2008年03月01日
悲しい知らせ
今日、錦織圭がデ杯の選手に選ばれたというニュースが、世界を駆け巡っています。これで、日本のメディアはテニスを軽視することができなくなりますね。錦織選手にとってデ杯の経験は貴重ですし、ますますこれからも錦織ファンが増えていくことでしょう。おめでとう!
keinishikoriのウェブサイトの件について、いろいろ書いてきましたが、昨日スウェーデンに住む、ヨハンJohanという男性が私のネットにひっかかってきました。彼の話はとてもおもしろいので、パーティから帰ってきたら、原稿をおこそうと思っていた矢先に電話がありました。
まだ信じられないのですが、私のテニス仲間が突然亡くなったのです!
電話だけですので、まだ信じられず呆然としています。。。誰かにこの驚き(でも予期もされたことでしたが)と悲しみを訴えたい。。。こうやって書かせていただくことによって、少しは心の平静が取り戻せるかもしれません。。。
彼女はモデルのように、スラッと背がたかく、ショートカットの似合う美しいアメリカ女性でした。一人娘が私の息子と同い年ということもあって、テニスのあとのお茶の時間が楽しみでした。子供の大学受験のことでは、ぐちをよくこぼし合ったものでした。
でも、ここ数年夫との関係がうまくいかず、ついに離婚裁判。溺愛していた一人娘は大学に入学し、彼女は一人ぽっちになってしまったのです。テニスをしている間は、いつものあの美しい笑顔でコート中を走り回っていましたが、最近の彼女には何かうつろげな表情で目に輝きがありませんでした。
鬱病だと診断されてから、一年がたっています。彼女は必死に沈んでいく気持ちと闘ってきたと思います。でもそれに打ち勝てなかった。。。45才。彼女の両親の住むケンタッキーの家で命を経ちました。
ニューヨークはエキサイティングな街ですが、同時にとても寂しい過酷な街という気がします。私も一見メガ元気に見えますが、一歩踏み外すとまっ逆さまに転落、というこわい崖っぷちを歩いている自分を感じます。こうやって皆様から励ましていただいて、元気薬をもらえる自分はつくづくラッキーだと思っています。
テニス仲間の冥福を祈ります。
keinishikoriのウェブサイトの件について、いろいろ書いてきましたが、昨日スウェーデンに住む、ヨハンJohanという男性が私のネットにひっかかってきました。彼の話はとてもおもしろいので、パーティから帰ってきたら、原稿をおこそうと思っていた矢先に電話がありました。
まだ信じられないのですが、私のテニス仲間が突然亡くなったのです!
電話だけですので、まだ信じられず呆然としています。。。誰かにこの驚き(でも予期もされたことでしたが)と悲しみを訴えたい。。。こうやって書かせていただくことによって、少しは心の平静が取り戻せるかもしれません。。。
彼女はモデルのように、スラッと背がたかく、ショートカットの似合う美しいアメリカ女性でした。一人娘が私の息子と同い年ということもあって、テニスのあとのお茶の時間が楽しみでした。子供の大学受験のことでは、ぐちをよくこぼし合ったものでした。
でも、ここ数年夫との関係がうまくいかず、ついに離婚裁判。溺愛していた一人娘は大学に入学し、彼女は一人ぽっちになってしまったのです。テニスをしている間は、いつものあの美しい笑顔でコート中を走り回っていましたが、最近の彼女には何かうつろげな表情で目に輝きがありませんでした。
鬱病だと診断されてから、一年がたっています。彼女は必死に沈んでいく気持ちと闘ってきたと思います。でもそれに打ち勝てなかった。。。45才。彼女の両親の住むケンタッキーの家で命を経ちました。
ニューヨークはエキサイティングな街ですが、同時にとても寂しい過酷な街という気がします。私も一見メガ元気に見えますが、一歩踏み外すとまっ逆さまに転落、というこわい崖っぷちを歩いている自分を感じます。こうやって皆様から励ましていただいて、元気薬をもらえる自分はつくづくラッキーだと思っています。
テニス仲間の冥福を祈ります。
投稿者 Tennisnakama 07:11 | コメント(9)| トラックバック(0)
昨年春と秋にも、私のテニスチームのメンバー二人にも、悲しい出来事がー。
一人は、彼女の娘さん(19歳)。朝、部屋へ起こしに行くと、ベッドの中で亡くなっていました。前の晩まで元気にしていたというのです。テニスが上手な娘さんでした。(突然死)
もう一人は、チームメンバー。まだ38歳でした。スラリとスタイル良く、健康そのものという感じだったのに、急性の脳腫瘍でした。やはり、家族が、朝なかなか起きてこないお母さんを部屋へ起こしに行ったら、亡くなっていたというのです。前の晩、ひどい頭痛がするから早く寝る、と言ってベッドルームにいく姿が、家族が見た最後だったのです。小さい可愛い女の子たちが3人いました。
ショックでしたよー。運命というか、病気とはいえ、避けられなかったのかと、怒りにも似た悲しさでした。
なかなか、気持ちを切り替えるのは難しいかと思いますが、、
やっぱり、、NY便りさん、元気をだして、、
私も こちらに来て 高校時代の親友が 肺ガンで亡くなったという訃報を聞いた時のショックは とても大きく 今でも 信じられません。 当時 まだ30代の若さ 小さい子どもをふたり残してでした。 ガンの進行はすごく早かったそうです。 ちょうど その時に限って ご無沙汰してしまっているなぁと思っていたところだったので 後悔もすごく大きかったです。 私に何が出来たわけでもないのですが 近くに住んで いなかったことさえも...。 何をしても ふと思い出され 特に残された家族のことを思うと 胸が張り裂けそうでした。
NY便りさんも つらい時かと思いますが その方との楽しかった思い出と感謝を胸に どうか悲しみを乗り越えてください...
私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません
千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹き渡っています
秋には光になって 畑にふりそそぐ
冬はダイヤのように きらめく雪になる
朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
夜は星になって あなたを見守る
私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 死んでなんかいません
千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹き渡っています この歌が すきです. 力を落とさないで,たのしいブログを みんなが
待つていますよ。
(作詞)不詳 (訳詞・作曲)新井満
私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません
千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹き渡っています
秋には光になって 畑にふりそそぐ
冬はダイヤのように きらめく雪になる
朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
夜は星になって あなたを見守る
私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 死んでなんかいません
千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹き渡っています この歌が すきです. 力を落とさないで,たのしいブログを みんなが
待つていますよ。
(作詞)不詳 (訳詞・作曲)新井満
暖かい励ましのお言葉ありがとうございます!つらかったのは、その悲しい訃報のあと、すぐパーティに出かけなくてはならなかったこと。お化粧もする気がせず、本当にどうやって華やかな領事館でのパーティをこなしていけるのか、自信がありませんでした。
次々に大切な人や愛するペットを失っていくと、自分の幹がどんどん折れて行く感じがします。あっちの枝がぽきっ。。。こっちの枝がぽきっ。。。あんなに青青と茂っていたのに。。。彼女は気がついてみると、もう一枚の葉も残っていない希望もない人生に自ら終止符を打ったのだと思います。
今晩のパーティでは、相手構わずしゃべりまくりました。誰かと話をしていないと、くずれてしまいそうで自信がなかったのです。夕食後、オペラ歌手がパーティ会場で、"All the things you are”を歌いだしました。この曲は12年前に突然亡くなってしまった母の大好きな曲です。心のなかで泣けるだけ泣きました。何とかして救ってあげることができなかったのか。ごめんなさいね。自殺かもしれいという事実は、あまりにも重く私一人の胸では受け止められません。。。許してください。
もうすぐNY時間午前2時です。とてもやさしいあなたの気持ちが伝わってきます。ありがとう。私もこの「千の風になって」の歌が大好きです。心が和みます。オリジナル版は英語で、Do not stand at my grave and weepといいます。このオリジナルもいいですね。この詩が世界の多くの人たちの悲しみをやわらげてきてくれたように思います。(続)
Do not stand at my grave and weep;
I am not there. I do not sleep.
I am a thousand winds that blow.
I am the diamond glints on snow.
I am the sunlight on ripened grain.
I am the gentle autumn rain.
When you awaken in the morning's hush
I am the swift uplifting rush
Of quiet birds in circled flight.
I am the soft stars that shine at night.
Do not stand at my grave and cry;
I am not there. I did not die.
私も、実兄を2年前突然亡くしました。そのときの驚きと悲しみは、今でもはっきりと思い出しますし、悲しみは未だになくなりは、しません。誰が亡くなったとしても悲しいのは当たり前ですが、身近な人の死は、本当に悲しく辛いものだと思います。忘れるわけではなく、時が解決してくれると思います。辛いでしょうが、元気を出して下さいね。