悲しんであげて、また逝ってしまわれた大切な人の事も思い出して・・・そして、また元気なTennisnakmaさんに戻って下さい。