2009年09月17日
デルポトロのすべて
フアンマーティン・デルポトロJuan Martin Del Potroの優勝を祝って、彼の知られていない素顔をここで紹介したいと思います。
まずは18歳までの彼です。
アルジェンチンは今や経済はどん底にあえぎ、ワールドカップ出場も見逃す危険あり、と惨憺たる状況にあって、落ち込だ国民の気持ちを明るくしてくれたのは、デルポトロのUS Openの優勝でした。今やアルジェンチンのヒーローとなったデルポ。帰国した彼は、とりまくメディアの対応だけでなく、かぎりなく開かれる祝賀会に出席せねばならず、ほとんど寝る時間がないと嬉しい悲鳴をあげています。
9月23日でデルポは21歳となります。アメリカでは20歳のお祝いよりも21歳のお祝いの方が大切です。なぜ? それは堂々とお酒が飲める年齢。この21歳は遅すぎますが、16歳のスイスは早すぎますね。(このスイスの情報は夫の情報ですので古いかもしれません)
彼のお父さんは獣医、お母さんは学校の先生。兄弟はsister(姉か妹)が一人います。いわゆる普通の家庭に育った(両親がテニスコーチでない)普通の子供時代を過ごしました。
子供のときは、サッカーもやっていて(だからあのデカイ体格でフットワークが抜群によい)、自分はサッカーをやるものだと思っていたようです。QFでチリッチと対戦したときに、第1セットを落としたデルポに記者が尋ねました。
「昨夜のサッカーでアルジェンチンが負けたことを考えてたんじゃないの?」
「それはないけど、僕は小さいときサッカーの方がうまかったんだ。なんでこんなところにいるんだろうね?(笑)」
本当だったらサッカーチームでプレーしていたかもという冗談ですが、なかなかユーモアがありますね。
7歳でテニスを始めたデルポは、最初はテニスよりも皆とサッカーをしたくて仕方なかったと言っています。でも彼の気持ちを変えたのは「君は将来すごい選手になれる!」というコーチの言葉だったとか。
デルポはあの体格に似合わず、ソフトなしゃべり方なので、「いつもそんな静かな感じで怒鳴ることなんてあるの?」という質問を記者がしていました。「もちろんだよ。ロッカールームでは大きな声で人に言えないようなことをやってるよ。」昨年のデ杯決勝でスペインに負けたとき、ナルバンディアンと大げんかをやったのはロッカールーム。感情をあまりむき出しにしないデルポのように見えますが、子供時代は結構感情が激しかったときいています。フェデラーと同じように、訓練で押さえる訓練をしてきたのでしょうね。
母国アルジェンチンに帰ってインターヴュー攻めにあってますが、彼のゴールがこの3日間でどんどん上がってきたのが面白いですね。きっと何度も同じ質問をされ、「君はヒーローだ」といわれて、デルポ自身もあまり謙遜できなくなってきたのか、自信が湧き出てきたのか。
優勝時のデルポのゴール:
「できればトップ4の仲間入りをしたい。でも今の自分はまだ彼らのレベルではない。」
アルジェンチンに帰国してからのデルポのゴール:
「僕の夢だったUS Openのタイトルを取ったから、これからの夢はNo.1になること。でもこれはいつ実現できるか分からないけれど。」
5位のデルポの急進化で危なくなってきたのは4位のジョコヴィッチです。
今回の優勝によって、デルポは正式にロンドンのマスターズカップに招待されることになりました。昨年はジョコヴィッチが優勝して1300ポイントも取得していますので、タイトルを保持しなければポイントを失ってしまいます。一方デルポが活躍すればランキングが逆転する可能性は十分あります。
3位に落ちたマレーも油断できません。チリッチに一方的に負けてしまったマレーに対して、イギリスは「おいおい大丈夫かい?」といった疑問を抱くトーンが多くなっていますが、ランキング上げていくプレッシャーより、下げられないプレッシャーの方が大変。あの試合の後遺症が長引かなければよいのですが。
さてここで、マレーとデルポの喧嘩はあまりにも有名ですので、知らない方のためにここでご紹介したいと思います。昨年のローママスターズの時です。
ことの発端は、デルポがマレーの体に向けて打ったショットに気分を害したマレーが、チェンジオーヴァーのときに、デルポに謝れと食ってかかりました。それを受けてデルポは、You and your mother are always the same.と反論したのです。
これはどういうことかと言いますと、マレーのお母さんはコーチでもあり、客席からいつもワーワーと大声で応援するので有名です。この時もうるさかったのでイライラしていたのか、君もお母さんに似てうるさいね、と言いたかったのだと思います。
この言葉に逆上したマレーは、「僕を侮辱するのはいいが、母を侮辱するのは許せない」と食ってかかった一抹が以下のビデオです。
これは二人ともいけません。まずマレーは、ボディーショットは正当なショットの一つで違反しておりませんので、デルポに謝罪は強要できません。
またデルポはマレーの母親を持ち出して反論するのはルール違反です。
以下が彼らの口論のビデオです。
もしデルポが母親のことをうるさいと思うのなら、フェデラーのように直接文句を言うべきです。以下はフェデラーがジョコヴィッチの両親に黙れBe quiet!と怒鳴った一シーンです。
まだまだいろいろデルポの話(ガールフレンドとかヘアスタイルとか)はありますが、またの機会にしましょう。これから彼がどのように成長していくのか楽しみですね。
(訂正)最初のデルポのビデオは17歳までなのか18歳までなのかがはっきりしませんので、18歳までのビデオと書き直しました。
(追記)自称Juan Martin Del Potroという人物がTwittterで私をフォローし始めました。一体彼は何者なのか? 今のところ自称デルポと名乗るTwitterは二つありすが、多分どちらもファンだと思いますが、面白いので私も彼らをフォローすることにしました。でも全部スペイン語。途中でスペイン語の学校を辞めないでしっかり続けておくべきだったと後悔。
まずは18歳までの彼です。
アルジェンチンは今や経済はどん底にあえぎ、ワールドカップ出場も見逃す危険あり、と惨憺たる状況にあって、落ち込だ国民の気持ちを明るくしてくれたのは、デルポトロのUS Openの優勝でした。今やアルジェンチンのヒーローとなったデルポ。帰国した彼は、とりまくメディアの対応だけでなく、かぎりなく開かれる祝賀会に出席せねばならず、ほとんど寝る時間がないと嬉しい悲鳴をあげています。
9月23日でデルポは21歳となります。アメリカでは20歳のお祝いよりも21歳のお祝いの方が大切です。なぜ? それは堂々とお酒が飲める年齢。この21歳は遅すぎますが、16歳のスイスは早すぎますね。(このスイスの情報は夫の情報ですので古いかもしれません)
彼のお父さんは獣医、お母さんは学校の先生。兄弟はsister(姉か妹)が一人います。いわゆる普通の家庭に育った(両親がテニスコーチでない)普通の子供時代を過ごしました。
子供のときは、サッカーもやっていて(だからあのデカイ体格でフットワークが抜群によい)、自分はサッカーをやるものだと思っていたようです。QFでチリッチと対戦したときに、第1セットを落としたデルポに記者が尋ねました。
「昨夜のサッカーでアルジェンチンが負けたことを考えてたんじゃないの?」
「それはないけど、僕は小さいときサッカーの方がうまかったんだ。なんでこんなところにいるんだろうね?(笑)」
本当だったらサッカーチームでプレーしていたかもという冗談ですが、なかなかユーモアがありますね。
7歳でテニスを始めたデルポは、最初はテニスよりも皆とサッカーをしたくて仕方なかったと言っています。でも彼の気持ちを変えたのは「君は将来すごい選手になれる!」というコーチの言葉だったとか。
デルポはあの体格に似合わず、ソフトなしゃべり方なので、「いつもそんな静かな感じで怒鳴ることなんてあるの?」という質問を記者がしていました。「もちろんだよ。ロッカールームでは大きな声で人に言えないようなことをやってるよ。」昨年のデ杯決勝でスペインに負けたとき、ナルバンディアンと大げんかをやったのはロッカールーム。感情をあまりむき出しにしないデルポのように見えますが、子供時代は結構感情が激しかったときいています。フェデラーと同じように、訓練で押さえる訓練をしてきたのでしょうね。
母国アルジェンチンに帰ってインターヴュー攻めにあってますが、彼のゴールがこの3日間でどんどん上がってきたのが面白いですね。きっと何度も同じ質問をされ、「君はヒーローだ」といわれて、デルポ自身もあまり謙遜できなくなってきたのか、自信が湧き出てきたのか。
優勝時のデルポのゴール:
「できればトップ4の仲間入りをしたい。でも今の自分はまだ彼らのレベルではない。」
アルジェンチンに帰国してからのデルポのゴール:
「僕の夢だったUS Openのタイトルを取ったから、これからの夢はNo.1になること。でもこれはいつ実現できるか分からないけれど。」
5位のデルポの急進化で危なくなってきたのは4位のジョコヴィッチです。
今回の優勝によって、デルポは正式にロンドンのマスターズカップに招待されることになりました。昨年はジョコヴィッチが優勝して1300ポイントも取得していますので、タイトルを保持しなければポイントを失ってしまいます。一方デルポが活躍すればランキングが逆転する可能性は十分あります。
3位に落ちたマレーも油断できません。チリッチに一方的に負けてしまったマレーに対して、イギリスは「おいおい大丈夫かい?」といった疑問を抱くトーンが多くなっていますが、ランキング上げていくプレッシャーより、下げられないプレッシャーの方が大変。あの試合の後遺症が長引かなければよいのですが。
さてここで、マレーとデルポの喧嘩はあまりにも有名ですので、知らない方のためにここでご紹介したいと思います。昨年のローママスターズの時です。
ことの発端は、デルポがマレーの体に向けて打ったショットに気分を害したマレーが、チェンジオーヴァーのときに、デルポに謝れと食ってかかりました。それを受けてデルポは、You and your mother are always the same.と反論したのです。
これはどういうことかと言いますと、マレーのお母さんはコーチでもあり、客席からいつもワーワーと大声で応援するので有名です。この時もうるさかったのでイライラしていたのか、君もお母さんに似てうるさいね、と言いたかったのだと思います。
この言葉に逆上したマレーは、「僕を侮辱するのはいいが、母を侮辱するのは許せない」と食ってかかった一抹が以下のビデオです。
これは二人ともいけません。まずマレーは、ボディーショットは正当なショットの一つで違反しておりませんので、デルポに謝罪は強要できません。
またデルポはマレーの母親を持ち出して反論するのはルール違反です。
以下が彼らの口論のビデオです。
もしデルポが母親のことをうるさいと思うのなら、フェデラーのように直接文句を言うべきです。以下はフェデラーがジョコヴィッチの両親に黙れBe quiet!と怒鳴った一シーンです。
まだまだいろいろデルポの話(ガールフレンドとかヘアスタイルとか)はありますが、またの機会にしましょう。これから彼がどのように成長していくのか楽しみですね。
(訂正)最初のデルポのビデオは17歳までなのか18歳までなのかがはっきりしませんので、18歳までのビデオと書き直しました。
(追記)自称Juan Martin Del Potroという人物がTwittterで私をフォローし始めました。一体彼は何者なのか? 今のところ自称デルポと名乗るTwitterは二つありすが、多分どちらもファンだと思いますが、面白いので私も彼らをフォローすることにしました。でも全部スペイン語。途中でスペイン語の学校を辞めないでしっかり続けておくべきだったと後悔。
投稿者 Tennisnakama 22:51 | コメント(0)| トラックバック(0)
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