2009年01月24日
民族対立の暴力事件に思う
今日はテニスの歴史に汚点が残る残念な事件が起きてしまいました。
約30人のセルビア人とボスニア人の小競り合いが、椅子を投げ合う暴力事件に発展し、女性が投げられた椅子にあたって怪我をするなど被害がでました.
2年前は、約150人のセルビア人とクロチア人が衝突(赤と白のシャツがクロチア)して暴力事件に発展、会場から強制退場となりました。
セルビア、クロチア、ボスニアが内紛や戦争の長い歴史を引きずっているとはいえ、スポーツの領域に政治を持ち込むことは許されないことです。政治といえば聞こえがよいですが、彼らはフラストレーションのはけ口として、スポーツを利用しているだけで、これらの暴力事件は紳士淑女の最後のスポーツであるテニスのトーナメントで行われたことは遺憾にたえません。
ヨーロッパでよくサッカーを観にいきますが、私のとなりに座っていたスイスの将校が突然ピストルを出して、空に向けて射ち放ったときは、もうひっくりかえるほどびっくりしてしまいました。あのスイスでの出来事です。ヨーロッパのサッカーファンは喧嘩を求めていく問題のグループがいろいろあり、彼らのエントリーをチェックするために、昨年のヨーロピアンカップは、入場者はすべてパスポートが必要になりました。
ナショナリズムの発露として、スポーツが汚されるのは大きな問題です。イスラエルがパレスチナに爆弾を落とし多くの死傷者を出した最近の事件直後でも、私の友人のユダヤ人とパレスチナ人たちはテニスを共にしています。
ニューヨークの住民は、世界のあらゆる人種がスペースをシェアしながら生活をしていますので、racial tolerance (人種に寛容)がなければ生活していけません。ですから愛国心とナショナリズムと区別することをわきまえています。それでないと、あらゆる街角で争いや暴力事件が発生してしまいますから。
セルビアとボスニアの椅子投げ事件は、ジョコヴィッチ(セルビア)とデリック(ボスニア生まれのアメリカ人)の試合の直後に発生しました。この事件に関して、二人に対照的な発言がありましたので、興味深いのでここで簡単に概要を紹介したいと思います。
デリックの言葉
デリックは5才のときにボスニアからアメリカに移住していますので、純粋のボスニア人とは言えませんが、ボスニア人の応援が過激になることを予想して、彼のウェブサイトですでに警告してきました。
Q:この事件についてどう思いますか?
「2~3日前にも僕のサイトで、喧嘩は絶対認めないことを書いたので、このような事件が発生して本当に残念だ。悲しいことだ。僕はノヴァク(ジョコヴィッチ)に負けたけれど、僕たちは友達で友好な関係には変わりないんだ。」
「コート内では応援は盛んで、フェアなマッチで観客は楽しんでいたんだ。誰が始めたことか知らないけれど、両サイド(セルビアとボスニア)の中に、問題を起こそうとしてやってきた者がいるのは確かで、このような事件が世界の至る所で起こっている。そして残念ながら今日この大会で起こってしまったのは実に悲しいことだ。」
ジョコヴィッチの発言
Q:このトラブルについてどう思いますか?
「選手である僕たちにとってコントロールできないことなんだ。彼らは自分たちの国の選手を観る機会が少ないので、熱狂的な応援になってしまんだ。」
Q:このような暴力事件が発生したことについて、関わったファンに何か言う事はありませんか?
「前に言ったように僕にはどうしようもないことなんだ。僕はコートで試合をしているんだから、この試合に勝たなくてはならない。警備員や関係者がいるんだから。」
Q:デリックは彼のサイトで態度を慎むよう呼びかけていますが、同じように何かすることを考えていますか?
「僕はコートに立ってベストのテニスをするためにここにいるんだ。他のことでエネルギーを費やすとフォーカスが薄れてしまう。だからこの問題は考えないようにしている。」
「もうこの問題は十分に話したよ。他の話題にしてくれないかな。」
tennisnakamaからジョコヴィッチに一言
ここでジョコファンの非難を覚悟で私の意見を述べさせていただきます。
ジョコヴィッチはセルビアのヒーローです。国民のアイドルであり、セルビアの子供たちは、彼のようになりたいと願っています。ここにデリックとの根本的な違いがあります。ジョコヴィッチの一挙一動を国民が見守っているのです。
ジョコにはセルビアを背負って立つ重い責任があります。べルグラードにトーナメントを開き、壮大なスポーツセンターの建設の計画中です。彼の発言は多くのセルビア人、特にヤングジェネレーションに影響を与えます。彼が政治には関わりたくないという気持ちは分かります。しかしこのような紛争、暴力事件が起こってしまった現在、彼はこのような行為については、絶対みとめないという確固たる姿勢が必要だと思います。
「僕はスポーツマンなんだから、テニスのことを心配していればよい。」というわけにはいかないのです。
タイガーウッドが以前、「僕はあらゆる政治活動には関わりをもちたくない」と同じようなことを言っていました。そしてどんな政治的な集まりにも姿を見せなかった彼が、オバマの大統領就任式には、スピーチをしています。タイガーはオバマのように黒人との混血です。同じ境遇にある人間として、ある時点で「政治には関わらない」モットーを破りました。スポーツ選手だけでない人間としての責任に目覚めたのです。このことによって、タイガーは偉大なゴルファーだけでなく、偉大な人間に成長したと思います。
ジョコにはテニスさえしてればよいという次元は過去のものになりました。彼はテニス選手だけではないのです。セルビアの国民のヒーローとして、世界の平和の大使としてのミッションがあります。もし彼がそのことを自覚すれば、セルビアの選手から、世界の選手に飛翔することができると思うのですが。
(訂正)
セルビア人とクロチア人との暴力事件は、2007年の事件でした。お詫びいたします。訂正記事を掲載させていただきました。
約30人のセルビア人とボスニア人の小競り合いが、椅子を投げ合う暴力事件に発展し、女性が投げられた椅子にあたって怪我をするなど被害がでました.
2年前は、約150人のセルビア人とクロチア人が衝突(赤と白のシャツがクロチア)して暴力事件に発展、会場から強制退場となりました。
セルビア、クロチア、ボスニアが内紛や戦争の長い歴史を引きずっているとはいえ、スポーツの領域に政治を持ち込むことは許されないことです。政治といえば聞こえがよいですが、彼らはフラストレーションのはけ口として、スポーツを利用しているだけで、これらの暴力事件は紳士淑女の最後のスポーツであるテニスのトーナメントで行われたことは遺憾にたえません。
ヨーロッパでよくサッカーを観にいきますが、私のとなりに座っていたスイスの将校が突然ピストルを出して、空に向けて射ち放ったときは、もうひっくりかえるほどびっくりしてしまいました。あのスイスでの出来事です。ヨーロッパのサッカーファンは喧嘩を求めていく問題のグループがいろいろあり、彼らのエントリーをチェックするために、昨年のヨーロピアンカップは、入場者はすべてパスポートが必要になりました。
ナショナリズムの発露として、スポーツが汚されるのは大きな問題です。イスラエルがパレスチナに爆弾を落とし多くの死傷者を出した最近の事件直後でも、私の友人のユダヤ人とパレスチナ人たちはテニスを共にしています。
ニューヨークの住民は、世界のあらゆる人種がスペースをシェアしながら生活をしていますので、racial tolerance (人種に寛容)がなければ生活していけません。ですから愛国心とナショナリズムと区別することをわきまえています。それでないと、あらゆる街角で争いや暴力事件が発生してしまいますから。
セルビアとボスニアの椅子投げ事件は、ジョコヴィッチ(セルビア)とデリック(ボスニア生まれのアメリカ人)の試合の直後に発生しました。この事件に関して、二人に対照的な発言がありましたので、興味深いのでここで簡単に概要を紹介したいと思います。
デリックの言葉
デリックは5才のときにボスニアからアメリカに移住していますので、純粋のボスニア人とは言えませんが、ボスニア人の応援が過激になることを予想して、彼のウェブサイトですでに警告してきました。
Q:この事件についてどう思いますか?
「2~3日前にも僕のサイトで、喧嘩は絶対認めないことを書いたので、このような事件が発生して本当に残念だ。悲しいことだ。僕はノヴァク(ジョコヴィッチ)に負けたけれど、僕たちは友達で友好な関係には変わりないんだ。」
「コート内では応援は盛んで、フェアなマッチで観客は楽しんでいたんだ。誰が始めたことか知らないけれど、両サイド(セルビアとボスニア)の中に、問題を起こそうとしてやってきた者がいるのは確かで、このような事件が世界の至る所で起こっている。そして残念ながら今日この大会で起こってしまったのは実に悲しいことだ。」
ジョコヴィッチの発言
Q:このトラブルについてどう思いますか?
「選手である僕たちにとってコントロールできないことなんだ。彼らは自分たちの国の選手を観る機会が少ないので、熱狂的な応援になってしまんだ。」
Q:このような暴力事件が発生したことについて、関わったファンに何か言う事はありませんか?
「前に言ったように僕にはどうしようもないことなんだ。僕はコートで試合をしているんだから、この試合に勝たなくてはならない。警備員や関係者がいるんだから。」
Q:デリックは彼のサイトで態度を慎むよう呼びかけていますが、同じように何かすることを考えていますか?
「僕はコートに立ってベストのテニスをするためにここにいるんだ。他のことでエネルギーを費やすとフォーカスが薄れてしまう。だからこの問題は考えないようにしている。」
「もうこの問題は十分に話したよ。他の話題にしてくれないかな。」
tennisnakamaからジョコヴィッチに一言
ここでジョコファンの非難を覚悟で私の意見を述べさせていただきます。
ジョコヴィッチはセルビアのヒーローです。国民のアイドルであり、セルビアの子供たちは、彼のようになりたいと願っています。ここにデリックとの根本的な違いがあります。ジョコヴィッチの一挙一動を国民が見守っているのです。
ジョコにはセルビアを背負って立つ重い責任があります。べルグラードにトーナメントを開き、壮大なスポーツセンターの建設の計画中です。彼の発言は多くのセルビア人、特にヤングジェネレーションに影響を与えます。彼が政治には関わりたくないという気持ちは分かります。しかしこのような紛争、暴力事件が起こってしまった現在、彼はこのような行為については、絶対みとめないという確固たる姿勢が必要だと思います。
「僕はスポーツマンなんだから、テニスのことを心配していればよい。」というわけにはいかないのです。
タイガーウッドが以前、「僕はあらゆる政治活動には関わりをもちたくない」と同じようなことを言っていました。そしてどんな政治的な集まりにも姿を見せなかった彼が、オバマの大統領就任式には、スピーチをしています。タイガーはオバマのように黒人との混血です。同じ境遇にある人間として、ある時点で「政治には関わらない」モットーを破りました。スポーツ選手だけでない人間としての責任に目覚めたのです。このことによって、タイガーは偉大なゴルファーだけでなく、偉大な人間に成長したと思います。
ジョコにはテニスさえしてればよいという次元は過去のものになりました。彼はテニス選手だけではないのです。セルビアの国民のヒーローとして、世界の平和の大使としてのミッションがあります。もし彼がそのことを自覚すれば、セルビアの選手から、世界の選手に飛翔することができると思うのですが。
(訂正)
セルビア人とクロチア人との暴力事件は、2007年の事件でした。お詫びいたします。訂正記事を掲載させていただきました。
投稿者 Tennisnakama 02:00 | コメント(28)| トラックバック(0)
スポーツ選手が政治に関わることについては、いろいろな問題もからんでくるので、ジョコはあえて自分にはコントロールできないと言ったのでしょうね。 (あくまでもtennisnakamaさんの記事を通じてのみの情報ですが) ただ、今回のような事件に関してジョコは、行動を起こさないまでも、喧嘩はよくない程度の一言は入れてほしかったなと思います。ヒーローであれば一言が若者に与える影響って大きいと思いますので。
私見ですが、tennisnakamaさんが意見をご自分のブログで言うことは、私は良いと思いますよ。今回のような意見に関して、ジョコサイドに働きかけずに書いたら単なる悪口ということではないのでは?書かれたことに対し、読む側が感銘を受けたり、反対意見を持ったり。それでよいのだと思っています。
(続く)
自分の思ったことが批判ととられないだろうかと恐れ、発言も控えてしまうのは、「裸の王様」の社会です。そしていつも気になるのですが、私の論点と関係のない次元で反論されることが多々あることです。「ジョコはテニスをやりに来たのだから、ノーコメントが正しい。」と考えられるのでしたら、なぜそう思われるのか、ここが私の聞きたい点です。そしてできれば、これを機会にスッポーツ選手の使命と役割について語れればと願っています。
tennisnakamaさんはジョコがテニス選手としてこうあって欲しい、という希望を述べられたのではないでしょうか。 関係先に働きかけて解決するような問題でもないと思いますよ。まして、戯言・・・悪口・・・というのは当たらないのでは?
ジョコのような立場の人はrole modelとしての役割もある筈です。 セルビア人が警戒感なしにどの会場でも受け入れられるよう、国の期待を受ける立場なら一層セルビアの好感度が増すように心がけて欲しいと思います。 複雑な旧ユーゴ諸国の事情はありますが、「僕はテニスに勝つことにフォーカスしている。 だからみんなもテニスの応援にフォーカスして欲しいな。 このような会場で暴力は良くないよ。」くらいは言えば良かったのではないでしょうか? テニスは個人競技です。国別対抗戦ではありません。
クロアチアのリュビチッチも「彼らはスポーツの応援というよりも、政治的な理由でここへ来ているような気がする」と言っています。
http://nz.sports.yahoo.com/tennis/news/article/-/5276550/ljubicic-slams-political-tennis-fans
あと、いつも思うのですが「単なる記者会見でのやり取りを垣間見たに過ぎない」などと誤解されないように、ブログ内容のもとになる記事のリンクを紹介される方が良いと思います。もっと詳しく知りたいと思う場合もありますし、誤解も避けられると思うのですが。。? 今回は会見スクリプトからですよね。
そのような状況が伝えられない日本は井戸中の蛙になってしまいます。しかし私のブログは情報屋におわるのではなく、自分の意見を述べることに重点をおいてますので、ご理解いただけて嬉しく思います。
ジョコヴィッチの発言は記者会見で行われたものなので、公にされたものです。それにたいしてblogという世間の目にさらされる場で意見を申すのはおかしくないと思います。熟年さんの仰ることも理解します。しかし、たとえ「単なる記者会見」でも例えば民族対立を煽るようなことを言うのは非難されるべきでしょうし、多くの国民に対して大きな影響力をもつ立場の人間が、民族対立に関する問題に“無関心”な態度を示すのもどうかと思います。
しかし、また別の方の御意見を読めば気が変わってしまうかもしれません。そういった様々な見方を勉強させてもらえるので、tennisnakamaさんのblogを楽しみにしています。熟年さんの方法は確かに慎重で筋の通ったやり方だと思います。
Tennisnakamaさんが、前記事の書き込みで暴力事件、おっしゃっていたのは、何かアメリカの公道で暴力事件が起きたことをさすのかと、日本ではニュースになっていないなぁ、と思っていました。
テニス会場の中で起こったのですね。
ジョコビッチの発言はとても残念です。少し自分本位に取られかねない発言ですね。ジョコビッチが
発言することで、自国のテニスファンに対し、きちんとした行動を促すこともできるのに。
日本でトヨタカップが行われるのは、サッカー会場での暴力事件を避けるため、と聞いたことがあります。テニスもこうした悪しき流れへ少しでも行かぬようにするためにも、ジョコの、今回の暴力事件へ反対意見を述べる確固たる発言は必要だったとおもいます。
「闘いはイヤだ」なんてことは、言わなくてもあたりまえに思っていることで、タイトルを守る立場のジョコは集中したい一身で、うっかり忘れてしまったんだと思います。(言動は、ある程度の人間味(人に尽くす人、自分のためにやる人)を測る指標になるとは思いますが)
おそらく、ニックボリテリなどでは、記者会見のインタビュー講習みたいのもあるのだと思います。
「一番の本音でなく、優等生的言葉を先に言うこと」みたいなテクニックがあるのでしょう。
添田のブログを長年見ていますが、ずっと素の添田で語ってくれていたものが、ある日弱気の発言をしてしまったところ、「日本NO1としてそんなこといっているようではどうだ」と叩かれ、それ以来、心をさらけださなくなったように、私は感じています。
私は、演じてない選手を見たいです。
2人の試合は素晴らしく、手に汗握る好ゲームだったので、このような事件が起こって本当に残念です。
ジョコビッチの発言は私も少し悲しく感じました。セルビアに誇りを持ち、祖国を愛する発言をジョコビッチは以前からしていたと思うのです。彼の立場として言えたことが(むしろデリックよりも)、あったと思います。ずっと同じような事を聞かれ嫌気がさす事も時にはあるのでしょうが、それはトッププレーヤーは皆同じ状況でしょう。重要な場面で何が言えるかは人間性を見られてしまいます。少し肩を落としたジョコファンもいるのではないでしょうか。。。。
Tennisnakamaさん いつも情報ありがとうございます。
私も やはり、今や国民のヒーローともなっているジョコビッチは 一言でも<暴力はいけない>とコメントするべきだったと思います。
テニスというスポーツを純粋に楽しんで応援する場で このような政治的な暴力事件が起きるのは
本当に残念で悲しいことです。
この事件についてジョコが「暴力反対」を言うべきだったという意見を、フォーラムで新しいトピックを設け、Violence at Australian Openと題してして書きました。暴力事件については誰も触れてはおらず、これはジョコ陣地に殴り込みをかける行為で、叩かれるのを覚悟での投稿です。今のところジョコファンの二人からコメントが寄せられていますが、一人が私の意見に賛同してくれています。これからどんどんコメントが寄せられてくると思いますので、ときどきのぞいてみてください。
http://www.novak-djokovic.com/forums/viewtopic.php?f=10&t=2243&p=134315#p134315
やはりスポーツの世界に持ち込んでくるのは違うかなと思います。
私はフェデラーのファンなので、英語が得意でなくても彼ののインタビューは一生懸命頑張って読みます。そして最後にこのことについて彼が言ったコメントを読みました。
「(このような事件は)起っちゃいけないこと。自分たちプレーヤーがいい模範になって、ファンもそれについて来てほしいと思う‥このトーナメントを良いものにするために、皆長い時間かけて努力してる。僕は「Happy Slam」って呼んでる。皆にそれを見に来て感じてほしい」(←tennisnakamaさん訳が間違ってたら言ってくださいねー^_^;) これが彼の本音なのか優等生的な建前なのかはわかりません。うまく訳せてないかもしれません。でも、ぜんぜん違う国の、ただの1ファンの私が、彼のこの発言に影響を受けているのは事実です。本当にみんなのHappy Slamであってほしい、って素直に思います。
ジョコは一言この件に触れても良かったのでは?と思いますが、全米でもロディック戦後に一悶着あったので、慎重になったか、あるいはややウンザリ気味(インタビューやマスコミに)でスルーしてしまったンでは?とも思ってしまいました。
コートでは外野に関係なく今日も熱戦が繰り広げられています。
我々は心熱くしても暴れる事無く選手達のパフォーマンスを楽しみましょうね♪♪
勝ち残ってる選手達!煩わされずにベストを尽くして頑張って下さいっっ!!
少し本題と外れますが、今回の件で逆にジョコがそう言わなかった理由について考えさせられました。頭の回転がよさそうで、自己主張の強いジョコなら必ず何か意見を持っていると思います。それをテニスに集中したいからノーコメントというのは、公には言えない様な意見を持っているのかなあと。彼らが経験した紛争とは、民族浄化のため年寄り・男・子どもは皆殺し、若い女は妊娠するまで強姦が戦略だったという話を聞いたことがあるので、その中で育ち今大人になっている人たちには簡単に「暴力はだめよ、なかよくしなさいよ」なんて言えない恨み・憎しみがあるのかなあ、というようなことを考えていました。これはジョコや選手たちよりも大会主催者が体を張って対処しなければならないような気がします。完全に応援席をサッカーのように分けたりするのもいいのかな、なんて思います。
まず、ビデオ2つ目のセルビアンクロアチアンの小競り合いは、一昨年の全豪のものです。
クロアチア選手の試合コート周辺で起きました。昨日起きたことではありません。(日本でも報道されました。)昨日起きたのは30人の椅子の投げ合いの一件ですね。
さてジョコヴィッチの会見内容ですが、ジョコは椅子投げ事件を知らず、試合中の応援態度のことを聞かれたと思って答えているのではないでしょうか。
デリック対ジョコ戦は、少し加熱したファンの応援でジョコがすぐサービスに入れないことがあり、デリックがボスニアファンに静かにしてくれるよう手を挙げるシーンがありました。またセキュリティが監視?に動く場面も。こうした配慮もあって、試合自体はフェアないい内容でした。
ジョコは、相手応援に煽られてもテニスに集中する…試合中の基本姿勢を述べているように感じるのです。「a little bit quiet during the point.」「authorities are there, chair umpires, referees」の単語などからも。
そして、記者が具体的に椅子の投げ合いのことだと言った時、会場の外で何が起きたか知らなかったと言っています。自分のファンがそれに参加していたら残念に思うかという問いに対し、「自分のファンが対戦相手を煽ったりせず、スポーツマンシップでフェアな応援をしてくれると嬉しい」と答えています。私はジョコがまだ状況をよく把握してなかったと思えるのです。デリックの方は直前にブレイクから聞いたばかりだと言ってますね。
ジョコは、話題を打ち切らずもっと対応しておけばよかったかもしれませんね。デリケートな問題に関わるかもしれない事柄は、別の波紋を呼ぶことがあるので、状況をよく知らない段階ではコメントしたくなかったのか…。
一昨年の騒動のときも、クロアチア選手たちが記者会見で騒動のことを問いつめられていましたが、何が起きたかまだよく知らないと、困っていました。その後は、リュビチッチなど、しっかり発言し始めています。
昨年の全仏でジョコとリュビが対戦した時、試合後二人はネットを挟んでユニ交換してたたえあっていました。仲が良くサッカー好きだからでもありますが、彼らなりの友好アピールだったのかもしれません。
テニスのことだけ考えていればいいわけではない、それは誰に言われるまでもなく、ジョコ自身がずっと痛感してきて苦悩しているはず。pandiniさんが書いて下さったフェデラーのコメントはほんとうにありがたいですね。デリックやジョコたちだけに重荷を負わせない、暖かみを感じます。ジョコも人間として選手として、強く心豊かに成長してくれることを願ってます。
ジョコがたとえ記者会見の段階で事件についてよく知らず、余計なことはいいたくなかったとしても、誰がやろうと、暴力事件については遺憾を意思を表明してほしかったと思います。もしあのときにできなければ、彼のウェブサイトでもできるはずです。ジョコのウェブサイトを何度もチェックしていますが、暴力事件に関する発言はまだありません。リュビチッチはあのような問題を起こすファンに、「彼らは選手を応援しているのではない」と厳しいコメントを残していますね。ジョコを真剣に応援しているセルビアのファンのためにも、ジョコの一言があってもよいと思います。
http://jp.youtube.com/watch?v=3IS4wyxcB9k
まずはじめに思ったことは、暴動を起こした観客に対しての憤りです。
試合の内容に不満で、それが引き金になったのかと思ったら、いい試合で観客にも大した問題もなく、ジョコとデリックも友好的で、試合後はお互い健闘を称えあって抱擁を交していました。
十分この姿から、彼らの母国のファンにメッセージを送っている様に見えましたが。
なのに何故試合後に、彼らのファンが暴動を起こすのですか?…。
あきらかにデリックの言うとおり、ただ問題を引き起こしたい連中が暴れただけです。
ジョコも憂慮しているならば、何度でも繰り返し、自分の真意をファンに伝えてもらいたいです。
少し話が理想論的な極論に向かっているような気がするので、思い切ってコメントさせていただくことにしました。
この問題は、民族対立という非常のデリケートな問題です。
たくさんの血が流れ、多くの憎しみが生まれた末の問題です。
そして、サッカーにしろ、テニスにしろ、このような問題を起こす観客たちは、チームや選手を応援しに来ているわけではなく、この紛争の末生まれた憎しみを持って、民族間の対決を投影しに来ています。
今回問題を起こした観客たちは、ジョコビッチやデリッチの試合を見に来ているわけではなく、彼らの対決を利用し、民族間の対決を投影しているのだと思います。
ボスニアがNATOに空爆されたのは、国連がセルビア側に停戦を持ちかけたのをセルビアが拒否したからだったと記憶しています。
そのせいかどうかはわかりませんが、一部では、セルビアは民族浄化の主役としてあげられている節もあるくらいです。
(最近では、各民族とも非情な行為に及んでいたのがわかっています。)
もし、ジョコビッチが、争いは良くないと言えば、相手がボスニアでなくとも、この民族間分裂によって悲しい思いをしたセルビアの人の思いを理解しない発言と取られかねません。
あの悲しみを忘れろとでも言うのかと言われるでしょう。
また、セルビア人に迫害された民族の人たちが、ジョコビッチの発言をどう受け止めるかを考えた時、彼にとっては全く想像できないくらい恐ろしいものだとは思いませんか?
政治家でなく、スポーツ選手であるからこそ、その発言は捻じ曲げられることもあります。
実際、現在のセルビア政府とボスニア政府がどのようなスタンスでいるのか、ジョコビッチにはわかっていたでしょうか?
わかっていても、セルビア政府のスタンスでボスニア政府のことを考えずに発言できたでしょうか? つづく
ジョコビッチに何をすべきとか言うのは簡単です。
でも、ひとつのテニスの大会を丸く収めるのと違って、この問題についての発言の重さは彼には計り知れないほどのものがあると思います。
同じセルビア人でも、もうこの悲しみを忘れたいと思っている人もいれば、絶対に忘れられない人もいるのですから。
そして、セルビアが関係した多くの周辺民族にとっては、彼はセルビア人であることには変わりないのです。
タイガー・ウッズが、自国を元気づけるために顔を出したのとは全く意味が違います。
もし、ジョコビッチがこの問題に対して、何か民族間の中に再び一石投じるような言葉を投げ入れたなら、デリッチのようにアメリカにいる選手の言葉とは違う波紋が広がるでしょう。
彼がこの問題については発言をすれば、民族間対決を投影しに来ている観客たちの思うつぼでしょう。
そうしたら、彼はテニスを続けるどころの話ではなくなってしまうのではないでしょうか。
長々と失礼しました
ほとんどの日本人にとっては、民族間紛争など所詮対岸の火事でしかありません。
そして外野からは何とでも言えます。
殊、民族間紛争というとてもシビアな問題について、当事者でないものが発言をする段においては、
当事者に対する深い配慮が不可欠のように思えます。
その点が、tennisnakamaさんの記事には欠けていると感じました。
あえて言うならば、tennisnakamaさんが問題提起しているようなことは、
ジョコビッチ選手は、あなたに言われるまでもなく、当然分かっている。
この事件が起こるまでもなく、これまで悩んできたのだから。。
(メディアに露出した発言でという意味だけではなく)
紛争の渦中にある者にとっては、平和を叫ぶことが、逆に争いを加速させることもありえます。
そして、どのような発言が結果として良くなるか、悪くなるかは安易に決めることはできないと思います。
平和を願う気持ちは皆さん同じだと思います。
そして、tennisnakamaさんの意見にもほぼ賛成です。
しかし、ジョコビッチ選手には、連覇を目指して一戦一戦集中してほしいという願いを含め、
コメントいたします。
私も良くは分かりません。
しかし、バルカン諸国の歴史は複雑なものと聞きます。
何故、彼がそういう態度だったかというを批判する前に、バルカンの歴史を学ぶべきかと思いました。
おそらく、日本の歴史に比べたら、民族的なことで相当複雑なのかと思います。
分からない事は、分からないで良いのではないかと思います。
ジョコビッチをはじめ、オーストラリアンオープンに出場している選手すべてが安全に試合ができる事を望みます。