2008年12月26日
罪人(つみびと)からメリークリスマス!
メリークリスマス! です。皆さん!
今日はキリスト教信者にとってはとても大切な神聖なる日ですが、そうでない多くの日本人にとってはお祭りの日でしかありませんね。でもこの機会を利用して、ちょっと宗教について厳しく迫ってみたいと思います。キリスト教信者の方は不愉快な想いをされるかもしれませんので、ウォーニングをしておきます。
今日は25日。イエス・キリストの生誕の日とされています。アメリカは85%の人がキリスト教信者ですので最も神聖な祭日と言えます。 日本ではクリスマスは、クリスマスケーキ(これは日本がつくった商業的産物)、プレゼントの交換、パーティなど全く宗教色のないお祭りの日となっていますが、世界においては最大の宗教であるキリスト教信者は20億人にも達しており、今日は大変畏れ多い聖なる日なのです。
ブラジルでは93%、なんとメキシコでは99%がキリスト教徒となっています。デルポトロが試合に勝った時、まず天に向かって十字を切って神様に感謝しますね。十字を切るのはカソリック教ですが、あの十字のもとで過去いろんな戦争が起こされたことを考えると(最も有名なのは200年にもわたって繰り返された十字軍による聖戦)、複雑な気持ちになります。宗教の違いが原因で、現在も世界の各地で戦争が繰り返されています。人類の幸福と平和を願ってつくられた宗教が戦争を起こす。皮肉なものです。
カール・マルクスの有名な言葉に
「Religion is the opium of the people」(宗教は民衆の阿片である)とあります。私はマルクス論者ではありませんが、この言葉は宗教の真理をついているような気がしてなりません。つまり苦しみから逃れることができる阿片のようなもの。極端な言い方をすれば、その阿片中毒者は十字軍なり、ヒットーラーのユダヤ人虐殺をうみ、テロリストになって世界の平和を脅かす・・・
私は科学を信じますが神の存在(宇宙の創造者としての神)は信じません。無神論者の私はアメリカに長く住んでいると理解に苦しむことが多くあります。特に多数を誇るエヴァンジェリカル(福音主義者)とよばれる宗派の信者たちは、聖書に書かれていることをすべて本当にあったことと信じている人が多くいます。例えば、アダムとイヴやノアの箱船の話。そういうおとぎ話に近い話を真面目に信じる人たちによって起こされる問題は、無視できない大きな影響を社会に与えているのです。
「宇宙は6千年前に神によって創造された」と信じる彼らにとっては、6千年以前は地球は存在しないことになり、彼らは恐竜と人間が共存していたと真面目に信じています。
こういう人たちは教育もあり、社会的にも立派な職業に着いている人が多いのですが、問題は科学を否定していること。彼らにとっては宇宙、地球、人間はすべて神によって創造された産物ですので、ダーウィンの進化論はありえないのです。ですから学校での科学の教育から進化論を取り除かれてしまった町もあります。
進化論は神を冒涜するものである。Creationism創造説を教えるべきだ。
科学の教育において、この問題がアメリカで今だに真剣に論議されているのは信じ難いことです。ブッシュが8年間にも渡って大統領でありえた背景に、彼が圧倒的な支持をエヴァンジェリカルから得たことがあげられます。「神の教え」に基づいて政策をとるといって憚らないブッシュ大統領に彼らは喜んで投票したのです。
アメリカでは9割の人が宗教をもち神の存在を信じています。この宗教色の強い国で、「神の存在を信じない」なんて言うと大変なことになるのです。あるディナーの席で著名な人類学の教授が私のとなりに座りました。仏教の話になり、私は仏教徒でもない。無宗教、無神論者だと言いますと、驚いた顔つきで、真剣に聞きました。
「じゃ、君の道徳は一体どこからくるのかね?」まるで道徳心のない罪悪人を見るような目つきです。
「私の道徳、倫理はすべてconscience良心・道義心に基づいてもので宗教から来ていません。」
でも分かってもらえませんでした。宗教が道徳の根源である彼らにとっては、神を信じない者は、死後は地獄にいかねばならない罪人(つみびと)なのです。
罪人の私はイエス様に救ってはもらえませんが、今頃彼は争いが絶えない醜い世界に、大きなため息をついていることでしょう。
そんなイエス様を励ます意味でも、メリークリスマス!
一日も早くイエス様が願っていた平和な地球が訪れますように・・・願わずにはおれません。
(この記事は宗教自体を否定するものではなく、また宗教論の記事でもありません。宗教は道徳心や博愛心を高める上で人類に大きな役割を果たしてきたと思いますが、同時に大きな犠牲をともなってきた点を見逃してはならないと思うのです。いろんな宗教が平和に共存できる日を祈る気持ちで書きました。)
ロックフェラープラザ
今日はキリスト教信者にとってはとても大切な神聖なる日ですが、そうでない多くの日本人にとってはお祭りの日でしかありませんね。でもこの機会を利用して、ちょっと宗教について厳しく迫ってみたいと思います。キリスト教信者の方は不愉快な想いをされるかもしれませんので、ウォーニングをしておきます。
今日は25日。イエス・キリストの生誕の日とされています。アメリカは85%の人がキリスト教信者ですので最も神聖な祭日と言えます。 日本ではクリスマスは、クリスマスケーキ(これは日本がつくった商業的産物)、プレゼントの交換、パーティなど全く宗教色のないお祭りの日となっていますが、世界においては最大の宗教であるキリスト教信者は20億人にも達しており、今日は大変畏れ多い聖なる日なのです。
ブラジルでは93%、なんとメキシコでは99%がキリスト教徒となっています。デルポトロが試合に勝った時、まず天に向かって十字を切って神様に感謝しますね。十字を切るのはカソリック教ですが、あの十字のもとで過去いろんな戦争が起こされたことを考えると(最も有名なのは200年にもわたって繰り返された十字軍による聖戦)、複雑な気持ちになります。宗教の違いが原因で、現在も世界の各地で戦争が繰り返されています。人類の幸福と平和を願ってつくられた宗教が戦争を起こす。皮肉なものです。
カール・マルクスの有名な言葉に
「Religion is the opium of the people」(宗教は民衆の阿片である)とあります。私はマルクス論者ではありませんが、この言葉は宗教の真理をついているような気がしてなりません。つまり苦しみから逃れることができる阿片のようなもの。極端な言い方をすれば、その阿片中毒者は十字軍なり、ヒットーラーのユダヤ人虐殺をうみ、テロリストになって世界の平和を脅かす・・・
私は科学を信じますが神の存在(宇宙の創造者としての神)は信じません。無神論者の私はアメリカに長く住んでいると理解に苦しむことが多くあります。特に多数を誇るエヴァンジェリカル(福音主義者)とよばれる宗派の信者たちは、聖書に書かれていることをすべて本当にあったことと信じている人が多くいます。例えば、アダムとイヴやノアの箱船の話。そういうおとぎ話に近い話を真面目に信じる人たちによって起こされる問題は、無視できない大きな影響を社会に与えているのです。
「宇宙は6千年前に神によって創造された」と信じる彼らにとっては、6千年以前は地球は存在しないことになり、彼らは恐竜と人間が共存していたと真面目に信じています。
こういう人たちは教育もあり、社会的にも立派な職業に着いている人が多いのですが、問題は科学を否定していること。彼らにとっては宇宙、地球、人間はすべて神によって創造された産物ですので、ダーウィンの進化論はありえないのです。ですから学校での科学の教育から進化論を取り除かれてしまった町もあります。
進化論は神を冒涜するものである。Creationism創造説を教えるべきだ。
科学の教育において、この問題がアメリカで今だに真剣に論議されているのは信じ難いことです。ブッシュが8年間にも渡って大統領でありえた背景に、彼が圧倒的な支持をエヴァンジェリカルから得たことがあげられます。「神の教え」に基づいて政策をとるといって憚らないブッシュ大統領に彼らは喜んで投票したのです。
アメリカでは9割の人が宗教をもち神の存在を信じています。この宗教色の強い国で、「神の存在を信じない」なんて言うと大変なことになるのです。あるディナーの席で著名な人類学の教授が私のとなりに座りました。仏教の話になり、私は仏教徒でもない。無宗教、無神論者だと言いますと、驚いた顔つきで、真剣に聞きました。
「じゃ、君の道徳は一体どこからくるのかね?」まるで道徳心のない罪悪人を見るような目つきです。
「私の道徳、倫理はすべてconscience良心・道義心に基づいてもので宗教から来ていません。」
でも分かってもらえませんでした。宗教が道徳の根源である彼らにとっては、神を信じない者は、死後は地獄にいかねばならない罪人(つみびと)なのです。
罪人の私はイエス様に救ってはもらえませんが、今頃彼は争いが絶えない醜い世界に、大きなため息をついていることでしょう。
そんなイエス様を励ます意味でも、メリークリスマス!
一日も早くイエス様が願っていた平和な地球が訪れますように・・・願わずにはおれません。
(この記事は宗教自体を否定するものではなく、また宗教論の記事でもありません。宗教は道徳心や博愛心を高める上で人類に大きな役割を果たしてきたと思いますが、同時に大きな犠牲をともなってきた点を見逃してはならないと思うのです。いろんな宗教が平和に共存できる日を祈る気持ちで書きました。)
投稿者 Tennisnakama 01:46 | コメント(10)| トラックバック(0)
たしかに、外国の方から見れば日本のクリスマスは奇妙に思われるかもしれないですね‥25日が過ぎれば街は一気にお正月モードだし、キリスト教信者の方以外はほとんど宗教的な深い意味をあまり考えることなく過ごしてしまいますね。私もまぎれもなくその一人です☆
そんなちょっとズレた日本ですが、まあ、悪くもないかなって思います。家族や、友達や恋人と、あたたかい時間を過ごそうと、街全体が楽しく平和な雰囲気に包まれている気がします。少なくとも争いをしているよりもずっといいですよね。。本来の宗教的意味から程遠いイベントになっているのはちょっと疑問を感じないこともないですが^_^;
でも、Tennisnakamaさんの記事を読んでいて、この前の選手が歌っていた「十二夜」の歌の意味も初めて教えてもらえましたし、クリスマスの本来の姿をあらためて考えている自分がいました(^^)
ほんとうにどの国でもみんなが幸せなクリスマスを過ごせたらいいですね。テニス選手たちはどんなふうにすごしているのかなあ‥
ワタシは20年ほど前に宗教は何かと聞かれて「無宗教」だと答えたところ、「共産主義者なのか?」といわれ戸惑ったことがあります。それ以来その類の質問には種丸さんのごとく、あるときは神道、あるときは仏教、そしてまたあるときはキリスト教なんだよと答えることにしています。
ほぼ煙に巻けますね(笑)
よく夫と話すのですが、日本は宗教はなんでもありだけど、昔は「おてんとう様が観ている」という感覚を皆持っていて、何か悪い事ずるい事をしようとしても「おてんとう様が観ているから」できなかったんです。今は誰も観ていないと思っている人が沢山います。この「おてんとう様」は他の国では「神さま」というのかな・・と思っていました。自分の中に誰でも必ず存在する 良心ですよね。 この「おてんとう様」は忘れたくないなぁ~と思っています。
これで4回も「理解」という言葉を使ってしましたが、宗教問題は「理解」を抜きにしては解決できない今世紀最大の問題だと思います。
神の観念は相当に違うと思います。しかし それを恐れて何も口にしないのもおかしいと思いますし、日本人がなんでもOKの中に暮らしているのは事実、それを理解され難いのも承知しています。
宗教問題は下手に議論をし始めると大変な事になってしまいます。あまりに微妙です。そのために自ら命を落とす人もいるわけですから・・・。ユダヤ、イスラムに関しては勉強不足でまったく私などはお手上げです。 ひとつ疑問なのですが、キリスト教信者の方々は他の宗教も詳しいのですか? 本当に本当に宇宙の創造を信じているの?(この質問ってタブー?でも昔から聞きたかった質問・・・)
私も罪人(つみびと)ですよねぇ・・・ふぅ。 どうしましょう・・・。
神社に初詣に行ってお賽銭投げて手を合わせる、というのは、現代の私たちには信仰というより習慣だと思いますが、戦前の国家神道の時代を知っている人(たとえば、日本に植民地支配されていた朝鮮半島の高齢の方々)からみるとそれも不愉快な宗教行為かもしれないと思います。天皇さんの存在なども、私にとってはワイドショーに映る有名人の一人に過ぎないのですが、歴史的にわだかまりを感じる人、それとは反対に信仰に近いような尊敬を抱く人もいるわけで。
ただ、科学という言葉を聞くと、すごくneutralに感じますが、実験結果は客観的事実でもそれを評価するのはあくまで人間=主観にすぎないので、そういう意味では自然科学も宗教の一種かもしれない、と思うことがあります。
とりとめのなくなりましたが、自分の世界観や信念に自信を持つことと、その不確かさを認めること、どちらも生きていくには必要だと思いますし、うまいバランスのとり方を模索していくしかないのかな、と思います。
一枚の葉の裏にも…という言葉があった気がするのですが、
私はそれを聞いた時に欧米の道徳観に違和感を覚えました。
奇跡は人が思うほど壮大ではなく、一枚の葉の裏、身近で些細な所で日々起こっているのだって。
それを知っていて、大事に守ってきたのが古来の日本人だったら、
私は誇らしいです。
ここで簡単に3宗教の違いについて知っていることを書いてみますと:
ユダヤ教は旧約聖書のみを聖書としていて、モーゼスの教え(トラー)を教本としています。キリスト教との最も大きな違いは、イエスキリストを救世主として認めてはいない点です。つまりキリスト教ではイエスは神の子であるのに、ユダヤ教では神の子ではなく予言者であること。そしてユダヤ教ではユダヤ人種を選ばれた民族としていることなども違いますね。
キリスト教は新約聖書を基本とし、イエスの教え(福音書)に従います。イエスは人類の罪を背負って十字にかけられたのですから、善行によって罪のつぐないをし、イエスによって救ってもらって死後は天国に行くのがキリスト教徒のあるべき姿となります。キリスト教徒が聖書の話をすべて信じるかどうかの問題ですが、これは宗派によってもかなり異なってくるようです。
イスラム教はイエス生誕から約600年後にムハマッド(モハメット)によっておこされた宗教で、彼が40才のときに神から啓示をうけたとされています。ムハマッドは神の子ではなく、予言者です。(続く)
というわけで、この3宗教はいとこ同士の近い関係にあるのですが、残念ながら喧嘩が絶えません。
ニューヨークはいろんな人種が混ざっておりますので、お互い寛容な態度でいろんなお祭りを一緒になって祝います。例えばこの時期はユダヤ人のお祭りは「ハヌカ」、黒人の間では「クワンザ」となります。別にユダヤ人でなくても、私たちはユダヤ人の友達には「ハッピーハヌカ」と挨拶をして敬意を示しています。私の親友はユダヤ人ですので、私はあらゆるユダヤの儀式にも招待されます。
そういう多人種、多宗教の入り交じった環境にいるので、クリスチャンではありませんが、彼らに敬意を払う意味で「メリークリスマス」とタイトルをつけました。お互いを認め合う、できれば無神論者の私も認めてほしいという気持ちも含んでいます。
最近よく使われるのが「ハッピーホリデー」という言葉です。これはキリスト教もユダヤ教もイスラム教も仏教も無神論者もすべてをひっくるめた挨拶で、最近はこの表現をされることが多くなりました。ユダヤ人だと知らず、「メリークリスマス」と挨拶してしまう失礼な事態を避けることができるので便利な言葉です。このような複雑な宗教のニュアンスなど、日本ではなかなか分かり難いと思って記事にしてみました。