2008年12月24日
世界の名コーチ(2)ブラッド・ギルバート
テニス史上に残る名コーチの特集(2)です。今日は現役のコーチとして最も有名なブラッド・ギルバートを紹介したいと思います。
ブラッド・ギルバート Brad Gilbert(47才)
コーチをした主な選手:アガシ、ロッディック、アンディー・マリー
全くコーチの経験がない現役時代にアガシのコーチ役を引き受けて以来、ベストコーチとして名声の高いギルバートは、クールなルックス(今はおじさんぽくなってしまいましたが)、業績、本の出版(『Winning Ugly 』『 I’ve Got Your Back』)などで、もっともセレブなコーチとしても知られていますが、彼の親しみ易く誠実な人柄で彼の悪口をいう者がいない稀なるコーチでもあります。
アガシAgassiとの出会いは、1994年にアガシがギルバートを夕食にさそったことから始まります。当時のアガシはトップ20からなかなか抜け出すことができずスランプに苦しんでいました。ブロンドに染めたヘアにピアスのイアリング、ジーンズのテニスウェアなど話題には事欠かないアガシでしたが、世界一の夢も遠のいていくモチベーションの低い日々だったのです。
ギルバート自身、最高ランキング4位を誇るトップランカーでしたが、彼のピークは去り、当時はランキング30番台を徘徊する中堅選手でした。ギルバートにはこれといった武器はなく、プッシャー(自分から攻撃をしかけることは稀で、ボールをコートに入れることを最優先する選手)として知られていました。ギルバートのプレースタイルは、確率の高いテニスと、スローな球やスライスなどをミックスして相手にリズムを与えないテニスで知られていました。そのため彼を苦手とする選手が多く、心理作戦なども使ったギルバートは、合計20のタイトルを取得するなど選手としても成功した数少ないコーチの一人です。
スランプに陥っていたアガシは、最初は現役選手でしかもコーチ経験のないギルバートをコーチするつもりはありませんでしたが、自分とは全く違うプレースタイルのギルバートに興味がありました。
「彼なら今の自分に足らない部分が見えるかもしれない。」
分析好きなギルバートは、当時のアガシに何が必要なのか、自分の考えを述べました。アガシのテニスは「頭を使っていないテニス」と、かなり厳しいギルバートの分析でしたが、ギルバートはアガシの実力ならすぐにでも世界一になれると信じていました。
当時のアガシはサーヴィスのベスト・リターナーで知られていましたが、ラリーを続けることを苦手とする、攻撃一本の選手でした。その彼にディフェンシヴ・オフェンス(攻撃できない時には守りのテニスをしながら、ウィナーが打てるチャンスがくるまでラリーを続ける)を教えたのでした。またメンタルがいかに試合を左右するかを身を以て経験しているギルバートは、途中でフォーカスが途切れがちなアガシに、メンタルの重要性を説き続けました。
ギルバートのもっとも思い出に残る試合は、1999年の全仏オープンの決勝戦だったといいます。2セットをたて続けに落としてしまったアガシには、誰の目にも優勝は不可能でした。しかし雨のために試合が中止になり、ロッカールームにもどった意気消沈のアガシを立ち直らせたのはギルバートです。「自分のゲームをしろ!」とギルバートに怒鳴りつけられたアガシは、5セットのフルセットを戦い抜き奇跡のカムバックをとげ、ヴィクトリーを手にすることができたのです。
ギルバートはアガシに最も必要とされていたテニスを与えることによって、一年後にはアガシは世界一になり、8年間のコーチの間に6つのグランドスラムのタイトルをとることに成功しました。このギルバートのアガシのコーチイングは、トニー・ローチのレンデルに施したコーチングに匹敵する、史上二大ベストコーチングとされています。
アガシの後に引き受けたロディックRoddickも同じ問題を抱えていました。サーヴとフォアハンドに過剰に頼ったロディックのテニスは、一面的でディフェンスのコンセプトがありませんでした。しかしギルバートのコーチングのもとで、ロディックは2003年のUS Openのタイトルと、No.1の座をえることになったのです。しかし後にロディックとの意見が合わず、ギルバートはコーチを辞めることになりますが、ギルバートの去った後のロディックは、トップ3にもなれず、GSのタイトルもとれていない低迷状態を続けています。
ロディックの後、2006年7月に コーチとしての手腕を買われたギルバートは、イギリスの悲願、ウィンブルドン優勝のゴールのために、イギリスローンテニス協会と3年間の契約を結びました。彼の役割はイギリスの未来のスター選手を育て上げるだけでなく、アンディー・マリーAndy Murrayのコーチも担当することになりました。しかしここで私が不思議に思ったのは、マリーはカウンターパンチャー(ディフェンス選手)として知られている選手です。同じプレースタイルのギルバートから学ぶものは余りないはず。案の定マリーとの関係は長持ちせず、マリーとのコーチ契約は解消となりました。しかし16ヶ月というわずかな間でしたが、ランキングは30番代から11位に伸びたことは、ギルバートがコーチとしていかに優れているかを示しています。
マリーの後はイギリスの協会との契約のため、ギルバートはイギリスNo.2の選手、24才のアレックス・ボグダノヴィッチAlex Bogdanovi〓を今年20週間担当することになりましたが、若くもなく傑出した才能にも恵まれない選手は、いくらコーチがよくても伸びないようで、彼は昔と変わらず200番あたりを停滞しています。来年の7月まで契約のため、ギルバートはコーチの手腕もなかなか発揮できない状況にありますが、スポーツチャンネルのESPNの解説者として人気もあり、欧米を往復する売れっ子タレントコーチです。
(余談)面識もないのギルバートにメールを送ったことがあります。彼の息子がボレテリ時代に、錦織選手のヒッティング仲間だということを読んで、彼に錦織選手へ応援エールを頼みみました。全く返信を期待していなかったのですが、ギルバートは親切にも圭君にメッセージを送ってくれたのです。詳細は『ギルバートからメッセージ』をご覧ください。
ギルバートの公式サイト
http://www.bradgilberttennis.com/index2.html
ブラッド・ギルバート Brad Gilbert(47才)
コーチをした主な選手:アガシ、ロッディック、アンディー・マリー
全くコーチの経験がない現役時代にアガシのコーチ役を引き受けて以来、ベストコーチとして名声の高いギルバートは、クールなルックス(今はおじさんぽくなってしまいましたが)、業績、本の出版(『Winning Ugly 』『 I’ve Got Your Back』)などで、もっともセレブなコーチとしても知られていますが、彼の親しみ易く誠実な人柄で彼の悪口をいう者がいない稀なるコーチでもあります。
アガシAgassiとの出会いは、1994年にアガシがギルバートを夕食にさそったことから始まります。当時のアガシはトップ20からなかなか抜け出すことができずスランプに苦しんでいました。ブロンドに染めたヘアにピアスのイアリング、ジーンズのテニスウェアなど話題には事欠かないアガシでしたが、世界一の夢も遠のいていくモチベーションの低い日々だったのです。
ギルバート自身、最高ランキング4位を誇るトップランカーでしたが、彼のピークは去り、当時はランキング30番台を徘徊する中堅選手でした。ギルバートにはこれといった武器はなく、プッシャー(自分から攻撃をしかけることは稀で、ボールをコートに入れることを最優先する選手)として知られていました。ギルバートのプレースタイルは、確率の高いテニスと、スローな球やスライスなどをミックスして相手にリズムを与えないテニスで知られていました。そのため彼を苦手とする選手が多く、心理作戦なども使ったギルバートは、合計20のタイトルを取得するなど選手としても成功した数少ないコーチの一人です。
スランプに陥っていたアガシは、最初は現役選手でしかもコーチ経験のないギルバートをコーチするつもりはありませんでしたが、自分とは全く違うプレースタイルのギルバートに興味がありました。
「彼なら今の自分に足らない部分が見えるかもしれない。」
分析好きなギルバートは、当時のアガシに何が必要なのか、自分の考えを述べました。アガシのテニスは「頭を使っていないテニス」と、かなり厳しいギルバートの分析でしたが、ギルバートはアガシの実力ならすぐにでも世界一になれると信じていました。
当時のアガシはサーヴィスのベスト・リターナーで知られていましたが、ラリーを続けることを苦手とする、攻撃一本の選手でした。その彼にディフェンシヴ・オフェンス(攻撃できない時には守りのテニスをしながら、ウィナーが打てるチャンスがくるまでラリーを続ける)を教えたのでした。またメンタルがいかに試合を左右するかを身を以て経験しているギルバートは、途中でフォーカスが途切れがちなアガシに、メンタルの重要性を説き続けました。
ギルバートのもっとも思い出に残る試合は、1999年の全仏オープンの決勝戦だったといいます。2セットをたて続けに落としてしまったアガシには、誰の目にも優勝は不可能でした。しかし雨のために試合が中止になり、ロッカールームにもどった意気消沈のアガシを立ち直らせたのはギルバートです。「自分のゲームをしろ!」とギルバートに怒鳴りつけられたアガシは、5セットのフルセットを戦い抜き奇跡のカムバックをとげ、ヴィクトリーを手にすることができたのです。
ギルバートはアガシに最も必要とされていたテニスを与えることによって、一年後にはアガシは世界一になり、8年間のコーチの間に6つのグランドスラムのタイトルをとることに成功しました。このギルバートのアガシのコーチイングは、トニー・ローチのレンデルに施したコーチングに匹敵する、史上二大ベストコーチングとされています。
アガシの後に引き受けたロディックRoddickも同じ問題を抱えていました。サーヴとフォアハンドに過剰に頼ったロディックのテニスは、一面的でディフェンスのコンセプトがありませんでした。しかしギルバートのコーチングのもとで、ロディックは2003年のUS Openのタイトルと、No.1の座をえることになったのです。しかし後にロディックとの意見が合わず、ギルバートはコーチを辞めることになりますが、ギルバートの去った後のロディックは、トップ3にもなれず、GSのタイトルもとれていない低迷状態を続けています。
ロディックの後、2006年7月に コーチとしての手腕を買われたギルバートは、イギリスの悲願、ウィンブルドン優勝のゴールのために、イギリスローンテニス協会と3年間の契約を結びました。彼の役割はイギリスの未来のスター選手を育て上げるだけでなく、アンディー・マリーAndy Murrayのコーチも担当することになりました。しかしここで私が不思議に思ったのは、マリーはカウンターパンチャー(ディフェンス選手)として知られている選手です。同じプレースタイルのギルバートから学ぶものは余りないはず。案の定マリーとの関係は長持ちせず、マリーとのコーチ契約は解消となりました。しかし16ヶ月というわずかな間でしたが、ランキングは30番代から11位に伸びたことは、ギルバートがコーチとしていかに優れているかを示しています。
マリーの後はイギリスの協会との契約のため、ギルバートはイギリスNo.2の選手、24才のアレックス・ボグダノヴィッチAlex Bogdanovi〓を今年20週間担当することになりましたが、若くもなく傑出した才能にも恵まれない選手は、いくらコーチがよくても伸びないようで、彼は昔と変わらず200番あたりを停滞しています。来年の7月まで契約のため、ギルバートはコーチの手腕もなかなか発揮できない状況にありますが、スポーツチャンネルのESPNの解説者として人気もあり、欧米を往復する売れっ子タレントコーチです。
(余談)面識もないのギルバートにメールを送ったことがあります。彼の息子がボレテリ時代に、錦織選手のヒッティング仲間だということを読んで、彼に錦織選手へ応援エールを頼みみました。全く返信を期待していなかったのですが、ギルバートは親切にも圭君にメッセージを送ってくれたのです。詳細は『ギルバートからメッセージ』をご覧ください。
投稿者 Tennisnakama 02:14 | コメント(8)| トラックバック(0)
日本で特にプロ野球などで「コーチ」のイメージはいわゆるCoachingのイメージよりもTeacherのイメージが強く感じられます。もちろんプロとジュニアでまた日本と欧米で違うのだろうと思うのですがテニスの世界のそのあたりのイメージまた日本と欧米などとのイメージの違いなどご存知のことを少し教えていただければと思います。
どのスポーツでもそれは同じだとは思いますが・・。
選手とより長い時間を過ごす事になるテニスのコーチは人間性も成熟していないといけませんね。良いコーチに恵まれる事自体、その選手の運といえるのでしょうか。
本人はあまりテニス出来ないのですが。一般の方は身体に無理なく長く続けられるようにした方がいいでしょうし、Jrは将来趣味の1つとしてテニスに興じる土台が出来れば充分なレベルの子と、トップを狙って行ける子とでは教え方・接し方も変えねばいけないでしょう。人間相手ですから色々と大変なんじゃないかと思いますよ(笑)Jr相手だとその生徒との相性が良くても親が曲者だったりね・・(怖)
とにかくコーチって一言じゃ探りきれない気がしますね。だんぱっつぁん、こんなもんで許して(汗)
コメントありがとうございます。ちょっと質問がでかすぎて申し訳ありませんでした。もうちょっと絞ればよかったですね。
>こんなもんで許して(汗)
ダメです(笑) これからももっと教えてもらいますから(^^)
やはりコーチと選手の相性もあるでしょうからいくら名コーチでも性格的な相性が全く合わなければ選手も伸びないでしょうからその辺は難しいですよね?選手がコーチを変えるって言うのはそうとう勇気の要ることでしょう。
「コーチが何度か変わっていて、自分から言って変えてもらったこともあるし、今は試している時です。
技術面で指導してくれて、信頼できるコーチがほしいです。」と言っていました。
内気でおとなしいと言われている錦織選手が、コーチを変えてくれとか自分から言うんだと少し驚きましたが、皆さんのコーチ論を読んでいてなるほどと思いました。高い技術を持ったコーチなら誰でもいいというわけにはいかないんですね。
ボリテリ氏が今のベースラインで打ち合うテニスの先駆者だったなんて全く知りませんでした。
アガシも確かにそのスタイルですよね。
サーブ&ボレー全盛の時代から観戦を止めてしまったので、そのあたりの変遷がわかりませんでした。
アガシ、大好きです。
アガシのトップ1にはギルバートコーチの大いなる力があったのですね。
スポーツは優れたプレイヤーが必ずしも優れた指導者にならないところが
面白いところですよね。
このシリーズはもっと続けて欲しいです。深くも知りたいです。
選手側もあとで別れなきゃよかったと後悔するようなコーチもいるのでしょうね。