2009年12月03日
デ杯決勝のみどころ
12月4日金曜からいよいよスペイン対チェコのデ杯決勝が始まります。今朝ドローが発表されました。ベルダスコは故障のせいもあって大事をとってダブルスのみ。シングルスはベルダスコの代わりにフェレールです。
デ杯の公式サイトで無料で生観戦ができます
無料だと思っていたのですが有料でした。一日パスが$4.95 三日間パスが$9.95となっています。登録は以下のサイトになります。
http://www.itfteamevents.tv/page/loginOrBuy/0,,12916,00.html?target=https%3A%2F%2Fsecure-itftennis.premiumtv.co.uk%2Fpage%2Fsub%2FITFTV%2FWatchLive%2F0%2C%2C12916%2C00.html%3F
放送時間は日本時間金曜の午前0時からとなり、日本ではきびしい徹夜の観戦となりますが見応えのある決勝をお見逃しなく。
私はTwitterで実況解説をしていくつもりです。登録しなくても以下のアドレスで読む事ができます。
http://twitter.com/tennisnakama/
決勝のハイライトは第1ラバーのナダルvsベルディッチです。この二人には2006年のマドリッドマスターズでちょっとしたいざこざがあり、それ以来不仲が噂されてきた間柄です。そのちょっとした事件とは?
ベルディッチが指を口にあてて「シーッ!」
2006年のマドリッドではベルディッチがナダルを6-3, 7-6 (6)で破りました。この試合はナダルのホームだけあって、会場が一斉にナダルを応援。ベルディッチのエラーに拍手を送ったり、ヤジをとばしたり、マナー違反が目立つ観客に、頭にきたベルディッチは、勝利の瞬間に会場に向けて指を口にあてて「シーッ!」
このジェスチャーに頭にきたナダルはネットで握手をする際に、Very bad! Very bad!とベルディッチを非難しました。ナダルの非難に「態度の悪い観客にシーっと言ってどこが悪い?」とベルディッチはナダルに食い下がるという一幕をビデオでご覧ください。
ナダルにとってはベルディッチの行為は悪い行為。しかしベルディッチにとっては、マドリッド大会はデ杯ではないのだから、あまりにも不公平な行為が多すぎると反論・・・
このようないきさつがあったので、今だに二人は仲が悪いと噂されているのですが、「僕たちは友だちだよ。」とベルディッチはこの噂を否定。マドリッド以降ナダルは、モンテカルロ(2007)、ウィンブルドン(2007)、マイアミ(2008)、シンシナティ(2009)とベルディッチを4連覇しています。芝、クレー、ハードのすべてのサーフェスでベルディッチに勝っていますので、ロンドンの不調を忘れればベルディッチに勝てるはず。
Davis Cup デイヴィスカップ(デビスカップ)決勝ドロー
開催地はスペインのホームでバルセロナです。1992年のバルセロナオリンピックで、体操競技が行われました。これを設計したのは、磯崎新(いそざきあらた)氏。スペインはこのデ杯決勝のために、床に砂をまきクレーコートのサーフェスにつくりなおして万端の準備が整いました。
12月4日金曜午前0時(日本時間)
ナダル vs ベルディッチ
フェレール vs ステパネック
12月5日土曜午前0時(日本時間)
Fロペス/ベルダスコ vs Dlouhy / Hajek
12月6日日曜夜8時(日本時間)
ナダル vs ステパネック
フェレール vs ベルディッチ
チェコは事実上ステパネックとベルディッチの二人のみで決勝まで戦ってきました。この決勝戦は意地でも29年ぶりの優勝の機会を手に入れなくてはなりません。一方昨年優勝を飾ったスペインは、ナダルが不調とは言え気持ちの上で余裕があります。 ホームゲーム。クレーコート。豊富な戦力。どれをとってみてもスペイン優勝に有利な条件がそろっています。
スペインチーム
ナダル(2位)
ベルダスコ(9位)
フェレール(18位)
ロペス(47位)
Rafael Nadal
ナダルのデ杯デビューは、2004年で偶然にも同じチェコチームです。2004年はスペインが優勝した年。ナダルは初戦のシングルスでノヴァックに負け、ダブルスではロブレドと組んで2敗していますが、最終戦のシングルスでステパネックを倒してスペインが勝利。しかも最後のアメリカとの決勝戦では、ナダルはロディックを破ってスペインに優勝をもたらしました。この時のロディックは2位。ナダルは51位です。
デ杯での自信が大きく影響して、ナダルは2005年には一挙に3位へジャンプしています。フレンチオープンに優勝、4つのマスターズ優勝、合計11のタイトルをとりまくったセンセーショナルな年となりました。
ロンドンで背中を痛めたナダルでしたが、痛みもなくコンディションは上々だとか。
David Ferrer
フェレールの初出場は2006年の対ベラルス戦。昨年の決勝ではナルバンディアンに敗退しましたが、今年のデ杯の成績は4勝0敗と好成績。特にジョコヴィッチをストレートセットで倒して、今年のスペインの決勝進出の立役者となりました。
Fernando Verdasco
ベルダスコのデ杯初出場は2005年のスロヴァキア戦。昨年のアルジェンチンとのデ杯決勝でアカスーソに5セットで勝利をおさめ、しかもロペスと組んだダブルスでも1勝を上げ、スペインの優勝の立役者の一人となりました。今年はロンドンで足を故障したベルダスコの回復が心配されましたが、シングルスを貢献者のフェレールに譲って、昨年優勝を遂げたゴールデン・コンビのロペスとダブルスに出場します。彼らはプロきってのイケメン・クールガイだけに目の保養となるダブルス戦。
Feliciano Lopez
デ杯の初出場は2003年と早いですが、ほとんどがダブルスでの出場。ナダルが怪我で欠場した昨年の決勝では、ダブルスでベルダスコと組んで勝利をおさめるだけでなく、デルポトロを破ってスペインを優勝にみちびいた功労者となりました。今年は昨年に引き続きダブルスでスペインファンだけでなく、世界の女性ファンを楽しませてくれるはず。
チェコチーム
ステパネック(12位)
ベルディッチ(20位)
Hajak(102位)
Dlouhy(465位)
Radek Stepanek
ステパネックは31才の大ベテラン。ダブルスからシングルスに転向した遅咲きの選手ですが、ダブルスのテクニックをふんだんに使って華麗なヴォレーで決めるテニスは見応えがあります。デ杯の初出場は2003年。2007年以来ベルディッチと二人でシングルスとダブルスでチェコのために戦ってきました。
Tomas Berdych
アテネのオリンピックでフェデラーを破って、無名の18才のベルディッチがセンセーショナルに登場。ビッグサーヴにビッグフォアでパワーゲームを得意とするこのティーンネージャーの出現は未来のテニスを象徴する出来事でした。しかしメンタルの弱さでなかなかビッグタイトルがとれていませんが、油断できない危険な選手。デ杯の過去の成績は21勝7敗。ダブルスでは一度も負けていないデ杯のエキスパートです。
デ杯の公式サイトで無料で生観戦ができます
無料だと思っていたのですが有料でした。一日パスが$4.95 三日間パスが$9.95となっています。登録は以下のサイトになります。
http://www.itfteamevents.tv/page/loginOrBuy/0,,12916,00.html?target=https%3A%2F%2Fsecure-itftennis.premiumtv.co.uk%2Fpage%2Fsub%2FITFTV%2FWatchLive%2F0%2C%2C12916%2C00.html%3F
放送時間は日本時間金曜の午前0時からとなり、日本ではきびしい徹夜の観戦となりますが見応えのある決勝をお見逃しなく。
私はTwitterで実況解説をしていくつもりです。登録しなくても以下のアドレスで読む事ができます。
http://twitter.com/tennisnakama/
決勝のハイライトは第1ラバーのナダルvsベルディッチです。この二人には2006年のマドリッドマスターズでちょっとしたいざこざがあり、それ以来不仲が噂されてきた間柄です。そのちょっとした事件とは?
ベルディッチが指を口にあてて「シーッ!」
2006年のマドリッドではベルディッチがナダルを6-3, 7-6 (6)で破りました。この試合はナダルのホームだけあって、会場が一斉にナダルを応援。ベルディッチのエラーに拍手を送ったり、ヤジをとばしたり、マナー違反が目立つ観客に、頭にきたベルディッチは、勝利の瞬間に会場に向けて指を口にあてて「シーッ!」
このジェスチャーに頭にきたナダルはネットで握手をする際に、Very bad! Very bad!とベルディッチを非難しました。ナダルの非難に「態度の悪い観客にシーっと言ってどこが悪い?」とベルディッチはナダルに食い下がるという一幕をビデオでご覧ください。
ナダルにとってはベルディッチの行為は悪い行為。しかしベルディッチにとっては、マドリッド大会はデ杯ではないのだから、あまりにも不公平な行為が多すぎると反論・・・
このようないきさつがあったので、今だに二人は仲が悪いと噂されているのですが、「僕たちは友だちだよ。」とベルディッチはこの噂を否定。マドリッド以降ナダルは、モンテカルロ(2007)、ウィンブルドン(2007)、マイアミ(2008)、シンシナティ(2009)とベルディッチを4連覇しています。芝、クレー、ハードのすべてのサーフェスでベルディッチに勝っていますので、ロンドンの不調を忘れればベルディッチに勝てるはず。
Berdych def Nadal at Madrid Masters 2006
Davis Cup デイヴィスカップ(デビスカップ)決勝ドロー
開催地はスペインのホームでバルセロナです。1992年のバルセロナオリンピックで、体操競技が行われました。これを設計したのは、磯崎新(いそざきあらた)氏。スペインはこのデ杯決勝のために、床に砂をまきクレーコートのサーフェスにつくりなおして万端の準備が整いました。
12月4日金曜午前0時(日本時間)
ナダル vs ベルディッチ
フェレール vs ステパネック
12月5日土曜午前0時(日本時間)
Fロペス/ベルダスコ vs Dlouhy / Hajek
12月6日日曜夜8時(日本時間)
ナダル vs ステパネック
フェレール vs ベルディッチ
チェコは事実上ステパネックとベルディッチの二人のみで決勝まで戦ってきました。この決勝戦は意地でも29年ぶりの優勝の機会を手に入れなくてはなりません。一方昨年優勝を飾ったスペインは、ナダルが不調とは言え気持ちの上で余裕があります。 ホームゲーム。クレーコート。豊富な戦力。どれをとってみてもスペイン優勝に有利な条件がそろっています。
スペインチーム
ナダル(2位)
ベルダスコ(9位)
フェレール(18位)
ロペス(47位)
Rafael Nadal
ナダルのデ杯デビューは、2004年で偶然にも同じチェコチームです。2004年はスペインが優勝した年。ナダルは初戦のシングルスでノヴァックに負け、ダブルスではロブレドと組んで2敗していますが、最終戦のシングルスでステパネックを倒してスペインが勝利。しかも最後のアメリカとの決勝戦では、ナダルはロディックを破ってスペインに優勝をもたらしました。この時のロディックは2位。ナダルは51位です。
デ杯での自信が大きく影響して、ナダルは2005年には一挙に3位へジャンプしています。フレンチオープンに優勝、4つのマスターズ優勝、合計11のタイトルをとりまくったセンセーショナルな年となりました。
ロンドンで背中を痛めたナダルでしたが、痛みもなくコンディションは上々だとか。
David Ferrer
フェレールの初出場は2006年の対ベラルス戦。昨年の決勝ではナルバンディアンに敗退しましたが、今年のデ杯の成績は4勝0敗と好成績。特にジョコヴィッチをストレートセットで倒して、今年のスペインの決勝進出の立役者となりました。
Fernando Verdasco
ベルダスコのデ杯初出場は2005年のスロヴァキア戦。昨年のアルジェンチンとのデ杯決勝でアカスーソに5セットで勝利をおさめ、しかもロペスと組んだダブルスでも1勝を上げ、スペインの優勝の立役者の一人となりました。今年はロンドンで足を故障したベルダスコの回復が心配されましたが、シングルスを貢献者のフェレールに譲って、昨年優勝を遂げたゴールデン・コンビのロペスとダブルスに出場します。彼らはプロきってのイケメン・クールガイだけに目の保養となるダブルス戦。
Feliciano Lopez
デ杯の初出場は2003年と早いですが、ほとんどがダブルスでの出場。ナダルが怪我で欠場した昨年の決勝では、ダブルスでベルダスコと組んで勝利をおさめるだけでなく、デルポトロを破ってスペインを優勝にみちびいた功労者となりました。今年は昨年に引き続きダブルスでスペインファンだけでなく、世界の女性ファンを楽しませてくれるはず。
チェコチーム
ステパネック(12位)
ベルディッチ(20位)
Hajak(102位)
Dlouhy(465位)
Radek Stepanek
ステパネックは31才の大ベテラン。ダブルスからシングルスに転向した遅咲きの選手ですが、ダブルスのテクニックをふんだんに使って華麗なヴォレーで決めるテニスは見応えがあります。デ杯の初出場は2003年。2007年以来ベルディッチと二人でシングルスとダブルスでチェコのために戦ってきました。
Tomas Berdych
アテネのオリンピックでフェデラーを破って、無名の18才のベルディッチがセンセーショナルに登場。ビッグサーヴにビッグフォアでパワーゲームを得意とするこのティーンネージャーの出現は未来のテニスを象徴する出来事でした。しかしメンタルの弱さでなかなかビッグタイトルがとれていませんが、油断できない危険な選手。デ杯の過去の成績は21勝7敗。ダブルスでは一度も負けていないデ杯のエキスパートです。
2009年12月03日
Good bye Andy
最近のアンディー・マリー(マレー)Andy Murray がどうも調子がおかしいというか、わけの分からない負けかたをして不思議に思っていたのです。その原因が分かりました。
ガールフレンドのキム・シアーズ Kim Sears との関係がうまくいかず、ついにキムは荷物をまとめてマリーの家をでてしまったのです。二人は4年間の長い付き合い。今年から同居し始めたばかりで、マリーの両親もキムの存在がマリーによい影響を与えていることにハッピーだったのですが・・・
ロンドンのワールドツアー・ファイナルズでは、いつもマリーの母ジュディーの側で慎ましく応援していたキムの姿がありません。彼女はロンドンに住んでいるのですからこれはおかしい。にわかに「アンディーとキム」の関係が浮上し、二人の関係が破綻していることが発覚してしまったのです。
イギリスNo.1のテニス選手を捨てた女性とは?
キムの父親は、ハンチュコヴァのコーチーもしたことのあるベテランコーチ。二人は2005年のUS Openで知り合いました。テニス環境に育ったキムはアンディーのよき理解者であったことはいうまでもありません。アンディーがキムを情熱的に追いかけた結果、アンディーの努力が報われて一年後の2006年から二人はステディーな仲となりました。
キムはWAG*と呼ばれる女性のタイプではなく、ブライトン大学の英文学を専攻する学生。将来は出版関係のキャリアを目指している、言ってみれば普通の真面目な女の子。アンディーが車の運転免許をとるまで運転手をつとめ、ウィンブルドンの間は洗濯、食事を担当。そしてあのむさくるしかったヘアをカットさせたのもキム。
1987年12月生まれですから5月生まれのアンディーとは7ヶ月若いまだ学生気分の抜けないキムですが、歳のわりに落ち着いたキムによって心の安らぎが得られたマリーは、彼女の存在が自分にとってどれだけ重要であるか、今までインタービューで強調してきました。アンディーとキムは、将来結婚して幸せな家庭をもつことに誰もが疑わない、いわば理想的なカップルだったのです。
(*WAGはWives And Girlfriendsの略で、有名なアスリートの妻やガールフレンドに代表される女性をさします。多くはトップモデルのように美しくファショナブルな女性たちのことで、派手好きでメディアに登場することをのぞむ目立ちたがり屋のイメージが強く、言ってみればインテリジェンスに欠ける軽い女性といったニュアンスがあります。)
キムとアンディーとの仲に陰がさしてきたのは今年の6月だと言われています。これはアンディーが地元のウィンブルドンで必死に戦っているときです。二人の不仲の原因はマリーのプレーステーション3だと言われていますが、元コーチだったギルバートは、「アンディーは一日7時間もゲームをやっている」と言っているように、ビデオゲームに夢中なことは知られていました。
(アンディーが中毒症状を起こしているのは、テニスのビデオゲームとCall of Dutyだそうです)
ウィンブルドンの大会中は、アンディーは自宅から通っていましたので、このときにキムは毎日山のような洗濯物や食事の用意をしている傍ら、ゲームに夢中になっているアンディーにムカッときたのかもしれません。いくら大会中でストレス解消が必要といっても、アンディーにとって自分の存在がどういうものであるのか?疑問に思い始めたのでしょう。
普段はなかなか一緒に生活することがほとんどありませんので、この期間の初めての本格的な同居生活で、「こんなはずじゃなかった」とキムは後悔しはじめたのかもしれません。二人に異性関係がなかったことからも、ビデオゲームが原因だとは、現代の若者の関係を象徴する破綻の結末でした。
マスコミもアンディーファンからも愛されていたキムを失ってしまった傷心のアンディーは、12月からマイアミに戻って来シーズンにむけて本格的トレーニングに入ります。
それにしても二人が飼い始めた愛犬マギーはどうなるのでしょう? 豪邸にポツンと残されてしまったマギー(?)キムとアンディーの破局で最大の被害者となったのはマギーでした。(涙)
マギーの写真:
http://www.dailymail.co.uk/femail/article-1030163/Pictured-Marathon-man-Murray-hand-hand-stunning-girlfriend.html
ガールフレンドのキム・シアーズ Kim Sears との関係がうまくいかず、ついにキムは荷物をまとめてマリーの家をでてしまったのです。二人は4年間の長い付き合い。今年から同居し始めたばかりで、マリーの両親もキムの存在がマリーによい影響を与えていることにハッピーだったのですが・・・
ロンドンのワールドツアー・ファイナルズでは、いつもマリーの母ジュディーの側で慎ましく応援していたキムの姿がありません。彼女はロンドンに住んでいるのですからこれはおかしい。にわかに「アンディーとキム」の関係が浮上し、二人の関係が破綻していることが発覚してしまったのです。
イギリスNo.1のテニス選手を捨てた女性とは?
キムの父親は、ハンチュコヴァのコーチーもしたことのあるベテランコーチ。二人は2005年のUS Openで知り合いました。テニス環境に育ったキムはアンディーのよき理解者であったことはいうまでもありません。アンディーがキムを情熱的に追いかけた結果、アンディーの努力が報われて一年後の2006年から二人はステディーな仲となりました。
キムはWAG*と呼ばれる女性のタイプではなく、ブライトン大学の英文学を専攻する学生。将来は出版関係のキャリアを目指している、言ってみれば普通の真面目な女の子。アンディーが車の運転免許をとるまで運転手をつとめ、ウィンブルドンの間は洗濯、食事を担当。そしてあのむさくるしかったヘアをカットさせたのもキム。
1987年12月生まれですから5月生まれのアンディーとは7ヶ月若いまだ学生気分の抜けないキムですが、歳のわりに落ち着いたキムによって心の安らぎが得られたマリーは、彼女の存在が自分にとってどれだけ重要であるか、今までインタービューで強調してきました。アンディーとキムは、将来結婚して幸せな家庭をもつことに誰もが疑わない、いわば理想的なカップルだったのです。
(*WAGはWives And Girlfriendsの略で、有名なアスリートの妻やガールフレンドに代表される女性をさします。多くはトップモデルのように美しくファショナブルな女性たちのことで、派手好きでメディアに登場することをのぞむ目立ちたがり屋のイメージが強く、言ってみればインテリジェンスに欠ける軽い女性といったニュアンスがあります。)
キムとアンディーとの仲に陰がさしてきたのは今年の6月だと言われています。これはアンディーが地元のウィンブルドンで必死に戦っているときです。二人の不仲の原因はマリーのプレーステーション3だと言われていますが、元コーチだったギルバートは、「アンディーは一日7時間もゲームをやっている」と言っているように、ビデオゲームに夢中なことは知られていました。
(アンディーが中毒症状を起こしているのは、テニスのビデオゲームとCall of Dutyだそうです)
ウィンブルドンの大会中は、アンディーは自宅から通っていましたので、このときにキムは毎日山のような洗濯物や食事の用意をしている傍ら、ゲームに夢中になっているアンディーにムカッときたのかもしれません。いくら大会中でストレス解消が必要といっても、アンディーにとって自分の存在がどういうものであるのか?疑問に思い始めたのでしょう。
普段はなかなか一緒に生活することがほとんどありませんので、この期間の初めての本格的な同居生活で、「こんなはずじゃなかった」とキムは後悔しはじめたのかもしれません。二人に異性関係がなかったことからも、ビデオゲームが原因だとは、現代の若者の関係を象徴する破綻の結末でした。
マスコミもアンディーファンからも愛されていたキムを失ってしまった傷心のアンディーは、12月からマイアミに戻って来シーズンにむけて本格的トレーニングに入ります。
それにしても二人が飼い始めた愛犬マギーはどうなるのでしょう? 豪邸にポツンと残されてしまったマギー(?)キムとアンディーの破局で最大の被害者となったのはマギーでした。(涙)
マギーの写真:
http://www.dailymail.co.uk/femail/article-1030163/Pictured-Marathon-man-Murray-hand-hand-stunning-girlfriend.html