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「ジョコヴィッチはルーザーだ」の記事の背景

オーストラリアン・オープンでセルビア人とボスニア人の起こした暴動事件は、世界中に報道されました。そのなかから約20紙にわたる記事をオンラインで調べ,記事の内容について調べてみました。

記事のほとんどが、事件の概略だけでなく、ボスニアのデリックとセルビアのジョコヴィッチのコメントを載せています。それは彼らの試合の直後に起こった事件で、この試合について罵り合いが高じて椅子をなげたり、殴り合ったりする暴力事件に発展したために、二人のコメントを載せたことは当然のことだと思います。

二人のコメントについては、前回の記事に詳しく書きましたのでご覧いただきたいと思います。私が一番危惧していたことがやっぱり起こりました。それはジョコヴィッチの発言です。メディアは彼の言ったことをそのまま掲載しました。

記事の内容は大半が、ジョコヴィッチはこの事件に関して「テニスに集中できなくなるから」という理由で、暴動を起こしたセルビアファンへのコメントを拒否した・・・となっています。

これはジョコヴィッチにとって大変マイナスなイメージを与えました。私が予想したように、彼の言葉が彼の意思とは関係なく一人歩きしてしまいました。

「テニスを応援してくれるのは嬉しいが、暴力行為は認められない」の一言がなぜなかったのか、と私はブログで書きました。もしあの場で言いそびれたのなら、彼の公式サイトでコメントを残す配慮があってもよかったのでは、とも書きました。

この事件を報道した代表的なメディアを紹介します。

ニューヨークタイムズ:『テニス・フーリガンズ?』
http://thelede.blogs.nytimes.com/2009/01/23/tennis-hooligans/

チャイナポスト:
http://www.chinapost.com.tw/sports/other/2009/01/25/193563/Security-heightened.htm

オーストラリアズ・ヘラルド・サン:
http://www.news.com.au/heraldsun/story/0,21985,24954790-661,00.html

最もジョコヴィッチに厳しい記事を掲載したのは、オーストラリアのメジャーな新聞、The Australianです。

Djokovic a Loser 『ジョコヴィッチはルーザーだ』という大変てきびしいタイトルの記事を掲載しています。
http://www.theaustralian.news.com.au/story/0,25197,24955563-7583,00.html

このLoserの言葉は「ダメな奴」というニュアンスがあり、普段は新聞の見出しには見られない軽蔑の意味が含まれています。彼がこの事件についてコメントを控えたことについて、パトリック・スミス記者は以下のように書いています。

As a sportsman proudly representing his country and idolised by people linked in whatever tenuous ways to Serbia, Djokovic had a duty to speak out and show leadership to a small group intent on mayhem if given the slightest opportunity, never mind provocation. He failed.

「セルビアを代表するスポーツマンとして、またセルビアの国民のアイドルとしてジョコヴィッチは発言する義務があり、暴力を目的としたグループを諌めるリーダーシップをとる義務がある。たとえそれがどんな小さな機会であっても、それが彼らを怒らせるようなことがあっても、彼には行動をとる義務があった。しかしジョコヴィッチはそれをしなかった。」

Djokovic should have spoken out loudly and bravely, condemning the reckless, spiteful behaviour that is becoming so frequent that is in danger of smearing the Australian Open permanently. News and vision of the incident made international websites within minutes.

「ジョコヴィッチはオーストラリアン・オープンの名を汚すような、あまりにもたびたび繰り返されるこのような無謀で悪意に満ちた行動を、勇気をもって大声で非難するべきだった。この暴動事件のニュースや映像は世界中にウェブサイトを通して数分で伝わってしまった。」

ここで理解しなくてはならないのは、このような厳しい記事が書かれる社会的背景と暴力事件を起こした若者達の実態です。彼らのほとんどがオーストリアへ移住した三世のジェネレーションだと聞きます。バルカン戦争の経験していないオーストラリア生まれの彼らは、Hooligan(ごろつき)の集団として、サッカーの観戦にやってきては暴力事件を起こすことでも知られ、オーストラリアでは社会問題になっているのです。あまりにも暴力事件が重なり治安のために、サッカーリーグをエスニックにかたまらないよう解体して再編成をしたとききます。喧嘩を求めてスポーツイヴェントにくる彼らの行動は、政治活動ではなく、社会の治安を乱すアンチ社会行動であることから、彼らを批判しなかったジョコヴィッチが厳しく非難されたのです。

ヨーロッパでもセルビア人の過激なフーリガンは有名です。良識のあるセルビア人たちのためにも、彼らの行為は非難されるべきです。それが影響力の大きいジョコヴィッチがしなかったことに記者は失望したのだと思います。

民族の対立を装った卑劣な行動は断じて許されるべきではなく、その意味でも、クロチア人のリュビチッチの発言は評価されてよいと思います。また、同じセルビア人のイヴァノヴィッチも「暴力はゆるされない」というコメントを発表したそうです。このように国を代表する選手たちが声を大にして訴えていくことが、平和への大きな貢献につながり、とても大切なことではないかと思うのです。

投稿者 Tennisnakama  14:11 | コメント(20) | トラックバック(0)

成功恐怖症?

オーストラリアン・オープン Day 6
フェデラー def バーディッチ 4-6, 6-7, 6-4, 6-4, 6-2

フェデラーが5セットまで戦わなければならなかったこのR16のバーディッチ戦は、全く違った2試合の展開をみせ、その意味ではとても興味深い試合となりました。

(日本ではベルディフと呼ばれていますが、海外では一般にバーディッチと呼ばれていますので、この呼び方を採用しています。同じチェコ人のマティナ・ナルヴァティロヴァは彼のことをバーディックと呼んでいます。)

前半はバーディッチの完璧ともいえる攻撃のテニスで、技術的にはバーディッチがフェデラーを上回るテニスでした。後半はフェデラーがメンタルで上回り、結局メンタルの強いフェデラーが5セット目を勝ち取りR16はフェデラーの勝利に終わりました。

このゲームをメンタルゲームへと変化させたのは、第3セットの7ゲーム目(33)バーディッチのサーヴィスゲームです。ブレークポイントをサーヴィスエースで免れたバーディッチは、武器のフォアハンドと豪快なサーヴをフルに駆使してフェデラーからポイントを奪っていきます。しかしバーディッチは取り返しのつかないミスを犯してしまったのです。フワッと上がってきた球をスマッシュしようとして、ネットしてしまいました。こんな簡単なスマッシュを!しかもこの大切なポイントで!バーディッチは信じられない顔をしました。

この瞬間が、ゲーム展開を技からメンタルに流れを変えてしまいました。ここで興味深いのは、二人の抱いた本能的な直感です。フェデラーは「5セットに持ち込まれても勝つ自信があった」と、揺るぎない勝つという信念と自信によって、リズムを取り返していきます。

反面、過去に勝っていながら、最後に勝利を逃がしてしまった多くの苦い経験をもつバーディッチには、「やっぱり」という気持が湧いてきたのではないでしょうか。今まであれほど鋭いショットを見せていたバーディッチに冴えがなくなってきました。「やっぱり僕は勝てない」「今まで有利だったのは運がよかったからだ。」と自分が信じられないバーディッチが顔を覗き出してきたような印象を受けます。

2004年にフェデラーを倒して、センセーションナルに突然出現した、あの透き通るグリーンの目をしたチェコの18才の青年に、世界が魅せられました。彼のフラット気味のフォアハンドは、爆発的な威力でもってコーナーを突抜け、長身から叩き付けられるサーヴは、フェデラーもリターンができないほどの威力を持ちます。この才能に溢れるバーディッチがまだトップ5にも入れず20番台をウロウロしているのは、ガスケと並んでテニスの七不思議にあげれれるほど理解に苦しむ現象なのです。

今回の試合を再度観て感じたのは、有利に試合を展開させても、最後に負けてしまうのは、単なるメンタルで片付けられない問題があるのではないかという点です。ひょっとしたら彼の問題は緊張して固くなるだけでなく、もっと奥深いものがあるのではないかと思うのです。

(これから私の独断的で大胆な分析にはいります)

この繰り返されるバーディッチのメンタルの問題は、「成功恐怖症」Success Syndrome に似ています。この成功恐怖症は特に才能のある人によく見られる症状で、「自分の成功はまぐれだった」という自分への過小評価と不信感からきています。そして成功するのが恐くなってしまい(テニスでは優勝)、途中で投げ出してしまうのです。

なぜこのような印象を受けたかというと、第5セットの8ゲーム(2-5)でフッと見せたバーディッチの笑顔が、実に不釣り合いに見えたからでした。せっかくデュースにもっていったのですから、ここから取り返すぜという顔ではなく、何となくホッとした表情を見せたのです。「僕はフェデラーには勝てないことは分かってるんだ。自分に過大な期待をかけないでよかった。」といったプレッシャーから逃れた安堵感だったような気がするのです。

勝てる試合を何度も落としてきたバーディッチには、勝てる自分を信じていないように思えます。優勢だった状況から、一挙に崩れだしたバーディッチをみていると、成功恐怖症(テニスでは勝利を恐れる)から抜け出せない彼を垣間みたような気がするのです。スポーツサイコロジーで読んだことがありますが、かなり多くの選手にみられる現象だということでした。

強いメンタルで知られるフェデラーは、「2セットダウンからでも自分は勝てると信じていた」と記者会見で言っています。どんな窮地に陥っても、最後には勝てるという自分に対する信念と自信は、13タイトルを勝ち得たチャンピオンでしか持ち得ないアセットかもしれません。

果たしてこのアセットでもって、フェデラーは次の試合をメンタルゲームに持ち込み、ゲームを有利に展開できるでしょうか?

対戦相手はバーディッチと違い、ショットにミスの少ないデルポトロです。ディフェンスがうまく、一発勝負をやらないデルポトロだけに、フェデラーのエラーは大禁物です。

アガシが言っていた「エラーを15以下に押さえたら僕はどんな試合でも勝てる」まさにこの言葉が今後のフェデラーの課題ではないかと思います。

QFのデルポトロ戦を注目したいと思います。


投稿者 Tennisnakama  05:21 | コメント(9) | トラックバック(0)