2009年01月26日
「ジョコヴィッチはルーザーだ」の記事の背景
オーストラリアン・オープンでセルビア人とボスニア人の起こした暴動事件は、世界中に報道されました。そのなかから約20紙にわたる記事をオンラインで調べ,記事の内容について調べてみました。
記事のほとんどが、事件の概略だけでなく、ボスニアのデリックとセルビアのジョコヴィッチのコメントを載せています。それは彼らの試合の直後に起こった事件で、この試合について罵り合いが高じて椅子をなげたり、殴り合ったりする暴力事件に発展したために、二人のコメントを載せたことは当然のことだと思います。
二人のコメントについては、前回の記事に詳しく書きましたのでご覧いただきたいと思います。私が一番危惧していたことがやっぱり起こりました。それはジョコヴィッチの発言です。メディアは彼の言ったことをそのまま掲載しました。
記事の内容は大半が、ジョコヴィッチはこの事件に関して「テニスに集中できなくなるから」という理由で、暴動を起こしたセルビアファンへのコメントを拒否した・・・となっています。
これはジョコヴィッチにとって大変マイナスなイメージを与えました。私が予想したように、彼の言葉が彼の意思とは関係なく一人歩きしてしまいました。
「テニスを応援してくれるのは嬉しいが、暴力行為は認められない」の一言がなぜなかったのか、と私はブログで書きました。もしあの場で言いそびれたのなら、彼の公式サイトでコメントを残す配慮があってもよかったのでは、とも書きました。
この事件を報道した代表的なメディアを紹介します。
ニューヨークタイムズ:『テニス・フーリガンズ?』
http://thelede.blogs.nytimes.com/2009/01/23/tennis-hooligans/
チャイナポスト:
http://www.chinapost.com.tw/sports/other/2009/01/25/193563/Security-heightened.htm
オーストラリアズ・ヘラルド・サン:
http://www.news.com.au/heraldsun/story/0,21985,24954790-661,00.html
最もジョコヴィッチに厳しい記事を掲載したのは、オーストラリアのメジャーな新聞、The Australianです。
Djokovic a Loser 『ジョコヴィッチはルーザーだ』という大変てきびしいタイトルの記事を掲載しています。
http://www.theaustralian.news.com.au/story/0,25197,24955563-7583,00.html
このLoserの言葉は「ダメな奴」というニュアンスがあり、普段は新聞の見出しには見られない軽蔑の意味が含まれています。彼がこの事件についてコメントを控えたことについて、パトリック・スミス記者は以下のように書いています。
As a sportsman proudly representing his country and idolised by people linked in whatever tenuous ways to Serbia, Djokovic had a duty to speak out and show leadership to a small group intent on mayhem if given the slightest opportunity, never mind provocation. He failed.
「セルビアを代表するスポーツマンとして、またセルビアの国民のアイドルとしてジョコヴィッチは発言する義務があり、暴力を目的としたグループを諌めるリーダーシップをとる義務がある。たとえそれがどんな小さな機会であっても、それが彼らを怒らせるようなことがあっても、彼には行動をとる義務があった。しかしジョコヴィッチはそれをしなかった。」
Djokovic should have spoken out loudly and bravely, condemning the reckless, spiteful behaviour that is becoming so frequent that is in danger of smearing the Australian Open permanently. News and vision of the incident made international websites within minutes.
「ジョコヴィッチはオーストラリアン・オープンの名を汚すような、あまりにもたびたび繰り返されるこのような無謀で悪意に満ちた行動を、勇気をもって大声で非難するべきだった。この暴動事件のニュースや映像は世界中にウェブサイトを通して数分で伝わってしまった。」
ここで理解しなくてはならないのは、このような厳しい記事が書かれる社会的背景と暴力事件を起こした若者達の実態です。彼らのほとんどがオーストリアへ移住した三世のジェネレーションだと聞きます。バルカン戦争の経験していないオーストラリア生まれの彼らは、Hooligan(ごろつき)の集団として、サッカーの観戦にやってきては暴力事件を起こすことでも知られ、オーストラリアでは社会問題になっているのです。あまりにも暴力事件が重なり治安のために、サッカーリーグをエスニックにかたまらないよう解体して再編成をしたとききます。喧嘩を求めてスポーツイヴェントにくる彼らの行動は、政治活動ではなく、社会の治安を乱すアンチ社会行動であることから、彼らを批判しなかったジョコヴィッチが厳しく非難されたのです。
ヨーロッパでもセルビア人の過激なフーリガンは有名です。良識のあるセルビア人たちのためにも、彼らの行為は非難されるべきです。それが影響力の大きいジョコヴィッチがしなかったことに記者は失望したのだと思います。
民族の対立を装った卑劣な行動は断じて許されるべきではなく、その意味でも、クロチア人のリュビチッチの発言は評価されてよいと思います。また、同じセルビア人のイヴァノヴィッチも「暴力はゆるされない」というコメントを発表したそうです。このように国を代表する選手たちが声を大にして訴えていくことが、平和への大きな貢献につながり、とても大切なことではないかと思うのです。
記事のほとんどが、事件の概略だけでなく、ボスニアのデリックとセルビアのジョコヴィッチのコメントを載せています。それは彼らの試合の直後に起こった事件で、この試合について罵り合いが高じて椅子をなげたり、殴り合ったりする暴力事件に発展したために、二人のコメントを載せたことは当然のことだと思います。
二人のコメントについては、前回の記事に詳しく書きましたのでご覧いただきたいと思います。私が一番危惧していたことがやっぱり起こりました。それはジョコヴィッチの発言です。メディアは彼の言ったことをそのまま掲載しました。
記事の内容は大半が、ジョコヴィッチはこの事件に関して「テニスに集中できなくなるから」という理由で、暴動を起こしたセルビアファンへのコメントを拒否した・・・となっています。
これはジョコヴィッチにとって大変マイナスなイメージを与えました。私が予想したように、彼の言葉が彼の意思とは関係なく一人歩きしてしまいました。
「テニスを応援してくれるのは嬉しいが、暴力行為は認められない」の一言がなぜなかったのか、と私はブログで書きました。もしあの場で言いそびれたのなら、彼の公式サイトでコメントを残す配慮があってもよかったのでは、とも書きました。
この事件を報道した代表的なメディアを紹介します。
ニューヨークタイムズ:『テニス・フーリガンズ?』
http://thelede.blogs.nytimes.com/2009/01/23/tennis-hooligans/
チャイナポスト:
http://www.chinapost.com.tw/sports/other/2009/01/25/193563/Security-heightened.htm
オーストラリアズ・ヘラルド・サン:
http://www.news.com.au/heraldsun/story/0,21985,24954790-661,00.html
最もジョコヴィッチに厳しい記事を掲載したのは、オーストラリアのメジャーな新聞、The Australianです。
Djokovic a Loser 『ジョコヴィッチはルーザーだ』という大変てきびしいタイトルの記事を掲載しています。
http://www.theaustralian.news.com.au/story/0,25197,24955563-7583,00.html
このLoserの言葉は「ダメな奴」というニュアンスがあり、普段は新聞の見出しには見られない軽蔑の意味が含まれています。彼がこの事件についてコメントを控えたことについて、パトリック・スミス記者は以下のように書いています。
As a sportsman proudly representing his country and idolised by people linked in whatever tenuous ways to Serbia, Djokovic had a duty to speak out and show leadership to a small group intent on mayhem if given the slightest opportunity, never mind provocation. He failed.
「セルビアを代表するスポーツマンとして、またセルビアの国民のアイドルとしてジョコヴィッチは発言する義務があり、暴力を目的としたグループを諌めるリーダーシップをとる義務がある。たとえそれがどんな小さな機会であっても、それが彼らを怒らせるようなことがあっても、彼には行動をとる義務があった。しかしジョコヴィッチはそれをしなかった。」
Djokovic should have spoken out loudly and bravely, condemning the reckless, spiteful behaviour that is becoming so frequent that is in danger of smearing the Australian Open permanently. News and vision of the incident made international websites within minutes.
「ジョコヴィッチはオーストラリアン・オープンの名を汚すような、あまりにもたびたび繰り返されるこのような無謀で悪意に満ちた行動を、勇気をもって大声で非難するべきだった。この暴動事件のニュースや映像は世界中にウェブサイトを通して数分で伝わってしまった。」
ここで理解しなくてはならないのは、このような厳しい記事が書かれる社会的背景と暴力事件を起こした若者達の実態です。彼らのほとんどがオーストリアへ移住した三世のジェネレーションだと聞きます。バルカン戦争の経験していないオーストラリア生まれの彼らは、Hooligan(ごろつき)の集団として、サッカーの観戦にやってきては暴力事件を起こすことでも知られ、オーストラリアでは社会問題になっているのです。あまりにも暴力事件が重なり治安のために、サッカーリーグをエスニックにかたまらないよう解体して再編成をしたとききます。喧嘩を求めてスポーツイヴェントにくる彼らの行動は、政治活動ではなく、社会の治安を乱すアンチ社会行動であることから、彼らを批判しなかったジョコヴィッチが厳しく非難されたのです。
ヨーロッパでもセルビア人の過激なフーリガンは有名です。良識のあるセルビア人たちのためにも、彼らの行為は非難されるべきです。それが影響力の大きいジョコヴィッチがしなかったことに記者は失望したのだと思います。
民族の対立を装った卑劣な行動は断じて許されるべきではなく、その意味でも、クロチア人のリュビチッチの発言は評価されてよいと思います。また、同じセルビア人のイヴァノヴィッチも「暴力はゆるされない」というコメントを発表したそうです。このように国を代表する選手たちが声を大にして訴えていくことが、平和への大きな貢献につながり、とても大切なことではないかと思うのです。
投稿者 Tennisnakama 14:11 | コメント(20)| トラックバック(0)
言葉遊びの好きな人たち。。。辟易します。
メディアの人たち。。。
政治家。。。言った言わないで、足ひっぱりあい。
仕事しろって思います。
去年から、悪いイメージでメディアに遊ばれてるジョコビッチが何言ったって、メディアは悪く取るんでは?
ジョコの声を聞けないのは残念だけど、今は黙ってるのが一番だと思う。
「結果を出せばいいじゃないかと考える」技術屋は こういうわけで、出世しないのかしらね。(笑)
tennisnakamaさんのいろいろな問題提起には、日本においては知らされてないことも多く、またアメリカ、ニューヨークという土地柄におかれ、生活されているtennisnakamaさんならではの、ご意見覚にはいつも考えさせられ、我ながら「国際感覚」の亡失を認識させられてます。
私などは、普段あまり知らなかったスラブ系の国々の選手を見つけるたびに、地図や近年の状況などを、書籍やインターネットなどで調べたりしながら、その選手の生まれ育った環境はいかばかりか、とおもいやったりしていることも多いので、tennisnakamaさんやコメントされる皆さんの博識に感心するばかりです。
コメントを寄せる皆様のご意見も多種多様で、いろいろ考えさせられますが、私もtennisnakamaさんのジョコビッチに対する、第一声に賛同でした。その感覚が世の中では、ただ唯一の意見ではないことに、気がつかされ愕然ともしていました。でもいろいろな、自分とは違う意見を知るのは必要ですね。
テニスという世界でもメジャーなスポーツを通して、国際理解を深めることはいいことだと思います。
日本ではスポーツ界やショウビズ界の有名人が政治的発言、主張をする土壌がないけれど、tennisnakamaさんのブログで今回、他国においては若干20代の選手達がこのような発言をしている、しなければならない立ち場にあるという事を改めて認識させられ、考えさせられています。
それは選手個人の批判とかキャラクターの問題ではないという大前提で。
今wowwowでブレーク、ツォンガの試合をやっています。シモン戦、マリー戦・・・今夜も、試合後のtennisnakamaさんの試合の解釈を読むのを楽しみにしています。・・・といっても・・・時差を思うと本当にいつお休みになられているのだろうと、気になってしまいますが・・・。お体をどうぞ第一になさってください。
いつもTennisnakama さんの試合分析や幅広い情報を興味深く読ませていただいています。
今回のジョコビッチの態度に対するTennisnakama さんのコメント、全くその通りだと思います。
テニスプレーヤーである前に一人の人間として、社会人としての成長が今後のジョコビッチの
重要な課題であると思います。ジョコビッチの両親、トレーナーなど周りの人間のレベルが問われていると思います。テニスだけしていればいいという純粋栽培的テニスプレーヤーでは、真の意味の一流プレーヤーにはなれないと思います。各国がひしめき合い他国の情勢に無関心では生きて行けないヨーロッパでは、例え当事国の者であっても、否当事国の者である故に何らかのメッセージを出すべきだと思います。何も言わないのは、無関心であると解釈されても仕方がないのであり、それはジョコビッチも百も承知のことだと思います。
私は、スポーツの魅力を最大限信じています。
その魅力は、紛争、暴力、その他諸々の悪しき感情を払拭する力を持つと信じています。
そして、その魅力は選手が真剣に勝負をすることで生まれます。
決して選手の発言から生まれるわけではありません。
また、へたな発言は愚かな物に利用されるだけです。
ただでさえ、昨今において、北京五輪をはじめ、スポーツが政治の道具にされる風潮にあります。
私には、スポーツ選手が諸問題について政治的な発言をすることは、
スポーツの魅力が本来持っている力を失わせ、政治の道具になり下げてしまっているような気がしてなりません。
スポーツ選手が目の前の試合にのみ集中して何が悪いのでしょうか?
しかも、ジョコビッチ選手にとっては、当事者として深い思慮(表に出る出ないは別として)があっての行動であったことでしょう。
私は、今回のジョコビッチ選手の行動を支持します。
メディアに惑わされずにこのままで行って欲しいと思っております。
一方、スポーツ選手が発言力を持つことは、それはそれで素晴らしいとは思いますし、
発言する人も尊重します。
しかし、スポーツ選手に発言を強要するような考えには反対です。
(そもそも前回行ったように、発言するしないが結果的に良しか悪しかは誰にも分らない、発言しないということもまた、明確な音なき発言であります。)
選手は、スポーツに真摯に取り組んでいれば、それでいいと思います。
そして真剣勝負が感動を呼び、悪しき感情を忘却に臥してくれると願っております。
私は911では大学の先輩を亡くしています。夫は直前までビルにおりましたし、1993年の爆破事件では息子が近くで遊んでおりました。 ユダヤ人の友達の家族は町が爆破を受け今避難中です。ロンドンのレストランの爆破で友達が怪我をしました。例をあげればきりがありません。これらは新聞の記事に載った事件ではなく、私の身辺に実際起きた事件です。 日本もますますグローバル化が進み、いろんな人種が住み始めています。そこで当然起こってくるのが人種間の摩擦です。
今回の暴動事件はチンピラの事件として片付けられないのは、「バルカン民族」という旗をふりながら政治色に見せかけた卑劣な行為だからです。そのような背景を理解していただければと思い、ジョコヴィッチについて書きましたが、私がジョコバッシングをしているととられたのは心外です。彼にはぜひテニス界を盛り上げてもらいたいと大いに期待しているのですから。 ジョコに言えないどんな事情があるにせよ、コメントができないのであれば、その旨を伝えてほしかった思います。それでないとますます彼のネガティヴなイメージが一人歩きしてしまいます。
...ま、こういう話はこれぐらいにして、これからもTennisnakamaさんの国際的視野からのテニスブログを楽しみにしています。ニューヨークという世界の動きを肌で感じる刺激的な町のご生活、どうぞご無理をなさらず、このブログ長く続けていただきたいと思います。
テニスは団体競技ではないので、個人が国を代表することになり、選手への期待が他のスポーツ選手とは違ってくるのは仕方がないことだと思います。
私にとっては平和への願いはお茶飲みの話題ではなく、辟易する問題ではなく、真剣な日常生活の問題なのです。いつテロリストに地下鉄が爆破されてもおかしくない生活で、発言し行動をおこすことが大切だと思っています。ですから時間が許せば、日本からの原爆反対のグループの通訳、ピース&ジャスティスのデモ、ビラ貼りなど微力ですが行動をおこしています。
ジョコヴィッチと同国のイヴァノヴィッチがコメントを残しています。彼女も小さいときに爆撃にあっています。しかし彼女は勇気を持って発言しました。彼女のコメントを私のコメントのかわりにし最後としたいと思います。ありがとうございました。
イヴァノヴィッチより(1月23日)
http://www.tennis-x.com/story/2009-01-23/i.php
「(この事件は)とても悲しいことです。スポーツは人々を一つにするすばらしいものだからです。例えどこの生まれであろうと関係ありません。大切なのは、皆がテニスやスポーツを楽しみエンジョイできるのことです。こんな出来事が起こってしまって本当に悲しく思います。」
日本は島国であるために独特の平和観があるのでズレがあるというのは、本当に無知な日本人の発言です。
日本は、戦犯として裁かれることを受け入れた国です。
この平和は、決して報復などしないと誓って、憎しみを捨てたからこそあるのです。
復讐を捨てたからこそあるのです。
多くの尊い命を失くしながらもそうして得た平和を、報復することで命を奪っていった国に住みながらも良くそんなことが言えますね!
もし、本当に平和を望むなら、誰をも糾弾せず、こんなブログやってないで、平和活動に身を捧げてください。
そうすれば、今、なぜ日本が平和であるか、少しでもわかると思います。
とても気分が悪いです!
今回も非常に考えさせられる問題について、勇気ある意見、内容を載せてくださったことに
感謝しております。
民族紛争、宗教戦争などについては、我々日本人の理解が及ばない問題があり、一スポーツ選手にとって、それについて発言するには難しすぎる現実があるのかも知れないと思います。また、スポーツ選手=人格者、というようなイメージがあり、それにそぐわない態度をとると非難されるという風潮があるのも問題じゃなかろうかと思います。
しかし、私もtennisnakamaさんの意見と同様に「なぜ、彼(ジョコ)は言うべき一言が言えなかったのか?なぜ、それほどかたくなになる必要があるのか?」と疑問を持ちましたし、さらには不信感さえ、感じました。
それは、誤解を恐れずに言うならば、彼自身が紛争や今回の暴動事件に対して、それほどの反発感情を持っていないのではないか、というものです。
メディアもそこまでは言っていませんがたぶん、そう感じた記者も多いのではないかと思います。
メディアによる偏った批判だという意見もありますが私は、テニス選手ほどメディア(記者)と近いスポーツ選手はいないんじゃないかと思います。どんなにタフな試合の後でも記者会見を義務とされていて、本人たちは大変だとは思いますがそれだけ自分の言葉で自分を意見を伝える機会が与えられているということです。
そんな場も設けられてもいないのに勝手に想像で書かれたのなら、気の毒だと思いますが・・
現役選手としての寿命が決して長くないテニスプレーヤーたちの多くは、今も大事だが現役を引退した後の自分の人生、人間性もすごく重要だ、と言っています。
いつも楽しくコメント拝見しています。
テニスだけでなくこういう問題にも踏み込んでいく姿勢に賛同します。世界でおそらく一番問題の深く複雑な国に住んでいるだけに、このような議論が日本人の間でもされることはうれしく思います。異文化(人)に対する接触の少ない日本人にとっては問題の深さ、複雑さ、そして身近さを理解するのはなかなか難しいと思いますから。解決していく唯一の方法は皆が問題共有し議論し続けるしかないので、大いにやっていただきたいと思います。
個人的には、スポーツを聖域のように扱い、スポーツマンはスポーツをすればという考えには全く賛成できません。残念ながら世界の多くの問題は、スポーツそれ自体のすばらしさだけでは払拭できるとは到底思えません。
彼(女)らの仕事は平和の産物であり、トップの選手であれば多額の報酬と多くの注目を集める訳です。多くの人たちは政治家よりも彼らの声に耳を傾けるでしょう。彼らには社会のローモデルとして振る舞う義務があると私は考えます。(まあ、注目を集めようか集めまいが、どんな職種であれ、言動や行動をすべきというのは同じです。tennisnakamaさんには最大級の賛辞を贈りたいです)
決して政治活動をしろという訳ではありませんが、自分たちの言動の影響力を理解し少なからずポジティブな方向に行動してほしいと思います。
ジョコヴィッチは報道にすねずに素直に反省してほしいですね。
最後に自分のコメントへの補足です。
わたしは、スポーツの魅力を信じると「信じる」という言葉を使いましたが、
それには、以下のような意図があります。
歴史的にみると、第一次大戦の後、世界は国際平和と軍縮に尽力しましたが、結果、第二次世界大戦を起こしました。第二次世界大戦後、米露の軍拡競争の結果、皮肉にも世界大戦は防がれました。また、アメリカはテロ反対を叫び、報復しテロの原因を作っています。
その他諸々ですが、歴史を眺めれば、戦争というものが、いかに人類にとって業の深いものだとわかります。(あえて簡略化して書いてるので、細かい突っ込みはなしで・・)
この問題に対する正しい答えは未だ見つかっていないでしょう。
そんな中で、私はスポーツの魅力を「信じる」のです。
そして、その魅力は、本質的には、人格は関係ないはずです。
たとえば、音楽家で、ひどい人格破綻者であったとしても、すばらしい演奏をすれば
人を感動させることができるでしょう。
私の考えは、現実を知らない理想論に過ぎないのかもしれません。しかし、それでもなお、私はそう思います。