2009年09月13日
フットフォルトでセリーナが爆発
セリーナがまたちょっとドラマを展開してしまいましたね。ラインジャッジのフットフォルトのコールに怒りが爆発。Code Violationコード・ヴァイオレーションに触れること2回。デフォルトになって、クライスターズが勝利を得るという、誰にとっても(クライスターズ、セリーナ、そして観戦している世界のテニスファン)後味の悪い試合の結果となってしまいました。
Kim Clijsters def Serena Williams: 6-4, 7-5
杉山愛選手に贈るビデオの編集をやっていましたので、私はこの試合を全部観たわけではありませんでしたが、試合の経過は以下のようでした。
今日の試合はCode Violationを知るよい機会になりますので、一緒に説明をしていきたいと思います。
このコード・ヴァイオレーションというのは、スポーツマンにふさわしくない行為と認められた場合、コードに違反するものとしてペナルティーが課せられます。
コード・ヴァイオレーションには、アンパイアやラインジャッジをののしったり、Fxxkやその他のはしたない言葉をつかったり、サーヴに時間がかかりすぎたり、ラケットを投げつけたり、とかいろいろあります。
(1)最初のコード・ヴァイオレーションはウォーニングです。
今日のセリーナはイライラしてラケットをコートに投げつけていますので、ウォーニングを受けています。
(2)2度目のコード・ヴァイオレーションに対して、1ポイントを失います。
第2セット56でセリーナのサーヴです。スコアは1530でクライスターズがリードしています。1stサーヴをセリーナがフォルトして、2ndサーヴとなりました。この2ndサーヴを行ったときに、ラインジャッジが「フットフォルト!」と叫び、セリーナのスコアはマッチポイントの1540になってしまいました。
これでカッときたセリーナはラインジャッジに詰め寄って、言ってはいけないF言葉をつかってののしったのです。(内容は明らかにされていませんが)このセリーナの態度を見てチェアアンパイアはラインジャッジを呼び寄せ、セリーナが何を言ったのか尋ね、彼女の言った言葉がコード・ヴァイオレーションとなることを、セリーナに言い渡しました。そしてセリーナは2度目のコードヴァイオレーションを受けることになり、1ポイントをうしなって、スコアは57でクライスターズの勝ちになってしまったのです。
(3)3度目のコード・ヴァイオレーションを犯すと、今度は1ゲームを失います。ですから、セリーナがマッチポイントでなくても、もう一度ラインジャッジをののしったりすると、それで1ゲームを失ってセリーナの負けとなります。
(4)では4度目のコード・ヴァイオレーションをおかすとどうなるのでしょうか? これは程度問題でチェアアンパイアの判断に任せられ、1ゲームを失うか、デフォルトで負けを言い渡されるかのどちらかになります。
いずれにしても、このコード・ヴァイオレーションの解釈は、チェアアンパイアによってあいまいでよく問題になっています。特にサーヴは20秒以内に行わなければならないのに、ほとんどのアンパイアはウォーニングを言い渡していません。昔、ときどきナダルはウォーニングを受けていましたが。
今日のようなかたちでクライスターズが後味の悪い勝ちかたをしてしまったのは残念でした。この試合はフットフォルトなどがなくても、クライスターズが勝てた試合だった思いますので。
それにしても、セリーナのプッツンはすごかったですね。せっかくいい子のイメージアップに努力してきたセリーナも、あの逆上の仕方はまずかった。
ラインジャッジを罵倒したセリーナの態度の悪さは、誰でも批判することができますので、私はこの記事では書きませんが、この機会にフットフォルトについて考えてみたいと思います。
明らかにフットフォルトと判別できないコールは、 私はマッチポイントのような試合を決定するような重要なときには、十分な配慮がされるべきだと思います。
フットフォルトはホークアイもなく、チェアアンパイアも離れすぎていて、オーヴァールールができないので、誰も覆すことができないコールです。それだけにマッチポイントなどの勝敗が決定してしまう状況にあっては、コールされた選手に反論する余地を与えない、いってみれば死刑宣告のようなものだということをご理解いただきたいのです。
ラインコールについては、チェアアンパイアがオーヴァールールできるにも拘らず、ホークアイの開発することによって、選手が納得できる解決法が生み出されました。しかしフットフォルトには選手はまだ抗議ができません。
ラインコールの微妙さとその重みは、サッカーと比較にならないのは、テニスの場合は、ライン上を狙ったショットが多く、わずか数ミリの違いで勝敗が決定されてしまうからです。
疑わしいコールのときは「なんでこんなときに、フットフォルトのコールをするのか?」とよく解説者が疑問を投げているときがあります。
私の言いたいのは、何もマッチポイントのときは目をつぶってコールをするな、などと言っているのではありません。しかしフットフォルトとは、反論できない一方的なコールであるだけに、コールのあり方についてもっと議論されてよいと思っています。
今回のフットフォルトはcontroversial callとしてこれから議論を呼んでいくと思いますが、フットフォルトのコールが正しいのか誤りであるというのは、ジャッジを行った本人しか分からない現存のシステムは改善されるべきだと思います。ビデオのリプレーで判定できるようなシステムができるとベストだと思いますが。
それにしても、セリーナはどんな態度で記者会見にのぞむのか興味がありましたが、昔は口惜しくて泣き顔だったセリーナは、ニコニコ顔で登場。終始記者の質問にも笑顔で応答していました。メディアからすでにこの事件を面白半分にとりあげられ、叩かれているというのに、彼女の強気は半端じゃなかったです。
ラインジャッジをののしっているときのセリーナの形相と罵声はあまりにもすごくて、ラインジャッジの彼女は「殺される」と思ったのかもしれませんね。I will kill you!と言ったとか、言わなかったとか。セリーナは否定していますが、あの怒り方には殺気がただよっていました。確かに。
Kim Clijsters def Serena Williams: 6-4, 7-5
杉山愛選手に贈るビデオの編集をやっていましたので、私はこの試合を全部観たわけではありませんでしたが、試合の経過は以下のようでした。
今日の試合はCode Violationを知るよい機会になりますので、一緒に説明をしていきたいと思います。
このコード・ヴァイオレーションというのは、スポーツマンにふさわしくない行為と認められた場合、コードに違反するものとしてペナルティーが課せられます。
コード・ヴァイオレーションには、アンパイアやラインジャッジをののしったり、Fxxkやその他のはしたない言葉をつかったり、サーヴに時間がかかりすぎたり、ラケットを投げつけたり、とかいろいろあります。
(1)最初のコード・ヴァイオレーションはウォーニングです。
今日のセリーナはイライラしてラケットをコートに投げつけていますので、ウォーニングを受けています。
(2)2度目のコード・ヴァイオレーションに対して、1ポイントを失います。
第2セット56でセリーナのサーヴです。スコアは1530でクライスターズがリードしています。1stサーヴをセリーナがフォルトして、2ndサーヴとなりました。この2ndサーヴを行ったときに、ラインジャッジが「フットフォルト!」と叫び、セリーナのスコアはマッチポイントの1540になってしまいました。
これでカッときたセリーナはラインジャッジに詰め寄って、言ってはいけないF言葉をつかってののしったのです。(内容は明らかにされていませんが)このセリーナの態度を見てチェアアンパイアはラインジャッジを呼び寄せ、セリーナが何を言ったのか尋ね、彼女の言った言葉がコード・ヴァイオレーションとなることを、セリーナに言い渡しました。そしてセリーナは2度目のコードヴァイオレーションを受けることになり、1ポイントをうしなって、スコアは57でクライスターズの勝ちになってしまったのです。
(3)3度目のコード・ヴァイオレーションを犯すと、今度は1ゲームを失います。ですから、セリーナがマッチポイントでなくても、もう一度ラインジャッジをののしったりすると、それで1ゲームを失ってセリーナの負けとなります。
(4)では4度目のコード・ヴァイオレーションをおかすとどうなるのでしょうか? これは程度問題でチェアアンパイアの判断に任せられ、1ゲームを失うか、デフォルトで負けを言い渡されるかのどちらかになります。
いずれにしても、このコード・ヴァイオレーションの解釈は、チェアアンパイアによってあいまいでよく問題になっています。特にサーヴは20秒以内に行わなければならないのに、ほとんどのアンパイアはウォーニングを言い渡していません。昔、ときどきナダルはウォーニングを受けていましたが。
今日のようなかたちでクライスターズが後味の悪い勝ちかたをしてしまったのは残念でした。この試合はフットフォルトなどがなくても、クライスターズが勝てた試合だった思いますので。
それにしても、セリーナのプッツンはすごかったですね。せっかくいい子のイメージアップに努力してきたセリーナも、あの逆上の仕方はまずかった。
ラインジャッジを罵倒したセリーナの態度の悪さは、誰でも批判することができますので、私はこの記事では書きませんが、この機会にフットフォルトについて考えてみたいと思います。
明らかにフットフォルトと判別できないコールは、 私はマッチポイントのような試合を決定するような重要なときには、十分な配慮がされるべきだと思います。
フットフォルトはホークアイもなく、チェアアンパイアも離れすぎていて、オーヴァールールができないので、誰も覆すことができないコールです。それだけにマッチポイントなどの勝敗が決定してしまう状況にあっては、コールされた選手に反論する余地を与えない、いってみれば死刑宣告のようなものだということをご理解いただきたいのです。
ラインコールについては、チェアアンパイアがオーヴァールールできるにも拘らず、ホークアイの開発することによって、選手が納得できる解決法が生み出されました。しかしフットフォルトには選手はまだ抗議ができません。
ラインコールの微妙さとその重みは、サッカーと比較にならないのは、テニスの場合は、ライン上を狙ったショットが多く、わずか数ミリの違いで勝敗が決定されてしまうからです。
疑わしいコールのときは「なんでこんなときに、フットフォルトのコールをするのか?」とよく解説者が疑問を投げているときがあります。
私の言いたいのは、何もマッチポイントのときは目をつぶってコールをするな、などと言っているのではありません。しかしフットフォルトとは、反論できない一方的なコールであるだけに、コールのあり方についてもっと議論されてよいと思っています。
今回のフットフォルトはcontroversial callとしてこれから議論を呼んでいくと思いますが、フットフォルトのコールが正しいのか誤りであるというのは、ジャッジを行った本人しか分からない現存のシステムは改善されるべきだと思います。ビデオのリプレーで判定できるようなシステムができるとベストだと思いますが。
それにしても、セリーナはどんな態度で記者会見にのぞむのか興味がありましたが、昔は口惜しくて泣き顔だったセリーナは、ニコニコ顔で登場。終始記者の質問にも笑顔で応答していました。メディアからすでにこの事件を面白半分にとりあげられ、叩かれているというのに、彼女の強気は半端じゃなかったです。
ラインジャッジをののしっているときのセリーナの形相と罵声はあまりにもすごくて、ラインジャッジの彼女は「殺される」と思ったのかもしれませんね。I will kill you!と言ったとか、言わなかったとか。セリーナは否定していますが、あの怒り方には殺気がただよっていました。確かに。
投稿者 Tennisnakama 16:46 | コメント(58)| トラックバック(0)
はっきり見えない限り、フットフォルトは言わないでしょう。
日本での話ですが、公認審判の方が「基準としては、足とラインの間に隙間が見えなければフットフォルト」と言っていました。都道府県大会の決勝戦レベルの話で、ちゃんとJTAから派遣された方でした。
「明らかにフットフォルトと判別できないコールは、 私はマッチポイントのような試合を決定するような重要なときには、十分な配慮がされるべきだと思います。」
これは、マッチポイントでなければ「自信がなくても」(「疑わしい」程度でも)フットフォールトをコールしてもよい、と言っているように取れるのですが、マッチポイントと他のポイントで基準を変えることがラインパーソンに許されるのでしょうか?
そもそもラインパーソン及び審判は、確信が持てないコールはマッチポイントであろうとなかろうとしてはいけないはずです。
ポイントの重要度によって「配慮」する行為はとてもフェアだとは思えません。
しかも今回は2ndセット5-6の15-30というポイントでしたから、ラインパーソンが「配慮」してフットフォルトを取らなかったら、30-30になってセリーナがキープする確率が上がったかもしれません。当然ながら次のポイントのコードバイオレーションもなかったことでしょう。
タイブレークになったらどっちが取るか分りませんし、2ndセットを取ったらtennisnakamaさんがよくおっしゃる「モメンタムのシフト」が起こってセリーナの逆転勝利だったかもしれません。
そのような重要なポイントで、ラインパーソンの裁量によってコールを調整することが許されるとは到底思えません。
逆に重要なポイントだからこそ、きっちり自分の職務を全うするべきなのではないでしょうか。
私はUSオープンで地元アメリカのスター選手に対してもきっちり自分の役割を果たした、今回の審判は大変すばらしかったと思います。
最後に、tennisnakamaさんのご意見は、観戦する人の感想としてはアリだと思いますが、「するべき論」として問題提起されたいのなら、これは「審判は自分の目に忠実にジャッジすべきで、ポイントの重要度は考えるべきではない」しかないと思います。
これはジャッジの原則だと思うのですが。
USオープンと言えば強烈なホームアドバンテージがあり、アメリカ人選手が優遇されているという評判をいろいろなところで耳や目にしていましたが、今回の件は逆にアメリカ(というかUSオープン?それともITF?WTA?)の公平さに感心しましたよ。
1)ポイントの場面にかかわらずジャッジがコールするのを慎重にすべきか
2)ラインマンにしか判断できない問題を今後どうすべきか。
1)に関してはnetdashさんに賛成。現状のルールおよびシステムにおいてはこれしかないでしょう。tennisnakamaさんも大きな異論はないのでは?
2)のほうの問題にtennisnakamaさんの問題提起にはよりスタンスがおかれているように感じました。今後たとえばビデオシステムを取り入れていくような動きも問題提起されるもしくは議論される契機になるかもしれませんね。
個人的にはなんでもかんでも機械をいれて・・・というのは面白くない気もします。人間がジャッジするからいいとこもあるんだと信じたい部分もどこかにありますね。
本件に関しまして、記事をお書きいただきありがとうございます。本記事について、私の意見を書かせていただきます。また、私の審判に関する考え方は、前記事にコメントしてあります。
Tennisnakama様の書かれた以下の文章に絞って論じます。
「明らかにフットフォルトと判別できないコールは、 私はマッチポイントのような試合を決定するような重要なときには、十分な配慮がされるべきだと思います。」
まず、「明らかにフットフォルトと判別できない」場合、審判はフットフォルトのコールはしません。審判は明らかにフットフォルトである、と判断するからコールするのです。ですから、それ以下の文章「~十分な配慮がされるべき」の「十分な配慮」はまったく必要ありません。
つぎに「マッチポイントのような試合を決定するような重要なとき」とありますが、「重要なポイント」、とは人によっていろいろと考え方が違います。ある人にとっては「ブレークポイント」、ある人にとっては「セットポイント」、また試合展開によっても異なるでしょう。どのポイントが重要で、どのポイントで配慮すべきか、をラインパーソンの一存に任せるのは、いかがなものでしょうか?
そして「十分な配慮」の定義があいまいです。ラインパーソンがフットフォルトに関して行えることは、「コールをする」、「コールをしない」の二つしかなく、その中間のグレーゾーンはありえません。Tennisnakama様の考える、「十分な配慮」とはいったいなんでしょうか?tennisnakama様は、文中に「何もマッチポイントのときは目をつぶってコールをするな、などと言っているのではありません」と書かれています。それでは、「十分な配慮」とは、どういった行為となるのでしょうか?コールをすることなのか、それともコールをしないことなのか?
私の考えかたは、以前のコメントに書かせていただいたように、「どのポイントでも、中立的態度で、厳格に審判を行う」です。「重要なポイントだから」とか、「十分な配慮」は判定する際には必要ありません。
また、私の体験から言わせていただければ、試合中に「配慮しよう」などと頭の中で考え、そして行動する(コールをする、あるいはコールしない)余裕などありません。時速200kmのサービスがラインにかかっているか、かかっていないか、プロの速くかつ深いストロークがベースライン(サイドライン)にかかっているか、かかっていないか。ボールを集中して見る、そして判断する、それが審判としての仕事です。フットフォルトも同様です。サーバーの足元を見つめ、サービスが打たれる。そのときに靴がラインに触れたか、触れていないか、それを集中して見る。そして、フットフォルトのコールをする、あるいはコールをしない。そういった行為を続けるのです。「配慮」などという考えを持つことなどできません。
フットフォルトを判定する機械ができればよい、というTennisnakama様の意見は同意します。ただ残念ながら現状ではありません。そのような機械はないから、人の目で判断する、それが今のシステムです。また、「フットフォルトは死刑宣告」と書かれていますが、ホークアイが存在しないときは審判の判定がすべてであり、そういった意味では、「昔はすべてのショットが死刑宣告」であったかと思います(厳密に言えば、ボールマークで判断という方法はありますが)。
「フットフォルトが死刑宣告」なのはそれを判定する機械が無いからであって、「重要なポイントでは十分な配慮が必要」、という問題ではない、と私は思います。
以上、私の意見です。長文にて失礼しました。
「フットフォルトが死刑宣告」なのはそれを判定する機械が無いからであって、「重要なポイントでは十分な配慮が必要」、という問題ではない、と私は思います。
以上、私の意見です。長文にて失礼しました。
確かに今回のフットフォルトは多くの方がおっしゃっているように「微妙」な判定だったのかもしれません。でも、選手も主審も線審も観客も、あの場面に携わっていた誰もが大事な局面だと理解していたはずです。そのうえで、判断に間違いはないと思ったからこそ線審は自分の職務を全うしてコールしたのだと思います。もちろん線審も人間ですので間違う時もあるでしょうから、今後ビデオシステムの導入あるいはそれに代わる公平なジャッジ方法を取り入れる必要がありますよね。
それと、Tennisnakamaさんの感想とは真逆なのですが、記者会見に臨んだセレナの様子がとても気掛かりです。しっかりと受け答えはしていたようですが、笑顔もぎこちなく、まだ気持ちの整理ができていないままあの席に来てしゃべっていたように見えました。セレナの線審に対する態度は決して許されるものではありませんから、そのことについては本人も反省していると思います。でもマスコミは放っておかないでしょう。執拗な叩きにトップ選手としてのプライドが傷ついてしまわないか、とても心配です。
この解決方法の一つに、オバマ大統領の早とちり事件を思い出しました。
つまり、彼女は自分の態度を反省し、ラインパーソンを食事に招待し、ラケットを振り上げ威嚇した態度を陳謝する。(まだ本人は自覚していないようですね)
こういう対処が出来たら、セレナも格をぐっと上げるのでは・・・と期待します。
tennsinakama様には、此れにめげず、又 楽しい記事を一杯書いて 座布団を増やして下さい。
伺いたいのですが、フットフォルトというのは、
度々あるけれどコールされることが少ないものなのでしょうか。
テニスはどのポイントをとっても大切な1ポイントですから一概には言えませんが、
私自身、観戦していて「何でここでフットフォルトなの?」と感じるコールが何度かあり
(サフィンの試合など)、選手は重要なポイントでミスしてフットフォルトを犯してしまうものなのか・・・
と考えてしまいます。
サーブ間に時間を取りすぎていてもあまりコールされることはありませんよね。
もしそれも厳密にしっかり取っていればポイントを失うことも多いと思うのです。
では、あいまいに処理される行為と厳密に処理される行為の線引きはどこにあるのでしょうか??
セリーナの足が本当にかかっていたかどうか、誰もが確認できるようにすべきですよね。
それができれば、セリーナもあんなに怒らなかったと思います。
セリーナのインタヴューのユーモアや周囲に配慮したコメントにいつも感心していたので、
今回の1件がそんなに騒ぎにならずに収まってくれると良いな~と思っています。
本人はもちろん冷静になれば反省するでしょうし、すでに試合に負けるということで
罰は受けているのですから。。長文失礼致しました。
素人の僕も一言。
ホークアイも全てのコートにもある訳ではないんですよね?
やはり多くは審判や線審の判断に頼るしかないのかなと思います。
本人達はプロ意識をもってやってるでしょうから・・
改善の余地はあると思いますが、
全てのコートを公平にしないとまずいのではと思います。
「現状に問題があれば改善する努力をする」これは私の基本姿勢です。「選手名を正しく呼ぼう」という運動も、ここを出発点としています。今回もフットフォルトのコールのシステムに改善の余地があるなら改善していこうというのが私のスタンスです。ホークアイの導入に関しても、賛否両論がありました。反対していたフェデラーも最近はそのメリットを活用しています。ホークアイのメリットは、機械の判定により議論の余地がなくなったことによって、選手の気持ちに区切りをつけることができ、テニスに集中できることができるという点です。
意見はそれぞれ違って違って当然だとおもいます。自分と違った意見を読むと相手の意見が間違いだと決めたくなるのは自然なことだと思います。コメントを書いていただく方も、それぞれのご自身の経験に基づいて貴重なご意見をいただきました。違った意見に聞く耳をもつという態度が大切なのであって、ゴリ押しして自分の意見を押し通すのではなく、このように冷静に意見の違いを交換することができてよかったと思います
今まで一度も議論されなかったフットフォルトの件について、ビデオの導入などについても考える機会を皆でもてたことは、今回の記事の意味はあったかと思います。
どのラインコールでも、もちろん差別があってはならないものだと思います。特にフットフォルトではチャレンジシステムがないのですから。しかし現実にはそれにともなって生じるconsequenceに大きな違いがあることも事実です。
エナンがモレーズモと全仏の決勝で、途中で棄権してしまったことによって大きな波紋を投げかけました。どの試合でも区別することなく、選手はプレーするべきだ。これは正論です。彼女の意見は、自分が完全な状態でプレーできなかったのだから、リタイアした。しかし高いチケットを払っている観客にとっては、5割の力でもプレーするべきだった、ということになります。これが初戦であれば、これほど取り沙汰されることもなかったのでほうが、GSの決勝だっただけに彼女のリタイアが批判されました。
ラインジャッジに差別があってはならない。たとえ予選のときの試合でも、GSの決勝のときのマッチポイントでも同じでなくてはならない。これは正論です。しかしそのコールによって生まれてくるconnsequenceは大きく違ってきます。コールの重みが違ってくるからと言って、責任回避をするようなコール(ラインを踏んでいるにもかかわらずコールしない)は絶対あってはならないと思いますが、現実には正論だけでは片付けられない、むずかしさがあると思います。
以前wowwowで日本人のラインパーソンをしている方の番組を見ました。彼らはどれだけ正確にジャッジ出来るかで、ランク分けされるそうで、そのグレードが高くないと、重要な試合(例えばセンターコートの試合であったり、決勝であったり)に選ばれないと。だから、彼らは常に誇りを持って ジャッジしていると。 だから判定に関してはラインパーソンさんが正しいのだと思います。
mitoさんが言うようにセレナの会見の様子は、整理がつかないで、そんな言葉を発してしまった自分に動揺し傷ついてるように見えました。スポーツ選手は強ければ強い程、精神論も求められますよね。早く(必要なら謝罪をして)決着をつけて、テニスに打ち込めるようになって欲しいです。
とは全くいえないと思います(それが レベルの高いテニスの醍醐味と思います)。また、コールをするに ”十分な配慮がされるべき” ポイントがあるということがよくわかりませんね。
前記事で ゛ふつうの時とマッチポイント” を分けておられますが、試合の進み具合によってジャッジが変わるのかーー十分な配慮とはなんなのか、反則をしていてもコールしないことなのかーー??
私は、前記事と今回のalpha roadさんのご意見に全面的に賛同致します。
それから、この試合を実際観戦していたお客さんたちに思いを馳せると、やっとのことでチケットを手に入れたひともいるでしょう、わざわざ遠いところから観に来た人もいるでしょう、試合日時が変更になったあとスケジュールを繰り合わせて それでも楽しみに夜出かけていった人もいるでしょう、それがこんな終わり方となってはどんな気持ちで戻っていったのかなあと思います。私でしたらがっくりです。これは線審の問題ではなく、セリナの問題です。 "セリナの態度の悪さは 誰でも批判できる”
ようなことかもしれないですが、それでも私は ”自分でお金を払い 楽しみにして足を運んだお客さんたちをがっかりさせたプロ精神のなさには 失望した”と強調致したく存じます。
セリーナにあの場面でフットフォールトの声が出たことには特に異論はないのですが、
試合を見てるとフットフォルトのコールがされる基準については
どうもあいまいなイメージがあります。。
フットフォルトをとられる選手というのは
だいたい決まってるような気がしますし、
(サーブ時のステップである程度見当はつきますが)
ジャッジについても、たぶん何度かフットフォールトっぽいアクションが
見受けられた場合は、それ以降のポイントでシビアに見る…というような感じで
対応してるんだろうなあという雰囲気をなんとなく感じます。
もしそうなのであれば、サーブで打った球がどこに落ちたか、というフォルトとは
まったく違って、ゆらぎの多い判定といえるのではないかと。。
フットフォルトはどんな形であれば絶対フットフォルト!と
100%判別できるように機械的に判断されるようにしたほうが
選手にとってもいいのではと思います。
ただ、打つ前の時点で地面についている足がラインに触れる、
もしくは越えていたかどうか、という判定ですよね?
そうなると機械を使って判断するのは非常に難しそうですが。。。
私がやっぱりセリーナは強いと言ったのは、セリーナを肯定しているのではなく、記者会見でセリーナが一言「自分の行動は冷静さをかくものだった」といえないところがセリーナであって、いつまでも彼女が批判の対象になるのだと思います。まるで現役のマッケンローの女性版をみているような気がしました。
今回の記事は、私はとっても有意義な議論になっていると思います。
私は、フットフォルトはどんなスポーツでもあるバイオレーションだと思います。
ベースボール、バスケット、サッカー、ボクシング....そのスポーツでは基本的な(または、紳士的な)ルールであるが故に、我々が、もしくは時としてプレイヤーも見過ごすか、もしくはそのゲームのモメンタムとしてほんの数ミリ、数センチの身体誤差として現れるバイオレーションではないでしょうか。
現在のホークアイ・システムは有効です。
しかし、これを全てには配置できません。
そうだとしたら、やはりジャッジは神であるという原則に従うのがスポーツの公理だと思います。一人一人のジャッジの質は大会の大きさでも違うでしょうが、GSであるこの場面でウィリアムズは一度ジャッジされた非紳士的行為の重さを知るべきではなかったのでしょうか。
自分のコートのマークは公正に、また疑わしきは相手の利益に、
セリーナの態度については記事で書かなかったのは、私はフットフォルトの問題を提議したかったので、彼女の選手としてのあり方とはテーマが違いますので、ここでメンションするのを避けました。しかし当然のことながら、どんなコールを受けても、スポーツ選手として、どなったり、威喝したり、誹謗するような言葉使いをラインジャッジにしてはならないのは当然なことで、セリーナは自分のとった態度に対して「謝罪する」するべきだと思います。しかも子供たちのローモデルとして人気のある選手なだけに、一日も早くメディアに、自分の態度が誤っていたことを認め、お詫びのコメントを入れれば、傷の回復も早いとおもうのですが。
私が彼女らしい強気といったのは、彼女の気質から多分謝罪はしないだろうという私の予感です。
皆、知っています。解説者が何度も言っていましたから。
それにフットフォルトのコールがされたのは、マッチポイントではありません。
これも何名かの方がコメントで書いていらっしゃいます。
tennisnakamaさんのブログは、いつも楽しく拝見させていただいていますがセリーナだけではなくご自信も誤った記事を書いたことについては、素直に認める気持ちも大事だと思います。また「自分と違った意見を読むと相手の意見が間違いだと決めたくなるのは自然なことだと思います。」一番そう思っているのは、ご自信なんじゃないかな、という感じがします。
名前を正しく呼ぶ問題についても「アメリカ人の読み方が正しい」と聞こえてなりませんし。
彼女はラインパーソンに向かって、こう罵倒したんです。この罵倒は、ひど過ぎます。スポーツマンシップにかけた行動です。非常に、残念な気持ちでいます。最初は、観客に野次られて、怒っていると思ったのですが、そうじゃなかったんですよね。
コメント欄でおっしゃっている「正論」ですが、これを言ってしまってはだめでしょう?
ジャッジは判断を委ねられている立場にあるわけですから、その判断に「その後の影響」など考えながらジャッジしては何の為のルールなのかわからなくなります。「正論」などという言葉を使わなければならない内容のことはここでは何もありません。インかアウトか、踏んでるか踏んでないかということにに、「正論だけでは片付けられない難しさ」など全くありません。
セリーナのとった行動についてですが、ラインジャッジとの言語の壁があったとしても、セリーナのあのどなりちらす態度はよくないですね。あの行動で彼女は罰金90万円を課されました。そしてこれからきびしい取り調べがはじまり、セリーナの言ったことがCode of Conductに違反するようなひどい内容であれば、彼女は出場停止処分を受ける可能性も出てきました。
セリーナは「ラインジャッジの不公平なジャッジ対して、冷静さを欠いた態度をとったことを反省している」という声明文を発表しましたが、ラインジャッジに対しては謝る文章はありません。この彼女のこの態度にたいして、メディアは厳しい批判をしています。
このセリーナのかたくなな態度は私が予想したとおりで、少しくらいの出場停止処分であれば、謝るつもりはないのじゃないかと思います。
「ゲームを作る」というコンセプトがあることも大事だと思います。
あの場面でのコールをするにあたって、
「その後の影響を考えて…」という言葉の響きが良くないだけであって、
状況を理解しているが故におこる心理的な影響というものは
どのジャッジにも起こりえると思います。
今回の事態はレフェリーや主審にとってもきわめて難しいものだったと思います。
主審とその他の線審の間にはどういった事前のコミュニケーションがあるんでしょうか?
例えばジャパンオープンで主審が線審をほとんど当てにしなくなっていたり、
いろいろ調整してる様子が伺えますが。。
あと、フットフォルトは唯一(ではないかもしれませんが)
主審がオーバールールすることがほとんど不可能な場面ですよね?
柔道の判定…とはいきませんが
左右二人にフットフォルトのジャッジを置いて、
二人ともフットフォルトとみなした場合のみフォルトにする、とか
そういうこともありかと思います。
私はエナンのファンです。当時エナン情報を探していてこちらに行き着きました。その数ヵ月後に電撃引退してしまいましたが…。
今回のセリーナの態度は本当に残念でした。いろいろな意見が交わされるのは当然だと思います。ですがエナンがモーレスモとの全豪決勝でリタイアした件と今回の事は全く違うでしょ!?…と思いコメントしたくなりました。何かにつけこの決勝でのリタイアを取り沙汰されてしまいますが、その後の彼女は体を鍛えて強くなりリタイアする事もなかった様に思います。あの時メディアに叩かれ批判された教訓から涙ぐましい努力で世界一になりすばらしいテニスをファンに見せてくれたと思っています。だからあの決勝の事を言われるたびファンとしては悲しいです。tennisnakamaさんのブログはたくさんのテニスファンが読んでいます。そしてそれぞれ応援する選手も違い、いろんな考え方があります。話がそれてしまい失礼しました。
今回のフォットフォルトの件でも、ブログのむずかしさを思い知らされています。どうしてもテーマでないところでコメントされてしまうようで、議論をしたくてもできない。これは私の表現に問題があるようなので、このまま続けていく価値があるのかどうか。今までは続けることに意味があると思っていましたが、これも再検討です。
でも、「選手名を正しく呼ぼう」をさけぶのは、どうかと思います。あなたのように英語横文字に、慣れていない人にとって新聞表記が悪いとは思えません。ややこしいカタカナはかえって分かりにくいのではないでしょうか。発音する時正しくされるのはいいことは、相手にとっても良いことでしょう。
今回の、このフットフォルトにはじまった、議論もルールをはずれた意見ともとれる文章に問題ありだと思います。
せっかく、楽しいブログですから、もう少し客観的に書かれるといいかな~と、思いました。
私はtennisnakamaさんのブログはとても面白く、内容も興味深いものが多いと感じています。
今回のセリーナのフットフォルトのコールの件(今後への問題提起)も、前回の選手名をなるべく正しく呼ぼう、というご意見もとても興味深いことですよ。
日本国内にいると、海外からのご意見やコメントについ反感を持つ方が多いことは事実ですが(英語へのコンプレックスでしょうか)、このブログの読者はもっとそういった意見や違いに関心を持ち、相手を尊重すべきだと思います。読者からの揚げ足取りは見苦しい(勿論そうではない建設的なご意見もあるのでそれは素晴らしい)。
ブログはあくまでも個人の意見の場です。そこに他者が意見を交わしてより一層深い内容になるのですから、このままの形で、tennisnakamaさんの主観を主体に書いて欲しいと思います。読者の文句にいちいち惑わされなくてもいいように思いますよ。楽しい情報を楽しみにしております。
tennisnakamaさんは、自分が正しいとは書いてなく、一意見だと強調している
のに対して、コメント欄の人たちの何人かは、非を認めさせたいというニュアンス
が出すぎてると思いますよ。
単純に私は●●だと思いました、でよいですよ。
tennisnakamaさんもあまりコメント付けで疲弊されないことを祈っています。
南半球のあにさま の意見と同じですが、
新聞じゃないんだから、主観中心で楽しく書けばいいのではないかと思います。
今後も連載楽しみにしています。
なんか、小学校の職員室でつるしあげにされているみたいじゃないかい?。フットフォルトを宣言することは正しいんだあ!!って、テニスやってりゃ5歳の子でもわかるよ。
そんなことを言いたくてみんな時間使ってコメントしてるのか?
副音声で現地の中継聞いていると昔から事あるごとに必ずマッケンローはいつもなんでこんな場面でフットフォルトをコールするんだ!って毎回怒りまくっているじゃないの、その怒り心頭の理由や説明は現地の人(テレビを見ているアメリカ人視聴者全員)は当然聞いているからわかるだろうけど、普通のテニス好きのまじめな(とくにこういうまじめなブログをしっかり読んでいてコメントまで残すような)日本人テニス愛好家はその辺のことは知らんですよ。
だから、悪いことは悪いといってるじゃないか!今度は何を言い始めたんだ、みたいになってしまっているな。向かう方向が決まった時は強いからな、右折禁止でもぐいぐい入っていくようなブロガーたちは。
私を含めて英語分からない普通の日本人に、前出のマッケンロー等の発言の意味を説明して頂けたら少しは理解できるかもと思いますが。どうかな?
目が覚めましたよ!インジャリー・タイムアウトのときもそうでしたが、日本では取り上げられていないテーマになると、総攻撃にあいます。それがどうしても理解できなかった。どうして冷静に意見交換ができないのか? フットコールの重要性については、おっしゃる通り、こちらの解説者はよく口にしていることなので、問題となっていることは常識なのですが、こちらの常識は日本の常識でない。だからいくら説明しても分かってもらえない。しかも私の説明の仕方がうまくない。しかしこれほど抵抗を受けてまで、書く意味があるのか?(楽しくないという意味で)と悩んでいます。とてもよい勉強になりました。ありがとうございました。
ほんと懲りないねえw
フットフォルトのコールの重要性ってなんでしょう? おそらく「フットフォルトのコールに対してはプレーヤーがチャレンジできないから慎重に、、」ということなのでしょうけれど、Alphaさんがコメントされているように「チャレンジ」というものはホークアイが出てきて初めて可能になったことなのです。ホークアイの設置されていないコートではまだラインジャッジのすべてのコールに対して選手の抗議が受け入れられることはありませんよね。
tennisnakamaさんのブログ本文の中の後半の段落「私の言いたいのは、、、」の部分を読み返すと「選手がチャレンジできない一方的なコールだから議論の余地がある」。あなたが問題提起されていることに対して皆さんが意見を述べているのがこのコメント欄で、反対意見が出ると「攻撃されている」と言うのはおかしな話です。コメント欄のnetdash さん、Alpha Roadさん、のご意見に対してはどう思われていますか?
日本人の気質だねさんのおっしゃっている、「現地の人はマッケンローの解説を聞いているからわかるだろう」と日本との比較をされていますが、これまためちゃくちゃな比較なわけで、プレーヤー視点で話している彼の発言の意味など考慮してジャッジしていたのではルールもなにもなくなってしまいます。このことに日本も外国も関係ありません。
tennisnakamaさんのスタンスは「なにもそんな大切な場面でフットフォルトなんてどうでもいいようなエラーをコールをするなよ!?」なんだと思います。ただそれを表だって言えていないためにどっちつかずの文章になってしまったのでしょうね。
最後に… こちらの常識が日本の常識でないから説明しても判って貰えないとおっしゃっていますが、フットフォルトの重要性のアメリカの常識とは何なのですか? 試合の流れを見てラインジャッジはコールすべきだ、、ということですか? tennisnakamaさんの思われている日本の常識というものも含めて伺わせてください。
でも、あの時見ていて「なんでこんな時フットフォルトォォォ~」と思ってしまいました。
確かにジャッジは厳正であるべきものだと思います。ですからあのコールをされた方に対するセリーナの暴言は問題外だと思います。でも、とても良い試合だったので、その後望めるであろうパフォーマンスに比べて、「ここでフットフォルト取ることはないじゃない」と思ったのです。もちろんセリーナが冷静に試合をつづければよかったのは当然です。しかし、ジャッジするのも、プレーするもの人間のすることですもの幅があってもいいのかなと思ってしまいました。ジャッジに幅なんて言ったら怒られそうで怖い・・・・・でもそれがダメ!!というのならやはり機械にお願いするしかないのかも。
大半の人はkeiさん(誤解の無い様に。非難ではない。この人は普通の良い人なんだろうなと理解してます。)のように、ここまで長い間に複数の人間が多様な意見を出してそれを自分の脳で咀嚼した結果が・・・単に上書きしたやはり振り出しに戻るような意見を平気で出して来るんだよ。大勢の人が。(俺もだけどな)。無駄だ。
発表されたように、今後はコメント削除しておくのが正解だな。
あんな連中の相手するのはボランティアでも出来ないぞ、普通は。もうやめてしまおう。
長い間ありがとう。
もしも、このブログが無くなったらそのときはじめて分かるよ。
その後何年してもあれ以上のものは出てこなかったって。
残念だけどな。
そこへ冒頭のコメントでnetdash氏が、フットフォルトのコールにミスジャッジはあり得ない旨を断言なさったので、議論が噛み合わなくなってしまったように感じました。
皆さま良くご存知のとおり論理的思考に大変秀でていらっしゃるnetdash氏が、議論の大前提に気付かれていないのは、極度の睡眠不足によるものではないかとお察しします。
デルポ優勝で全米オープンも終わったことですし、これで皆さまぐっすり眠れて平常心に戻られることを願っております。
この議論には、あのフットフォルトが正しかったかどうかという論点は含まれていませんし、それについては私は言及していませんよ。
実際にミスジャッジだったかどうかではなくて、コールするときに自信がない、ということは基本的にないし、あってはならないということです。
もちろん人間だから間違うこともあるでしょうし、迷うこともあるでしょうね。でもフットフォルトのコールは、必ず判定してコールしなければならないインアウトのコールとは異なります。
フットフォルトをコールしたということは、ラインパーソンの眼にははっきりと見えたということだと思います。
繰り返しますが、それが本当にフットフォルトだったかどうかは、ビデオ判定でもしない限りわからないでしょうね。
おそらく、お姉さん達、USTAの上役達にプレッシャーを与えられて、彼女自身も考え直したのだと思います。これは、素晴らしいことです。私は個人的にヴィナースのファンですが、誰にでも間違いがあって、それを見つめ直し、反省して、成長して行くのが大人だと思うのです。
昨日はフェデラーが残念なことに優勝できませんでしたが、デルポトロは素晴らしかった。そして、昨年私達は彼に会っているのですが、たいへんハートのある青年でした。このプログで、彼が時間を見つけては、ラテン系の子供達と交流を持っている事を読み、深く関心させられました。あのような情報もこのプログを読まなければ、理解出来なかった事。Tennisnakamaさん、本当にお疲れさまです。これからも、子供達(日本語を読めませんが、楽しみにしています。)と一緒にこのプログを応援しています。
私達はデルポトロにusopenで会いました。まだ、彼を知っている人間は少なかったけど、息子が彼を知っていて、彼が『デルポトロ』って周囲に説明した時に、はにかんで嬉しそうにしていました。チリック、デルポトロ、この2人の選手の先行きが楽しみです。
tennisnakamaさんのずるいところは、誰が読んでも明らかに「試合の流れを見つつ状況に応じてジャッジをするべき」というニュアンスのことを述べつつ、「私の言いたいことは、目をつぶってコールするなと言っているのではなく、、、」や「正論では収まらない」などとと曖昧に論点をはぐらかしているところです。つまり僕が以前のコメントに残したように「なにもそんな大切な場面でフットフォルトなんてどうでもいいようなエラーをコールをするなよ!?」と言ってしまえばいいものを、それを言ってしまうとtennisunakamaさんの「フェア、公正、一本気」を信条としているご自分のスタイルを壊してしまうから言えなかったのだと思います。
コメント欄にもっともな意見が書き込まれてもそれに対しては、ほぼスルーされ、「コミュニケーションの難しさ」「アメリカと日本の常識の違い」などと述べ、しまいには「ここは私の意見を言うところで討論の場ではない」と言ってしまう有様。また、「意見の違いを認めない環境になってきた」とも述べているのですが、一番narrow mindedなのはtennisnakamaさん当人でしょう。間違った内容を訂正する際にも「解説者がそう言っていたから」と最後に付け加えるあたり、相当の負けず嫌いの性格の方とも受け取れます。
tennisnakamaさんのこの巧妙な「ずるさ」が僕にはとても嫌なことでして、こうやって何度も書き込みをしてしまっているわけです。個人のブログとは言え、公の場で自分の意見、主張を流す時点である程度の責任は生まれてきます。ノートに日記を書いているのとは違うわけです。自分の意見に同調するコメントと同じくらい、異論を発する相手にも真っ向から相対する姿勢がないのでしたら自己顕示欲にまかせただけの今回のような問題提起などするべきではありません。
夫々 厳密に区別・分別して議論すべき事と思います。(難しい事ですがーー)
A)フットフォルト自体に関して;
1:宣告された後のセリナの態度に関して
2:フットフォルトを実際に犯したかどうかの
客観的判定の難しさについて と 今後の改善方法
(ホークアイ導入云々) (続)
3:大試合の大事な場面で、フットフォルトを宣告すべきかどうか?
(本音では フットフォルトなんて マイナーな?反則の宣告で
好試合に水を注すなよな!)
4:日本の捉え方では どうなのか? 米国では どうなのか?
此れも 日本人テニスプレーヤー全員、米国のプレーヤー全員に
アンケートを採った訳ではないので、所詮「自分はこう思う・感じる」と
いう話になる。
5:本件に関するTENNISNAKAMAさんの対応に関して。
6:今迄のTENNISNAKAMAさんのブログに対する好意的評価。
小生の結論を申し述べれば;
1:セリナ X (此れは 多分 皆様も同意見だと思います)
2:客観的判定は難しいのでしょう。
3:気持ちは分かるが、やはりRULE IS RULE
4:自分はこう思う とは言えるが、日本人は とか 米国では とかの
総称で議論するのは 正しくない。
5:本件に関してのTENNISNAKAMAさんの対応・反応は 大変
おかしい と 思う。
6:従来までのTENNISNAKAMAさんのブログには 大変
感謝しているし、好感を持っているし、是非 続けて頂き度い。
以上
上記 ”読者の揚げ足取り”とか、”職員室のつるしあげ”とかおだやかならぬことを言われる方もありますが、殆ど皆様 冷静にご自分の意見を述べられております。そもそも 前記事において tennisnakamaさんが、
”セリーナの態度は悪いですが、命をかけて戦っているときに、しかもあのマッチポイントがかかっているときに、普通はフットフォルトはしないものです ” (続)
” 私はマッチポイントにフットフォルトをコールしてはいけないとは言っておりません。あきらかにラインをクロスしたと判断できないような、微妙なフットフォルトのコールはマッチポイントでは避けた方がよいと言っているだけです。”
ということを書かれたことから、alpha roadさんはじめ何人かの方が疑問がある、反論がある
ということで、この議論がはじまりました。要は、試合のなかで ポイントの重要さによってはらわれるべきとおっしゃるコールの十分な配慮とはなんなのですか? ということです。
私は、マッケンローの解説も聞く機会もありませんし、またあったとしても私の英語力では聞き取れないでしょう。 マッケンローの解説を聞いているなら アメリカの常識とやらがもてて、今回のtennisnnakamaさんの議論に違和感なく同調できるんですか?
私は、例えば、 alpha road さん、 netdashさん、そして、kei さんがおっしゃっている内容には
得心がいくのです。 tennisnakamaさんは、自由な議論を尊ばれているのなら、どうして彼らが言われていることに (私も同じような内容を書きましたけど)、具体的に反論なさらないんでしょうか?
ブログに対する、疑問・反論のコメントがあると、”自由な議論の場がない” ということになるわけでは
ありませんよね。
私は、何人かの人にtennnisnakamaさんのブログを紹介したのですが、今回の展開、そして、反論・異論が少々でてきたくらいで、コメント欄閉鎖をいう狭量さをみてくると、大いに残念だといわざるを得ません( 今までなにも書くつもりはなかったのですが、keiさんに触発されてしたためました。長くなってしまい失礼しました)。
tennisnakamaさん、このコメント欄おかしくなってきてるから閉めたら?
月曜日に私達が通っているテニスクラブで黒人のメンバーとクラブのスタッフが、セリーナの行動について口論が始まり、殺し合いになるのでは、、、、、、って思った程激しいやりとりとなりました。これは、ジョーダンはなく、本当の事です。私は恐ろしくって逃げ去りました。でも、セリーナが反省した事なので、この暴言発言は落ち着きそうです。フットフォルトについては、やはり、審判の方々に質問しましたが、難しいものがあるとのことです。
フットフォルトのコールをした線審の方は現行ルールの中で最大限自分の使命を果たされたのであって、ひとつも非難の対象にはなりません。
一方、セリーナの態度が非難の対象になるのは当然です。
この2点については、大方異論はないものと思います。
では、フットフォルトのコールについてはどうなのか。
感情によるジャッジのさじ加減はあってはならないと思います。それは不公平さを生みますからあり得ません。
でも状況によってジャッジが変わるというのは、それがきちんとしたルールになっていれば可能なのではないですか。その状況は誰でも遭遇する可能性があるのだから、不公平ではないと思います。
もともとスポーツのルールと言うのは人間がそのスポーツを安全にかつ楽しむために作られているものであるとするなら、そのための変更の議論がされることはひとつもおかしな事ではないと思います。
この件がきっかけとなり選手たちにも納得できる方法が見出せたら、セリーナの行動も無駄ではなかったのかも。もともと選手の間においては不満の種だった案件なのかも知れませんから。
私が思うに、今回この記事で書かれたTennisnakamaさんの「十分な配慮がされるべき」の「配慮」という言葉の選択が間違っていたと思います。日本人は配慮が好きですけどスポーツのルールには不釣り合いな言葉ですものね。
セリーナのフットフォルトをコールした線審氏は、きっと有明コロシアムのジャパンオープン決勝で圭くんの足がラインに掛かったとしても、迷わずフットフォルトをコールするでしょうね。
そんな当たり前のことが、当たり前に出来ていない・・・
全米オープン期間中、審判に求められる最も重要な資質に欠けるのではないかと思われるジャッジが相次いでいた、そんな中、高い資質を示してくれた、かの線審氏のコールに対して、疑問の声が上がったのを、見過ごせなかったのですね・・・
エンターテインメント志向、娯楽性重視のプロスポーツの方向性の中で、多数の観客を満足させるための配慮が、行き過ぎたご都合主義に陥っていないか?
大変考えさせられる、有意義な議論であったと思います。
どうもありがとうございました。