2009年07月09日
ロディックを変えた人たち:ステファンキ
ここでロディックの今までのランキングを振り返ってみたいと思います。
2003年8月
US Openに優勝(ロディックは当時4位)
2003年11月
初めて1位に。しかし9週間後に2位へ落ちる。
2004年2006年
2位から3位へ
2006年6月26日
ジミー・コナーズをコーチに雇う
しかしランキングは下降線をたどり、3位から6位へ
2008年3月
コナーズ辞任。デ杯キャプテンのパトリック・マッケンローがアドヴァイザーになるが、しばらくコーチ無しとなる。
2008年12月
ラリー・ステファンキがコーチに就任
このときのロディックは9位にまで転落。
2009年7月現在
ウィンブルドン決勝、惜しくもフェデラーに敗れる
現在のランキング6位
ジミー・コナーズは、ロディックのフルタイムのコーチとしてツアーに参加することに最初から躊躇していました。家族と共に過ごす時間が少なくなってしまうからです。一方ロディックの方もフルタイムでツアーを共にまわってもらわなければ、肝心な試合のときのアドヴァイスがもらえません。このように二人の要求が噛み合ず、22ヶ月続いたコナーズのコーチングは2008年3月に友好関係を保ちながら終止符を打ちました。
ロディックはすでに26歳。彼の夢はグランドスラムのタイトル。しかし2008年の5月以来肩の故障で、シンシナティのマスターズも棄権せざるをえなくなり、ランキングも最悪9位まで転落してしまいました。
このときに、婚約者だったブルックリン・デッカーに正直に打ち明けて相談しました。「このままタイトルをとれないで、駄目になっていくかもしれない。でも僕はもう一度トライしてみたい。それでもいいかい?」
ブルックリンはスーパモデルです。彼女のキャリアもあります。しかし一線で活躍するブルックリンはロディックの気持ちが痛いほど理解できました。「よし、やろう!」ロディックは彼女の大きな愛に支えられて、もう一度新しいコーチを迎えてやり直すことに決心したのです。
その頃、ラリー・ステファンキ(51歳、アメリカ人)は、チリの選手のフェルナンド・ゴンザレスのコーチとして、大きな成果をあげていました。しかしロディックがステファンキにアプローチしているのを知ったゴンザレスは、ステファンキにとっても大きなチャンスとなると分かっていましたので、快くステファンキをロディックに譲ったのでした。
ステファンキは選手時代のベストのランキングが35位の転々と小規模のツアーをまわるいわゆるジャーニーマンの選手でした。しかし同世代で友だちのジョン・マッケンローのコーチをし始めて以来コーチングに目覚め、カフェルニコフとマルセル・リオスの二人をNo.1にすることに成功。今では世界のコーチのベスト10に入る名コーチに数えられています。
さて、ステファンキがロディックのコーチに就任したのは2008年12月。ロディックが変わった! 約7ヶ月間に何がロディックに起こったのでしょうか?
ロディックがステファンキに会ったときに宣言しました。
「I’m all yours!」「僕は何でも言うことを聞きます!」
ステファンキはさっそく命令しました。
「それじゃ、さっそく15ポンド減らしてもらおうか。」
当時は200ポンド以上のヘヴィー級だったロディックは慌てて抗議しました。
「そんな!それは無理ですよ。僕が痩せていた21歳のときの体重なんだから。」
しかしステファンキはそしらぬ顔で言いました。
「だから君は21歳のときにUS Openで優勝できたんだよ。」
ウィンブルドン準決勝で、アンダードッグだったロディックがマレーに勝ち、決勝ではフェデラーに5セットのフルセットまで迫りました。私たちにとっては意外なロディックの活躍でしたが、ステファンキにとってはトレーニングの当然な結果だったようです。
ではどのようなトレーニングだったのでしょうか?
次回はマレー戦直後に行われたステファンキのインタービューを紹介したいと思います。
2003年8月
US Openに優勝(ロディックは当時4位)
2003年11月
初めて1位に。しかし9週間後に2位へ落ちる。
2004年2006年
2位から3位へ
2006年6月26日
ジミー・コナーズをコーチに雇う
しかしランキングは下降線をたどり、3位から6位へ
2008年3月
コナーズ辞任。デ杯キャプテンのパトリック・マッケンローがアドヴァイザーになるが、しばらくコーチ無しとなる。
2008年12月
ラリー・ステファンキがコーチに就任
このときのロディックは9位にまで転落。
2009年7月現在
ウィンブルドン決勝、惜しくもフェデラーに敗れる
現在のランキング6位
ジミー・コナーズは、ロディックのフルタイムのコーチとしてツアーに参加することに最初から躊躇していました。家族と共に過ごす時間が少なくなってしまうからです。一方ロディックの方もフルタイムでツアーを共にまわってもらわなければ、肝心な試合のときのアドヴァイスがもらえません。このように二人の要求が噛み合ず、22ヶ月続いたコナーズのコーチングは2008年3月に友好関係を保ちながら終止符を打ちました。
ロディックはすでに26歳。彼の夢はグランドスラムのタイトル。しかし2008年の5月以来肩の故障で、シンシナティのマスターズも棄権せざるをえなくなり、ランキングも最悪9位まで転落してしまいました。
このときに、婚約者だったブルックリン・デッカーに正直に打ち明けて相談しました。「このままタイトルをとれないで、駄目になっていくかもしれない。でも僕はもう一度トライしてみたい。それでもいいかい?」
ブルックリンはスーパモデルです。彼女のキャリアもあります。しかし一線で活躍するブルックリンはロディックの気持ちが痛いほど理解できました。「よし、やろう!」ロディックは彼女の大きな愛に支えられて、もう一度新しいコーチを迎えてやり直すことに決心したのです。
その頃、ラリー・ステファンキ(51歳、アメリカ人)は、チリの選手のフェルナンド・ゴンザレスのコーチとして、大きな成果をあげていました。しかしロディックがステファンキにアプローチしているのを知ったゴンザレスは、ステファンキにとっても大きなチャンスとなると分かっていましたので、快くステファンキをロディックに譲ったのでした。
ステファンキは選手時代のベストのランキングが35位の転々と小規模のツアーをまわるいわゆるジャーニーマンの選手でした。しかし同世代で友だちのジョン・マッケンローのコーチをし始めて以来コーチングに目覚め、カフェルニコフとマルセル・リオスの二人をNo.1にすることに成功。今では世界のコーチのベスト10に入る名コーチに数えられています。
さて、ステファンキがロディックのコーチに就任したのは2008年12月。ロディックが変わった! 約7ヶ月間に何がロディックに起こったのでしょうか?
ロディックがステファンキに会ったときに宣言しました。
「I’m all yours!」「僕は何でも言うことを聞きます!」
ステファンキはさっそく命令しました。
「それじゃ、さっそく15ポンド減らしてもらおうか。」
当時は200ポンド以上のヘヴィー級だったロディックは慌てて抗議しました。
「そんな!それは無理ですよ。僕が痩せていた21歳のときの体重なんだから。」
しかしステファンキはそしらぬ顔で言いました。
「だから君は21歳のときにUS Openで優勝できたんだよ。」
ウィンブルドン準決勝で、アンダードッグだったロディックがマレーに勝ち、決勝ではフェデラーに5セットのフルセットまで迫りました。私たちにとっては意外なロディックの活躍でしたが、ステファンキにとってはトレーニングの当然な結果だったようです。
ではどのようなトレーニングだったのでしょうか?
次回はマレー戦直後に行われたステファンキのインタービューを紹介したいと思います。
投稿者 Tennisnakama 10:30 | コメント(11)| トラックバック(0)
ますます興味深い内容になってきましたね。これでUSOでも取ったら、まさにサクセスストーリー・・・。
ステファンキコーチはいいですよね。好きですねー。
全豪の時にSFでフェデラーと対戦して0-3で負けましたけど、「ロディックってこんなプレーしたっけ?」と思いました。そして、ほぼ勝敗が決する頃、ドロップショットを打ってフェデラーが取れなかった時があったんです。その時ステファンキコーチが大喜びして、凄く嬉しそうに拍手をしてました。ロディックも恥ずかしそうに笑ったんです。その映像を見たときからステファンキコーチのファンです。(レベル的には審判はカルロス・ラモスさんが好き!くらいで)。それにしても短時間で目を見張る成果ですね。ロディックは素直なんでしょうか・・・。コナーズさんのときもミニコナーズになるなんて。「素直」も才能だと思いますが。送り出したゴンちゃんも男前な性格ですね。。。次回も楽しみです。
今回のWB決勝では、こんなにロディックが変わったとは 全く思っていなかったので、びっくりしました。 ”人間こんなにも変われるのか” と何度もつぶやきながら 見ていました (この変化が
私たちに感動を与えてくれたのだと思います。”私も私なりに努力すれば よく変われるかもしれない”というようにーー)。
ステファンキさんへの興味は尽きません。 よく偉大な選手は、よいコーチ・監督になれない といいますが、コナーズとステファンキのケースもそれにあてはまりそうですね。 軽薄なんですけど、今回
決勝でのご様子を拝見して、すっかり夢中になってしまいました。よほど、指導力があって、頭もよくて
人格もすぐれた方なんでしょうね。 あと、ゴンちゃんもすばらしいですね。
次回の記事も楽しみにしています。
話が変わって申し訳ないのですが、モンクール選手が亡くなりました。 どういった事情があるにせよ
いたわしいことです(ラファのサイトに 友の死を悼む言葉があります。こういった言葉にラファのナイーブでやさしい人格がにじみでていると感じます)。
膨大なる情報量の中から選び出し、真摯な意見を飾らずに発してくださっているtennisnakamaさんには、いつも頭が下がりっぱなしです。ありがとうございます。 twitter の方でもお世話になっていて、こちらに書き込むのは初めてですが、ちょっとドキドキ。
ロディックの態度の大人への変化には、コーチや婦人、その他いろいろの人の影響があったのでしょうね。 ただ テニス以外でもボランティア活動を活発にしている彼の、去年の年下の選手への恫喝じみた行動がまだ脳裏に残っている身としては、(今の活躍や真摯な態度があったとしても)残念でなりません。 テニス選手は互いに、いくら年下といっても(年上は勿論)人間として尊敬をもって対戦しなければならないのです。
去年のAIGオープン2008でも、初戦 負けそうになると、審判にどやしつけていた態度に、相手選手がびっくりしていたし、我々観客も唖然として見つめていたのを 思い出します。
その後kei選手に彼は、何かお話とかしたのかな~、といつも思っています。何か情報がありましたら ブログで紹介お願いします。
私自身、テニスが大好きだから、テニス選手の気持ちや心の変化までいとおしく感じてしまいます。
これからも よろしく! tennisnakamaさんの、テニスを愛しているブログを応援しています。
モンクールと正しい発音を表記していただいてありがとうございます。Montcourtはフランス語ではtの発音はしません。日本のメディアではモンコートなどと呼んでいますが間違いです。
彼のことはTwitterのほうで何度か書きましたが、ナダルのジュニア時代からのテニス仲間です。ですからナダルのショックは大きかったと思います。モンクールはちょっとした遊び心でやった賭け(数ドルの小額)が発覚して、8週間の出場禁止中でした。これはあまりにも厳しすぎるとの批判が出て、5週間に軽減されましたが、いずれにしても若輩24歳の急死は悲劇でした。
bluetti さん、コメントありがとうございます。
Twitterが盛んになって面白くなってきましたが、コメントがあちらの方に流れてしまって寂しい思いをしていたところでしたので、本当に嬉しいです。ブログの記事に相当の時間とエネルギーを費やしていますので、皆さんのコメントが励みになります。またここでいただくご意見によって次の記事へとも発展していきますので、これからもよろしくお願いしますね♪
ステファンキステキ! 正直言って、いくらステファンキでも、今のロディックを優勝させるのは無理かなと思っていましたがあともう一息でしたね。
選手の事、コーチの事、審判の素顔等等、知れば知るほどさらにテニス観戦が楽しくなりますね。 情報を頂くばかりで申し訳ないと思いつつ、これからもよろしくお願いします♪
試合は「勝つ」という意味を、グランドスラムの5セットマッチは教えてくれますね。あれほど4セットまで戦ってきても、またゼロから始まる5thセットは残酷です。あの厳しさがGSの面白さでしょうが、タイブレークなどで負けてしまった選手には特に心が痛みます。
Rafaviviさん、はじめまして。よく投稿してくださいました!テニス通のコメントが多いので敷居が高くなってしまったようです。記事の内容はテニスを知らない人でも楽しめるよう分かりやすく書いているつもりです。私のブログはテニス伝導を使命としていますので、もっと多くのテニス初心者の方々からコメントをいただけると嬉しいですね。
お久しぶりです。私はロジャーのファンなのでWimbledonはもちろんロジャーを応援してたんですが、でもロディックの事も本当に見直しましたよ!あんなに強いロディックは初めて見たし、こんなに変わる為に、この人はどれだけ努力したんだろう!?って考えると表彰式の時のつらそうな顔を見て心が痛くなりました。正直、今年の決勝は面白くなさそう、と思っていた自分に反省です。
ロディックに感動をありがとう!といいたいです。
私的にはUSオープンもロジャーに優勝して欲しいですけど、あんなに頑張ったロディックにも頑張って欲しいなあ、と思います。
ロジャーもロディックもいい奥さんに恵まれましたね。ミルカもロジャーをすごくサポートしているのが
外から見ていても伝わってきますし、ロディックの大変貌もステファンキさんの力はもちろん、奥さんの支えもあったんじゃないかなあ、と想像するんですが、、、、
若い世代の勢いに負けず、ロデックの様な中堅選手が力を伸ばすのはテニス界にとってもよい事ですね!!! USオープンが今から楽しみです♪
> ステファンキステキ!
って、語呂がいいなあと思いました。
こういうしょうもないコメントで、敷居が下がるかな?
私もテニスのことはよくわかっていない草プレイヤーですが、テニス観戦の楽しみを共有できるのは幸せなことです。tennisnakamaさんの記事も、皆さんのコメントも本当に楽しみで、生活の一部になっています。
地元のコートで一緒にテニスをやる人たちの中には、むしろWTAやATPのツアーを見ない人の方が多いんです。トッププロと自分たちとは違いすぎると感じているのでしょうか。プロに憧れる少年少女という年齢でもなくなってしまうとそうなっちゃうなんて、さみしいですよね。
余談ですが、(初めからすべて余談なのですが)昨年の冬からGaora(日本のスポーツチャンネル)を見始めたから知らないだけかもしれませんが、Gaoraではウィンブルドンのダブルスばかりを放映してくれました。日本の市井のテニスプレイヤーはダブルスをやる方が多いと思います。そのダブルスの放映が増えると、観戦面でのファンも増えるかなと期待しています。
ステファンキの記事を書き続けているので、ステファンキ・ステキ隊ができあがりそうですね。私がブログを始めたきっかけは、テニス会話ができない寂しさからでした。最初に日本のスポーツニュースを見て、全くといってよいほどテニスのニュースはなく、これではテニスの観戦人口が減ってしまうという危機感があったことも事実です。
でもテニスの情報があふれているアメリカでもTV観戦をまめにしている人は身の回りには誰もおりません。どうしてなんでしょうね。コーチの中でも選手のことを知らない人が一杯います。これでよく私たちに教えるよね、と飽きれますが。たぶん選手のことを知らないから興味が湧かないのだと思うのですが・・・という訳でできるだけ人間紹介、そこにまつわるドラマを書いていきたいと思っています。
ところでGaoraがなぜダブルスばかりを放送しているかと言えば、放送権が一番安いからだと思います。いろんなパッケージがあって、ダブルスは最低価格です。テニスチャンネルもトーナメントによっては、ダブルスのみの放送がありましたが、止めてしまいました。多分視聴率が悪かったのだと思います。最近のダブルスは雁行人になるパターンが少なくなってきて、彼らほどのパワフルなストロークを打てない私たちアマチュア・ダブルスプレーヤーにとってはあまり参考にならないのが残念です。