2008年11月18日
マリーの意地と戦略
11月21日から3日間にわたってデ杯決勝戦がアルジェンチンで行われますが、デ杯の話に移る前に、ここで私にとって大変興味のあるテーマ、“スポーツマンの意地と戦略”について、皆さんと語り合いたいと思います。これはスポーツマンシップの問題とも深くかかわってくるので素通りできないテーマなのです。
今年のマスターズカップは、波瀾万丈の出来事が次から次へと起こり、大変エキサイティングな大会となりました。特に3人の新人マリー、シモン、ツォンガの活躍など話題に尽きることがありませんでしたが、私にとって大会のハイライトはマリーとフェデラーとの試合でした。クウォリティーの高い劇的な試合という意味でも大会のハイライトでしたが、私にとっては「マリーテニスのあり方」に大変興味をそそられたのです。
マリーはなぜフェデラーに勝たねばならなかったか?
まず、マリーは準決勝入りが決まっていましたので、フェデラーに勝つ必要がなかったのです。(『フェデラーに奇跡起こらず』参照)
準決勝の対戦相手、ダヴィデンコは最高のテニスをしてきていますので、マリーにとってはベストコンディションで戦わなければ勝てない試合です。
もしフェデラー戦でエネルギーを使ってしまえば、準決勝のダヴィデンコ戦は危なくなることはマリーは百も承知でした。それが分かっていながら、なぜ死闘の3セット4-6, 7-6, 7-5をやってまで、フェデラーに勝たねばならなかったのか?
ジョコヴィッチの作戦
では、同じ立場にあったジョコヴィッチはどのように準決勝に向けて戦ったでしょうか?
ツォンガとの試合は、すでに準決勝入りが決まっていたジョコにとっては、マリーと同じく勝つ必要のない試合でした。そして彼のスコアは6-1, 5-7, 1-6が物語るように、3セットは省エネテニスで、軽く逃して準決勝のシモン戦に備えたのです。ここで1千万円をツォンガに譲りましたが、大きな獲物6500万円(準優勝)か1億3千万円(優勝)を狙った戦略は賢かったと言えます。
このジョコのやり方に「やっぱりジョコらしいこすい計算だ。すべての試合は正々堂々と最後まで全力でやるべきだ。」という声が上がったもの理解できます。
フェデラーを倒さなければならなかったマリーの意地
死闘をやったマリーに対して、マリーファンの中でも意見が真っ二つに分かれました。
賞賛組は「マリーは自分に不利になると分かっていながら、フェデラーと最後までよく戦った。スポーツマンとしてすばらしい。」
批判組は「マリーは準決勝のチャンスをわざわざ見逃してしまった判断は貧しかった。」
記者会見でマリーはフェデラー戦がいかに大切だったか、以下のように述べています。
「僕にとって対戦相手がジョコヴィッチだろうとダヴィデンコだろうと関係ない。試合に出たら勝ちたいと思うのが当然のことだ。特にフェデラーはテニス史上で最強の選手の一人だ。彼に勝つということは、僕にとってはマスターズカップに優勝することに近い意味をもつんだ。だから僕は110%の力を振り切って頑張った。そのことについて後悔していない。」
「選手のなかには、僕とちがった選択をする選手(ジョコのこと)もいると思うが、僕は自分の選択に満足している。」
もし、マリーが3セット目で次の試合を考えて、手を抜いてフェデラーに負けていたら?
もし、フェデラーが3セット目で自分の腰のコンディションの予防のためにリタイアしていたら? リタイアしなくてもほどほどに戦っていたら?
私たちに感動を呼ぶのは、明らかに自分にとってマイナスと分かっていても、試合を捨てず全身全霊をこめて戦うスポーツマン精神なのです。ですからフェデラーvsマリー戦は私たちに感動を与えてくれたのです。
「フェデラーがなぜあれほど世界から尊敬され慕われているか」ここに大きな理由があります。
「ジョコテニス」を支持するか、「マリーテニス」を支持するか、それは個人の価値感の問題です。いろんなテニスがあるからこそ私たちもテニスに魅了されるのですから。
私はマリーのとった「フェデラーに勝つ執念」は正しかったと思います。
マリーのゴールはマスターズカップの優勝ではないのです。「グランドスラムでフェデラーに勝つ」今年のUS Openの恨みを果たしGSタイトルを獲る!という大きな目的があるのです。フェデラーがNo.2であろうと、フェデラーは選手にとっては最高峰のエヴェレスト。このエヴェレストに登頂することがいかに大きな意味をもち自信を与えてくれるか、過小評価してはならないと思います。マリーの戦略はエヴェレストに挑戦することだったのです。
今年のマスターズカップは、波瀾万丈の出来事が次から次へと起こり、大変エキサイティングな大会となりました。特に3人の新人マリー、シモン、ツォンガの活躍など話題に尽きることがありませんでしたが、私にとって大会のハイライトはマリーとフェデラーとの試合でした。クウォリティーの高い劇的な試合という意味でも大会のハイライトでしたが、私にとっては「マリーテニスのあり方」に大変興味をそそられたのです。
マリーはなぜフェデラーに勝たねばならなかったか?
まず、マリーは準決勝入りが決まっていましたので、フェデラーに勝つ必要がなかったのです。(『フェデラーに奇跡起こらず』参照)
準決勝の対戦相手、ダヴィデンコは最高のテニスをしてきていますので、マリーにとってはベストコンディションで戦わなければ勝てない試合です。
もしフェデラー戦でエネルギーを使ってしまえば、準決勝のダヴィデンコ戦は危なくなることはマリーは百も承知でした。それが分かっていながら、なぜ死闘の3セット4-6, 7-6, 7-5をやってまで、フェデラーに勝たねばならなかったのか?
ジョコヴィッチの作戦
では、同じ立場にあったジョコヴィッチはどのように準決勝に向けて戦ったでしょうか?
ツォンガとの試合は、すでに準決勝入りが決まっていたジョコにとっては、マリーと同じく勝つ必要のない試合でした。そして彼のスコアは6-1, 5-7, 1-6が物語るように、3セットは省エネテニスで、軽く逃して準決勝のシモン戦に備えたのです。ここで1千万円をツォンガに譲りましたが、大きな獲物6500万円(準優勝)か1億3千万円(優勝)を狙った戦略は賢かったと言えます。
このジョコのやり方に「やっぱりジョコらしいこすい計算だ。すべての試合は正々堂々と最後まで全力でやるべきだ。」という声が上がったもの理解できます。
フェデラーを倒さなければならなかったマリーの意地
死闘をやったマリーに対して、マリーファンの中でも意見が真っ二つに分かれました。
賞賛組は「マリーは自分に不利になると分かっていながら、フェデラーと最後までよく戦った。スポーツマンとしてすばらしい。」
批判組は「マリーは準決勝のチャンスをわざわざ見逃してしまった判断は貧しかった。」
記者会見でマリーはフェデラー戦がいかに大切だったか、以下のように述べています。
「僕にとって対戦相手がジョコヴィッチだろうとダヴィデンコだろうと関係ない。試合に出たら勝ちたいと思うのが当然のことだ。特にフェデラーはテニス史上で最強の選手の一人だ。彼に勝つということは、僕にとってはマスターズカップに優勝することに近い意味をもつんだ。だから僕は110%の力を振り切って頑張った。そのことについて後悔していない。」
「選手のなかには、僕とちがった選択をする選手(ジョコのこと)もいると思うが、僕は自分の選択に満足している。」
もし、マリーが3セット目で次の試合を考えて、手を抜いてフェデラーに負けていたら?
もし、フェデラーが3セット目で自分の腰のコンディションの予防のためにリタイアしていたら? リタイアしなくてもほどほどに戦っていたら?
私たちに感動を呼ぶのは、明らかに自分にとってマイナスと分かっていても、試合を捨てず全身全霊をこめて戦うスポーツマン精神なのです。ですからフェデラーvsマリー戦は私たちに感動を与えてくれたのです。
「フェデラーがなぜあれほど世界から尊敬され慕われているか」ここに大きな理由があります。
「ジョコテニス」を支持するか、「マリーテニス」を支持するか、それは個人の価値感の問題です。いろんなテニスがあるからこそ私たちもテニスに魅了されるのですから。
私はマリーのとった「フェデラーに勝つ執念」は正しかったと思います。
マリーのゴールはマスターズカップの優勝ではないのです。「グランドスラムでフェデラーに勝つ」今年のUS Openの恨みを果たしGSタイトルを獲る!という大きな目的があるのです。フェデラーがNo.2であろうと、フェデラーは選手にとっては最高峰のエヴェレスト。このエヴェレストに登頂することがいかに大きな意味をもち自信を与えてくれるか、過小評価してはならないと思います。マリーの戦略はエヴェレストに挑戦することだったのです。