2009年08月06日
マレーの知られざる素顔
(写真とビデオを付け加えました)
7月31日の記事で『マレーのちょっといい話』でアンディ・マレーのエピソードをご紹介しました。最近の彼をみていると、ティーンネージだった頃のパンクと言われて批判されていたアンディがまるで嘘のようです。
イギリス人が頭に描く理想的なテニス選手といえば、清潔な紳士の代表、ティム・ヘンマンです。しかし当時のアンディは、髪は伸び放題。試合中に汚い言葉(F%#Kなど)でののしったり、コートマナーは生意気で、しかもスコットランド人。どれをとっても、アンディはイギリスにおいて国民のアイドルになるにはほど遠い存在だったのです。
そしてマレーが19歳のときです。犯してはならないタブーをマレーは犯してしまったのです。どのチームがワールドカップの決勝にいくと思いますか?という記者の質問に、「どのチームが決勝にあがっても僕は応援するよ。イングランド以外はね。」
このanyone but Englandの言葉は、マレーとしては単なるサッカージョークのつもりだったのですが、この言葉が一人歩きして、イングランド・ヘイターとして世界に名を轟かしてしまったのです。「イングランドだけは応援したくないね」という言葉がどれだけイギリス人の感情を逆なでしたことか。それでなくても、日頃からパンクと呼ばれているマレーです。このダメージ修復に相当なエネルギーと時間を要したことは言うまでもありません。
一昔前のマレーは負けそうになるとグダグダした態度をとり始め、しかもカウンターパンチャーですのでどうもテニスがネチッこい。ヘンマンのような美しいサーヴ&ヴォレーの伝統ローンテニスはやらず、正直いって私もあまり好きにはなれなかった選手の一人でした。
そのあまり印象のよくないマレーが変わったのは、昨年のウィンブルドンでのガスケとの死闘の第4ラウンドのときでした。
2セットをすでに落としてしまったマレーは3セット目を迎えました。2セットダウンからのカムバックは、ほとんど不可能のようにみえます。それでもあきらめず必死に戦うマレーに、イギリス人たちは割れんばかりの拍手とエールでマレーを応援したのです。
「これだけ多くの人たちが、まだ自分を見捨てないで応援をしてくれてるんだ!」それは意外な驚きでした。今まで経験したことのない感動の嵐がマレーを襲ったのです。
「僕は負けられない!最後の力を振り絞ってイギリスのために戦うぞ!」
3セット目をタイブレークでとったマレーは、奇跡的な2セットダウンからのカムバックを成し遂げ、ついにガスケを破って勝利を勝ち得たのです。盛り上がった力こぶを誇らしげにみせて、観客の拍手に応えたアンディを覚えていらっしゃる方も多いと思います。あの力こぶはまさにアンディのメッセージだったのです。
何度も記者会見で「ウィンブルドンが僕に計り知れない自信を与えてくれた!」と強調するマレーは、確かにあの試合によって新しく生まれ変わったように思います。
アスリートとして人間として、マレーはこの一年間で大きく飛躍しました。
ウィンブルドン以降のマレーの活躍は目を見張るものがあります。
2008年
シンシナティのマスターズでジョコヴィッチを破り優勝。
US Openではナダルを破り決勝進出。
ロシアのSt. Petersburgの優勝
上海マスターズカップでロジャー・フェデラーを破る
2009年
ドーハではフェデラー、ジョコヴィッチを破って優勝
ロッテルダムではナダルを破って優勝
インディアンウェルズではフェデラーを破り決勝へ
マイアミではジョコヴィッチを破り優勝
クウィーンズクラブでブレイクを破って優勝
ウィンブルドンは絶好調のロディックに準決勝で敗退
悲しさと怒りをテニスに
アンディ・マレー(22歳)はイギリスのベスト・シングルス選手、兄のジェイミー・マレー(23歳)はイギリスのトップ・ダブルス選手。このイギリスのテニプリ兄弟の育ってきた環境は、かならずしもバラ色のサクセスストーリーではありませんでした。
アンディが9歳のときに両親が正式に別居、9年の別居生活をへて、18歳のときに正式に離婚しました。
「小さいとき、今週は母の家、来週は父の家と両親の家を行ったり来たり。クリスマスはどちらの家で何日過ごすか、両親はいつも争っていた。言い争う二人の間に挟まって、僕はテニスよりも幸せな家族がほしかった。」
アンディは両親の争いと別居のなかで、悲しみと怒りに満ちた 少年時代、思春期を過ごしています。トーナメントの前夜に両親が喧嘩するのを見ながら、アンディは怒りの気持ちをテニスにぶつけて戦ってきました。それだけでなく煮え立つ怒りが原動力となり、逞しい選手として成長していったのです。
実はシングルファーザーだった
父親のウィリアム・マレーは7月6日に英紙デイリーミラーに暴露インターヴューを行っています。
http://bit.ly/3RrYAe
ジュディ(母親)は現在アンディの活躍とともに、TVや雑誌のインターヴューに登場し活躍をしています。彼女のストーリー「シングルマザーで二人の息子をここまで育てあげた」に我慢できなくなっての激告白です。
「自分が子供を捨てたように思われてしまっているのは心外だ。家を出て行ったのは自分ではなく母親だったのだから。彼女は自分のテニスの野心のために家族を捨ててしまった。 仕事からまっすぐ帰宅して、食事の支度をし洗濯をして、子育てをしてきたのは母親でなく父親だったのだから。」
「でもテニスは彼女の領域。会場のファミリーボックスで応援する彼女の姿がいつもTVに映るので、父親が全く不在なように思われているが、僕だって応援に出かけている。僕は僕なりに一生懸命息子たちを応援している。」
ジュディ自身も認めているように、彼女のテニスへの野心が夫婦の破局をもたらしたことは明らかでした。彼女がスコットランドのナショナルコーチに就任したのは、アンディが8歳のとき。一年後には別居しています。テニスだけでなく、二人の性格の違い、考え方の違いは、相容れることができないほどに深く、離婚は仕方なかったと父ウィリアムは語っています。
キムとマギーの支え
ウィリアムとジュディは意見の一致をみることのない犬猿の仲ですが、アンディの成功の大きな原因に、ガールフレンドのキムの存在が不可欠であったことは二人とも認めています。キム・シアーズ。同年齢で3年半前に知り合ったキムは、今はアンディの新居に同居中ですがまだ学生の身分。ファミリーボックス席でよく見かけるキムは、父がテニスコーチで、小さいときからテニスの環境で育っていますので、アンディのよき理解者となっています。
そして忘れてならないのは愛犬マギー。 マギーの名はロッド・スチュアートの"Maggie May"からとったとか。「トーナメントで疲れて帰ってきても、マギーとフリスビーをして遊んでいると疲れも忘れてしまう」そんなマギーとキムの厚いサポートの中で、アンディ・マレーは得意なハードコートシーズンを迎えます。どんな活躍をみせてくれるか楽しみです。
見事に変身したアンディ
7月31日の記事で『マレーのちょっといい話』でアンディ・マレーのエピソードをご紹介しました。最近の彼をみていると、ティーンネージだった頃のパンクと言われて批判されていたアンディがまるで嘘のようです。
かつてのアンディ
イギリス人が頭に描く理想的なテニス選手といえば、清潔な紳士の代表、ティム・ヘンマンです。しかし当時のアンディは、髪は伸び放題。試合中に汚い言葉(F%#Kなど)でののしったり、コートマナーは生意気で、しかもスコットランド人。どれをとっても、アンディはイギリスにおいて国民のアイドルになるにはほど遠い存在だったのです。
そしてマレーが19歳のときです。犯してはならないタブーをマレーは犯してしまったのです。どのチームがワールドカップの決勝にいくと思いますか?という記者の質問に、「どのチームが決勝にあがっても僕は応援するよ。イングランド以外はね。」
このanyone but Englandの言葉は、マレーとしては単なるサッカージョークのつもりだったのですが、この言葉が一人歩きして、イングランド・ヘイターとして世界に名を轟かしてしまったのです。「イングランドだけは応援したくないね」という言葉がどれだけイギリス人の感情を逆なでしたことか。それでなくても、日頃からパンクと呼ばれているマレーです。このダメージ修復に相当なエネルギーと時間を要したことは言うまでもありません。
一昔前のマレーは負けそうになるとグダグダした態度をとり始め、しかもカウンターパンチャーですのでどうもテニスがネチッこい。ヘンマンのような美しいサーヴ&ヴォレーの伝統ローンテニスはやらず、正直いって私もあまり好きにはなれなかった選手の一人でした。
そのあまり印象のよくないマレーが変わったのは、昨年のウィンブルドンでのガスケとの死闘の第4ラウンドのときでした。
2セットをすでに落としてしまったマレーは3セット目を迎えました。2セットダウンからのカムバックは、ほとんど不可能のようにみえます。それでもあきらめず必死に戦うマレーに、イギリス人たちは割れんばかりの拍手とエールでマレーを応援したのです。
「これだけ多くの人たちが、まだ自分を見捨てないで応援をしてくれてるんだ!」それは意外な驚きでした。今まで経験したことのない感動の嵐がマレーを襲ったのです。
「僕は負けられない!最後の力を振り絞ってイギリスのために戦うぞ!」
3セット目をタイブレークでとったマレーは、奇跡的な2セットダウンからのカムバックを成し遂げ、ついにガスケを破って勝利を勝ち得たのです。盛り上がった力こぶを誇らしげにみせて、観客の拍手に応えたアンディを覚えていらっしゃる方も多いと思います。あの力こぶはまさにアンディのメッセージだったのです。
「イギリスは僕を認めた!僕はイギリスの誇りとなった!」
何度も記者会見で「ウィンブルドンが僕に計り知れない自信を与えてくれた!」と強調するマレーは、確かにあの試合によって新しく生まれ変わったように思います。
アスリートとして人間として、マレーはこの一年間で大きく飛躍しました。
ウィンブルドン以降のマレーの活躍は目を見張るものがあります。
2008年
シンシナティのマスターズでジョコヴィッチを破り優勝。
US Openではナダルを破り決勝進出。
ロシアのSt. Petersburgの優勝
上海マスターズカップでロジャー・フェデラーを破る
2009年
ドーハではフェデラー、ジョコヴィッチを破って優勝
ロッテルダムではナダルを破って優勝
インディアンウェルズではフェデラーを破り決勝へ
マイアミではジョコヴィッチを破り優勝
クウィーンズクラブでブレイクを破って優勝
ウィンブルドンは絶好調のロディックに準決勝で敗退
悲しさと怒りをテニスに
アンディ・マレー(22歳)はイギリスのベスト・シングルス選手、兄のジェイミー・マレー(23歳)はイギリスのトップ・ダブルス選手。このイギリスのテニプリ兄弟の育ってきた環境は、かならずしもバラ色のサクセスストーリーではありませんでした。
アンディが9歳のときに両親が正式に別居、9年の別居生活をへて、18歳のときに正式に離婚しました。
「小さいとき、今週は母の家、来週は父の家と両親の家を行ったり来たり。クリスマスはどちらの家で何日過ごすか、両親はいつも争っていた。言い争う二人の間に挟まって、僕はテニスよりも幸せな家族がほしかった。」
左がアンディ、右がジェイミー
アンディは両親の争いと別居のなかで、悲しみと怒りに満ちた 少年時代、思春期を過ごしています。トーナメントの前夜に両親が喧嘩するのを見ながら、アンディは怒りの気持ちをテニスにぶつけて戦ってきました。それだけでなく煮え立つ怒りが原動力となり、逞しい選手として成長していったのです。
実はシングルファーザーだった
父親のウィリアム・マレーは7月6日に英紙デイリーミラーに暴露インターヴューを行っています。
http://bit.ly/3RrYAe
左がガールフレンドのキム、右が父のウィリアム。
ジュディ(母親)は現在アンディの活躍とともに、TVや雑誌のインターヴューに登場し活躍をしています。彼女のストーリー「シングルマザーで二人の息子をここまで育てあげた」に我慢できなくなっての激告白です。
「自分が子供を捨てたように思われてしまっているのは心外だ。家を出て行ったのは自分ではなく母親だったのだから。彼女は自分のテニスの野心のために家族を捨ててしまった。 仕事からまっすぐ帰宅して、食事の支度をし洗濯をして、子育てをしてきたのは母親でなく父親だったのだから。」
「でもテニスは彼女の領域。会場のファミリーボックスで応援する彼女の姿がいつもTVに映るので、父親が全く不在なように思われているが、僕だって応援に出かけている。僕は僕なりに一生懸命息子たちを応援している。」
左が母ジュディ、右がキム
ジュディ自身も認めているように、彼女のテニスへの野心が夫婦の破局をもたらしたことは明らかでした。彼女がスコットランドのナショナルコーチに就任したのは、アンディが8歳のとき。一年後には別居しています。テニスだけでなく、二人の性格の違い、考え方の違いは、相容れることができないほどに深く、離婚は仕方なかったと父ウィリアムは語っています。
キムとマギーの支え
ウィリアムとジュディは意見の一致をみることのない犬猿の仲ですが、アンディの成功の大きな原因に、ガールフレンドのキムの存在が不可欠であったことは二人とも認めています。キム・シアーズ。同年齢で3年半前に知り合ったキムは、今はアンディの新居に同居中ですがまだ学生の身分。ファミリーボックス席でよく見かけるキムは、父がテニスコーチで、小さいときからテニスの環境で育っていますので、アンディのよき理解者となっています。
そして忘れてならないのは愛犬マギー。 マギーの名はロッド・スチュアートの"Maggie May"からとったとか。「トーナメントで疲れて帰ってきても、マギーとフリスビーをして遊んでいると疲れも忘れてしまう」そんなマギーとキムの厚いサポートの中で、アンディ・マレーは得意なハードコートシーズンを迎えます。どんな活躍をみせてくれるか楽しみです。
見事に変身したアンディ
フレッド・ペリーを着てみごとイギリスのジェントルマンに変身しました
2009年08月06日
ナダルの詰まったスケジュール
今日8月5日にナダルはカナダに向かって出発しました。全仏以来久しぶりのカムバックです。出発前日の4日にPorto Cristoの彼の別荘で、Daily Marcaがインターヴューを行いました。
http://bit.ly/pIKp7
「もし膝の具合がよければ、デ杯にも出たい。」とデ杯への熱い気持ちを語るナダル。実際試合をするまでは、膝がどこまでもちこたえられるか分からない・・・という不安な状況の中で、モントリオールに出場します。多分試合を重ねていきながら調整していくのでしょうが、気になったのは、膝を守るために大会の回数を減らすということはしないようです。これは多分膝の調子をみながら臨機応変に対応していくのでしょうが、またオーヴァーワークになってしまわないかと心配です。
以下は4日のインターヴューの一部です。スペイン語をグーグルを使って英語に翻訳しましので、不明瞭なところが多々あります。ですからニュアンスの違いなどはお伝えできておりませんのでご了解ください。
Q:調子はどうですか? 100%でないかぎりカムバックしないということでしたが。
ナダル:自分の状態が100%回復しているかどうかわからない。そうであってほしいと願っているけれど。実際試合が始まってみないと、どこまでいけるのか分からない。でももしうまくいかなかったらちょっとショックだけど。でもとにかくトライしてみるつもりだ。
Q:モントリオールに出場に関して、自分の体調に疑問は湧きませんでしたか?
ナダル:そうだね。大丈夫だという自信はあるけど怪我をしてしまう可能性もあるよね。最初の日にそうなると困るけど。この4日間トレーニングしていてちょっと痛みがあったけれど、でも僕はやっていける自信がある。試合に出る時期がきたと思っている。
Q:デイヴィスカップは出場する予定ですか? (スペインvsイスラエルの準決勝は、スペインでUS Openの直後9月18日20日に行われます。)
ナダル:デ杯はいつも自分のスケジュールに入っている。もし膝に問題がなければ、今年後半は、モントリオール、シンシナティ、 US Open、デ杯、バンコック、北京、上海、パリ、ロンドンの予定を消化していくつもりだ。
Q:ドクターの診断についてはどう思いますか?
ナダル:ドクターの診断だけに頼っているわけじゃない。自分で判断している部分が多い。すべてのことは自分の決断でやっているといってもよいかな。これでキャリアが終わってしまうとは思っていない。2005年のときはもっとひどくて歩けない状態だったからね。あのときは19歳だった。今は23歳。あれから数個のトロフィーを得ているよ。
Q:No.1のときにこのようなことになってしまったことは最悪の事件だったと思いますか?
ナダル:正直言って、 No.1になれたことは一番嬉しかった。長い間 No.2だったからね。最高に幸せだったのは、ウィンブルドン、オーストラリアと優勝して、そしてスペインがデ杯で優勝したときだった。でも僕がNo.1になろうと、No.2になろうと僕の人生はそれほど変わりはないよ。でもウィンブルドンで優勝したときは、2ヶ月間本当に幸せだった。なにしろ僕の夢がかなったのだから。
Q:ソデリングに敗退したことは、今までの敗北の中で一番辛いものでしたか?
ナダル:彼との試合が最も辛いものだったかどうかわからないけど、負け試合はいつもとても辛いものだからね。あの試合は今までのなかでも、自分が全くコントロールできなかった数少ない試合の一つだった。いつもローランギャロスに勝つとは思わないけれど、膝の痛みもあって思うようにいかなかった。
Q:マドリッドの出場が間違いだったようですが、これからはもうマドリッドには出場する予定はないのですか?
ナダル:もちろんマドリッドには戻るつもりだ。僕は自分の限界が分からないできた。出場するからにはいつも限界に挑戦してきたから、誰にもどこまでが自分の限界か分からないなかった。でもやっぱりマドリッドは間違いだったと思う。しかしマドリッドにでなかったらRGの結果が違っていたか? ウィンブルドンにでることができたか? これは分からない。
Q:マドリッドの大会はナダルが気がよすぎて断れなかったと一般では言われていますが?
ナダル:もしあの試合がマドリッドでなければ僕は出ていなかった。3つのトーナメントを毎週続けて出場するというのは膝に絶対よくないのは分かりきったことだからね。炎症止めの薬を飲みながらの試合は問題があったことは確かだ。でも準決勝のジョコヴィッチとの戦いはすばらしく忘れられない思い出の一つだ。だから後悔はしていない。
Q:フェデラーはナダル不在に便乗したかたちですね?
ナダル:フェデラーは優勝に値する選手だ。現実とはそういうものだ。
Q:フェデラーはテニス史上ベスト選手だと思いますか?
ナダル:僕の時代ではもちろん彼はベストだと思う。でもテニス史上ではロッド・レイヴァーが2回もグランドスラムを達成している。だから数字の上では彼がベストだと言える。でもフェデラーのキャリアはまだ終わっていないのだから。
Q:フェデラーの目出たい出来事が続いていますが連絡をとっていますか?
ナダル:RG、ウィンブルドンの優勝、そしてツインの誕生。このすべての機会にお祝いのメールを送ったよ。彼からはそれぞれ返事をもらっている。
Q:US Open まであと3週間ですが、それに対して何かプランでも?
ナダル:モントリオールとシンシナティの試合の結果次第だ。準決勝や準々決勝に進めても、プレーの感じがよくない場合もあるし。自分に疑問が残ればむずかしいと思う。
Q: US Openに出場するときに、No.3に下がっている可能性がありますが。
ナダル:マレーはよく準備しているだろうし、僕が守らなければならないポイントが多いから、 No.3の可能性はあると思う。これは仕方のないことだ。でも僕はポジティヴな態度で、毎日のトレーニングを重ね、日々の向上につとめるつもりだ。 僕のゴールは変わりはない。
Q:ナダルvsフェデラーはボルグvsマッケンローに匹敵する世紀のライヴァルだと言われていますが。
ナダル:驚いたのは、ボルグとマッケンローはGSの決勝は4回しかなかったことだ。もっとあると思っていたよ。(ナダルvsフェデラーのGS決勝は8回7回、準決勝1回)僕がフェデラーと決勝で戦うときは、いつもスペシャルな気持ちになる。これは観てる人にとっても多分同じ気持ちだろうけど。
Q:2005年のときは膝の故障で4ヶ月も休みましたね?
(10月のマドリッドで優勝したあと、オーストラリアン・オープンを欠場。翌年2月のマルセイユでカムバックしている)
ナダル:あのときは今よりももっと深刻な状態だった。
Q:プロアスリートとしてのキャリアが終わってしまうかもしれない恐れについては?
ナダル:僕のレベルを保っていけないかもしれないという恐れは持っている。今はNo.2に落ちても平静な気持ちでいることができる。これから僕に何が起ころうと、今までにいろんなことをやってきたから。(後悔はないと言いたかったのだと思います。)
Q:膝の治療中は何をして時間をつぶしていましたか?
ナダル:僕はテニス以外にも、サッカーをやったり活動的だから、ビーチでハンモック、というのは僕の性分に合わない。静かにしているというのは面白くなかったが、でもおかげでソファーに座っていろんなスポーツ番組をみることができたよ。
Q: パパラチに追っかけられてやりたいこともできないのでは?
ナダル:写真を撮られるかもしれないという理由でやりたいことを止めてしまうことはない。写真に撮られてしまったら運が悪かったというだけの話。
試合のスケジュールに関して、大きな疑問が残ります。慢性の膝の問題は、膝を休めるというのが鉄則です。私は両膝を別々の症状で手術をしていますので、痛みとの戦いは日常茶飯のことですが、別にそれほど痛くなくても、休めていかなければ後で大きな代償を払うことになるのはナダル自身が一番よく分かっているはず。
膝の様子をみながら判断するのではなく、痛くなくても試合の数を減らして膝の予防にあたる、といった固い決意をみせてほしいと思います。どうか元の木阿弥にならないよう、くれぐれも出場しすぎないようお願いしますよ、ラファ!
http://bit.ly/pIKp7
「もし膝の具合がよければ、デ杯にも出たい。」とデ杯への熱い気持ちを語るナダル。実際試合をするまでは、膝がどこまでもちこたえられるか分からない・・・という不安な状況の中で、モントリオールに出場します。多分試合を重ねていきながら調整していくのでしょうが、気になったのは、膝を守るために大会の回数を減らすということはしないようです。これは多分膝の調子をみながら臨機応変に対応していくのでしょうが、またオーヴァーワークになってしまわないかと心配です。
以下は4日のインターヴューの一部です。スペイン語をグーグルを使って英語に翻訳しましので、不明瞭なところが多々あります。ですからニュアンスの違いなどはお伝えできておりませんのでご了解ください。
FOTO: MONSERRAT | MARCA
Q:調子はどうですか? 100%でないかぎりカムバックしないということでしたが。
ナダル:自分の状態が100%回復しているかどうかわからない。そうであってほしいと願っているけれど。実際試合が始まってみないと、どこまでいけるのか分からない。でももしうまくいかなかったらちょっとショックだけど。でもとにかくトライしてみるつもりだ。
Q:モントリオールに出場に関して、自分の体調に疑問は湧きませんでしたか?
ナダル:そうだね。大丈夫だという自信はあるけど怪我をしてしまう可能性もあるよね。最初の日にそうなると困るけど。この4日間トレーニングしていてちょっと痛みがあったけれど、でも僕はやっていける自信がある。試合に出る時期がきたと思っている。
Q:デイヴィスカップは出場する予定ですか? (スペインvsイスラエルの準決勝は、スペインでUS Openの直後9月18日20日に行われます。)
ナダル:デ杯はいつも自分のスケジュールに入っている。もし膝に問題がなければ、今年後半は、モントリオール、シンシナティ、 US Open、デ杯、バンコック、北京、上海、パリ、ロンドンの予定を消化していくつもりだ。
Q:ドクターの診断についてはどう思いますか?
ナダル:ドクターの診断だけに頼っているわけじゃない。自分で判断している部分が多い。すべてのことは自分の決断でやっているといってもよいかな。これでキャリアが終わってしまうとは思っていない。2005年のときはもっとひどくて歩けない状態だったからね。あのときは19歳だった。今は23歳。あれから数個のトロフィーを得ているよ。
Q:No.1のときにこのようなことになってしまったことは最悪の事件だったと思いますか?
ナダル:正直言って、 No.1になれたことは一番嬉しかった。長い間 No.2だったからね。最高に幸せだったのは、ウィンブルドン、オーストラリアと優勝して、そしてスペインがデ杯で優勝したときだった。でも僕がNo.1になろうと、No.2になろうと僕の人生はそれほど変わりはないよ。でもウィンブルドンで優勝したときは、2ヶ月間本当に幸せだった。なにしろ僕の夢がかなったのだから。
Q:ソデリングに敗退したことは、今までの敗北の中で一番辛いものでしたか?
ナダル:彼との試合が最も辛いものだったかどうかわからないけど、負け試合はいつもとても辛いものだからね。あの試合は今までのなかでも、自分が全くコントロールできなかった数少ない試合の一つだった。いつもローランギャロスに勝つとは思わないけれど、膝の痛みもあって思うようにいかなかった。
Q:マドリッドの出場が間違いだったようですが、これからはもうマドリッドには出場する予定はないのですか?
ナダル:もちろんマドリッドには戻るつもりだ。僕は自分の限界が分からないできた。出場するからにはいつも限界に挑戦してきたから、誰にもどこまでが自分の限界か分からないなかった。でもやっぱりマドリッドは間違いだったと思う。しかしマドリッドにでなかったらRGの結果が違っていたか? ウィンブルドンにでることができたか? これは分からない。
Q:マドリッドの大会はナダルが気がよすぎて断れなかったと一般では言われていますが?
ナダル:もしあの試合がマドリッドでなければ僕は出ていなかった。3つのトーナメントを毎週続けて出場するというのは膝に絶対よくないのは分かりきったことだからね。炎症止めの薬を飲みながらの試合は問題があったことは確かだ。でも準決勝のジョコヴィッチとの戦いはすばらしく忘れられない思い出の一つだ。だから後悔はしていない。
Q:フェデラーはナダル不在に便乗したかたちですね?
ナダル:フェデラーは優勝に値する選手だ。現実とはそういうものだ。
Q:フェデラーはテニス史上ベスト選手だと思いますか?
ナダル:僕の時代ではもちろん彼はベストだと思う。でもテニス史上ではロッド・レイヴァーが2回もグランドスラムを達成している。だから数字の上では彼がベストだと言える。でもフェデラーのキャリアはまだ終わっていないのだから。
Q:フェデラーの目出たい出来事が続いていますが連絡をとっていますか?
ナダル:RG、ウィンブルドンの優勝、そしてツインの誕生。このすべての機会にお祝いのメールを送ったよ。彼からはそれぞれ返事をもらっている。
FOTO: MONSERRAT | MARCA
Q:US Open まであと3週間ですが、それに対して何かプランでも?
ナダル:モントリオールとシンシナティの試合の結果次第だ。準決勝や準々決勝に進めても、プレーの感じがよくない場合もあるし。自分に疑問が残ればむずかしいと思う。
Q: US Openに出場するときに、No.3に下がっている可能性がありますが。
ナダル:マレーはよく準備しているだろうし、僕が守らなければならないポイントが多いから、 No.3の可能性はあると思う。これは仕方のないことだ。でも僕はポジティヴな態度で、毎日のトレーニングを重ね、日々の向上につとめるつもりだ。 僕のゴールは変わりはない。
Q:ナダルvsフェデラーはボルグvsマッケンローに匹敵する世紀のライヴァルだと言われていますが。
ナダル:驚いたのは、ボルグとマッケンローはGSの決勝は4回しかなかったことだ。もっとあると思っていたよ。(ナダルvsフェデラーのGS決勝は8回7回、準決勝1回)僕がフェデラーと決勝で戦うときは、いつもスペシャルな気持ちになる。これは観てる人にとっても多分同じ気持ちだろうけど。
Q:2005年のときは膝の故障で4ヶ月も休みましたね?
(10月のマドリッドで優勝したあと、オーストラリアン・オープンを欠場。翌年2月のマルセイユでカムバックしている)
ナダル:あのときは今よりももっと深刻な状態だった。
Q:プロアスリートとしてのキャリアが終わってしまうかもしれない恐れについては?
ナダル:僕のレベルを保っていけないかもしれないという恐れは持っている。今はNo.2に落ちても平静な気持ちでいることができる。これから僕に何が起ころうと、今までにいろんなことをやってきたから。(後悔はないと言いたかったのだと思います。)
Q:膝の治療中は何をして時間をつぶしていましたか?
ナダル:僕はテニス以外にも、サッカーをやったり活動的だから、ビーチでハンモック、というのは僕の性分に合わない。静かにしているというのは面白くなかったが、でもおかげでソファーに座っていろんなスポーツ番組をみることができたよ。
Q: パパラチに追っかけられてやりたいこともできないのでは?
ナダル:写真を撮られるかもしれないという理由でやりたいことを止めてしまうことはない。写真に撮られてしまったら運が悪かったというだけの話。
試合のスケジュールに関して、大きな疑問が残ります。慢性の膝の問題は、膝を休めるというのが鉄則です。私は両膝を別々の症状で手術をしていますので、痛みとの戦いは日常茶飯のことですが、別にそれほど痛くなくても、休めていかなければ後で大きな代償を払うことになるのはナダル自身が一番よく分かっているはず。
膝の様子をみながら判断するのではなく、痛くなくても試合の数を減らして膝の予防にあたる、といった固い決意をみせてほしいと思います。どうか元の木阿弥にならないよう、くれぐれも出場しすぎないようお願いしますよ、ラファ!