2009年10月14日
デルポトロ奇跡の4連勝
(上海マスターズが始まっていますね。私は時差との過酷な闘いでかなり疲れ切っておりますが、頑張っております。)
後数時間でデルポトロvsメルツァーの試合が始まります。
デルポが楽天オープンで初戦敗退をしてしまい、世界をアッと驚かせてから一週間が経ちました。
上海の記者会見で「ツアーで4連勝するのと、GSで優勝するのとどちらがむずかしいですか?」という質問に、逆に「どう思う?」とデルポは記者に質問しました。その記者はしばらく考えて「GSかなあ」デルポはすかさず「その通り!」
その大変むずかしい4連勝を昨年に達成。さらにむずかしいGSのタイトルを先月に達成してしまったデルポは、有明でのつまずきはあっても(これは体調を崩していたのですから仕方がなかったと思います)、上海での有力な優勝候補。そのデルポをシリーズで徹底して追求していきたいと思います。
今回はデルポの画期的事件、2008年のブレークスルーとなった『デルポトロ奇跡の4連勝』です。
デルポトロを6歳のときからコーチをしてきたマヌエル・ゴメスはひどい喫煙家でした。ある日見かねたデルポトロは彼に「タバコをやめたら」と注意すると、「お前が優勝したらやめるよ」元コーチゴメスはうそぶきながらタバコをふかし続けるのでした。 昨年7月。デルポが19歳のときです。昨年の3月からデルポはゴメスからフランコ・ダビン Franco Davin にコーチを変えていますが、二人の友情は今でも変わりはありません。
昨年2008年はデルポにとって劇的な年となりました。
今まで怪我の多かったデルポに、致命的な故障が起こったのが1月のオーストラリアン・オープンです。腰に激痛が走ったのです。オーストラリアン・オープン2回戦、フェレールが対戦相手でした。腰の故障でリタイアせざるをえなかったデルポは、2ヶ月半のブランクを強いられます。16歳でプロになり転戦を続けてきたデルポは、すでに190cmを超していましたが、まだひ弱な青年という印象が強く、いろんな故障が多かったことは事実です。
どの試合だったか忘れましたが、ほとんど観客のいなくなった深夜の試合で、余りの痛さに2mもある大きな体を震わせて号泣していたデルポの姿を思い出します。タンカーがくるまで泣きじゃくるデルポは、まるで子供が泣きじゃくるように痛々しく、あまりにも体格から受ける印象とは違っていたので、私の脳裏には泣き顔のデルポがいつまでも焼き付いているのです。
ジュニア時代
デルポの最初の栄冠は14歳のときのオレンジボールの優勝でした。そのときにチリッチを破っています。それまでは南アメリカを中心にジュニアの大会で勝ち続けてきたデルポは、15歳で初めてグランドスラム、US Openジュニア戦に挑戦することになりました。しかし体格は190cmを超す巨人でも、テクニックはまだまだ未熟。初戦で0-6, 1-6の完敗。対戦相手は優勝したアンディー・マリーでした。
翌年2005年の全仏オープンジュニアでもデルポはQFでマリーに4-6, 2-6で敗れています。結局この試合を最後に、デルポはジュニアはやめ、本格的にプロ活動に入りますが、プロになっても1歳上のマリーには勝てず、今までの対戦成績は1勝3敗。今年のマドリッドでデルポは1勝しただけで、マリーアレルギーがまだ続いているようです。(デルポとマリーの試合中の口論は以前、記事でも紹介しましたが、二人の間にテンションがあることはよく知られています。)
では昨年までのプロ活動を簡単に紹介したいと思います。
2005年(16歳~17歳)150番台
全仏オープンジュニアでマリーに負けて以来、ジュニアとフューチャーズをやめて本格的にチャレンジャーに挑戦することになったデルポは、最初のイタリアのレジオ・エミリア大会で準決勝まで進出。これに自信をえたデルポはチャレンジャーで快進撃を続け、ランキングも400番台から一気に150番台に駆け上りました。
2006年(17歳~18歳)90番台
4月メキシコのAguascalientesのチャレンジャーで初めて優勝。5月に初めてのグランドスラム、全仏オープンの本戦入りを果たしましたが、初戦でフェレロ(当時27位)に敗れています。しかしチャレンジャーレベルのトーナメントで好成績をあげて、シーズン末には90番台までアップ。
2007年(18歳~19歳)40番台
1月のオーストラリアのアデレイル大会で準決勝まで進んだデルポは、オーストラリアン・オープンでも好成績が期待されましたが、2回戦のゴンザレス(当時9位)との対戦で5セットまでいきながら、残念ながらリタイア。しかしデルポにとってトップ選手とフルセットで戦うことができたことは大きな自信となりました。
10月のストックフォルムでも初戦で(ベルディッチ対戦)デルポはリタイア。錦織選手もこの年齢の頃はよくリタイアがありました。「20歳くらいまではまだ体が出来上がらず、選手はよく怪我や故障にあう」という圭君担当のIMGのトレーナーの言葉を思い出します。
2008年(19歳~20歳)8位
オーストラリアン・オープンの2回戦、フェレール(当時5位)と対戦中、腰に激痛を覚えたデルポはリタイア。この故障で2ヶ月半の休養を強いられたデルポは、ランキングも60番台に下落。いつも故障に悩まされたデルポはここで大きな決断を迫られることになります。
幼少時代から育ててもらった故郷のタンディルのコーチゴメスのもとでテニスを続けていくのかどうか?
デルポにはUS Openで優勝するという大きな夢があります。怪我が多くてランキングも下がっていくデルポには、国際試合の経験豊かなチームの再編成が必要であることは誰の目にも明らかなことでした。3月に新チーム結成を決断。デルポは、新コーチとして元アルジェンチンデ杯のキャプテンのフランコ・ダビンを迎えることになりました。
しかしコーチを変えたからといって、すぐには結果は出てきません。トレーナーも変え、筋トレと体力の増強のトレーニングを重ねるデルポに、効果が現れはじめたのが7月のシュツットガルト大会でした。まだ腰の故障の危険性があるデルポには、ハードコートを選ばず、体にやさしいクレーのサーフェスを選んだことも勝利の大きな一因でした。デルポは決勝で15位だったガスケを破って、ついに初優勝を遂げたのです。
デルポは余りの嬉しさに、副賞のベンツを妹にプレゼントしてしまいました。「妹の誕生日だったしね。でもその夜考えたらしまったと思ったけど、でも自分はツアーで使えないのだし。」と妹思いのお兄ちゃんぶりを見せたデルポは、翌週もなんとまたオーストリアのKitzbuhelで優勝。
「2週間続けて優勝するなんて今だに信じられないよ。しかもクレーでね。」デルポが得意とするのはハードです。
一時81位まで落ちてしまったデルポは、2度の優勝で一気に24位までジャンプ。8月にアメリカに渡ったデルポは、ロス大会の決勝でフィッシュ、ロディックを破り優勝。ワシントンではハース、トロイッキを破り4連続優勝するという歴史的偉業を遂げてしまったのでした。
まさか4タイトルを1ヶ月間で! 誰がデルポのこの快挙を想像したでしょう。元コーチのゴメスもきっと喜んで禁煙の約束を果たしてくれたと思います。
このワシントン大会の直後、私はデルポと圭君のUS OpenのR16を観戦する機会に恵まれました。圭君はフェレールとの5セットの激闘で疲れ果ててしまって、ストレートでデルポに敗れてしまいましたが、あのときのデルポの安定したパワフルなショットと19歳には見えない成熟したメンタルに感動を覚えたのでした。
「この選手はきっと将来No.1になる」という直感が走ったのです。しかしまさかこの選手が翌年US Openに優勝してしまうとは!
次号は彼の育ってきた環境、エピソードについて語ってみたいと思います。
(感謝の辞)
デルポトロの資料は英語ではほとんど得られず手こずっておりましたところ、Hammer_K (Twitterのニックネーム) さんから、どっさりとスペイン語の記事の資料をいただきました。しかも何ページにもわたるスペイン語の記事を翻訳機で英語に訳し、それを和訳するという面倒な作業をして日本語でいただいたのです。これは普通の英語とは違って本当に大変な作業なのです。ときどき翻訳機でなされた英訳がトンチンカンで何を言っているのかわからないときがあります。このときは、直接スペイン語の辞書で調べるようにしていますが、さぞかしHammer_Kさんも大変な労力を費やされたことと思います。
ご自分の立派なブログがありながら、私に大量の資料をくださったHammer_Kさんに深くお礼をいいます。彼女のブログ名は『隠れ家ブログ』http://kakure-g.269g.net/ ここではハマーさんの名がついています。気の利いたイラストがあってとても楽しいブログです。
ちなみに彼女のTwitterは侍のアイコンでセンスのよさがうかがわれます。 http://twitter.com/Hammer_k/
参考資料
http://www.elargentino.com/nota-15547-A-un-paso-de-la-gloria.html
http://www.minutouno.com/1/hoy/article/90880
http://www.conexionbrando.com/nota.asp?nota_id=1148394
(追記)
デルポトロが右手首の怪我でリタイアしてしまいました。練習で怪我をしてしまったのでしょうか? というわけでデルポが出場しなくなりましたので、残念ながらこのシリーズは中断です。また彼が活躍し始めたら再開することにします。
それにしても怪我が続出しています。ハースは右肩。ロディックは左膝。フェデラーやマリーはすでに欠場。シーズンの後半がハードコートで体が酷使される選手たちがかわいそう。
後数時間でデルポトロvsメルツァーの試合が始まります。
デルポが楽天オープンで初戦敗退をしてしまい、世界をアッと驚かせてから一週間が経ちました。
上海の記者会見で「ツアーで4連勝するのと、GSで優勝するのとどちらがむずかしいですか?」という質問に、逆に「どう思う?」とデルポは記者に質問しました。その記者はしばらく考えて「GSかなあ」デルポはすかさず「その通り!」
その大変むずかしい4連勝を昨年に達成。さらにむずかしいGSのタイトルを先月に達成してしまったデルポは、有明でのつまずきはあっても(これは体調を崩していたのですから仕方がなかったと思います)、上海での有力な優勝候補。そのデルポをシリーズで徹底して追求していきたいと思います。
今回はデルポの画期的事件、2008年のブレークスルーとなった『デルポトロ奇跡の4連勝』です。
デルポトロを6歳のときからコーチをしてきたマヌエル・ゴメスはひどい喫煙家でした。ある日見かねたデルポトロは彼に「タバコをやめたら」と注意すると、「お前が優勝したらやめるよ」元コーチゴメスはうそぶきながらタバコをふかし続けるのでした。 昨年7月。デルポが19歳のときです。昨年の3月からデルポはゴメスからフランコ・ダビン Franco Davin にコーチを変えていますが、二人の友情は今でも変わりはありません。
昨年2008年はデルポにとって劇的な年となりました。
今まで怪我の多かったデルポに、致命的な故障が起こったのが1月のオーストラリアン・オープンです。腰に激痛が走ったのです。オーストラリアン・オープン2回戦、フェレールが対戦相手でした。腰の故障でリタイアせざるをえなかったデルポは、2ヶ月半のブランクを強いられます。16歳でプロになり転戦を続けてきたデルポは、すでに190cmを超していましたが、まだひ弱な青年という印象が強く、いろんな故障が多かったことは事実です。
どの試合だったか忘れましたが、ほとんど観客のいなくなった深夜の試合で、余りの痛さに2mもある大きな体を震わせて号泣していたデルポの姿を思い出します。タンカーがくるまで泣きじゃくるデルポは、まるで子供が泣きじゃくるように痛々しく、あまりにも体格から受ける印象とは違っていたので、私の脳裏には泣き顔のデルポがいつまでも焼き付いているのです。
ジュニア時代
デルポの最初の栄冠は14歳のときのオレンジボールの優勝でした。そのときにチリッチを破っています。それまでは南アメリカを中心にジュニアの大会で勝ち続けてきたデルポは、15歳で初めてグランドスラム、US Openジュニア戦に挑戦することになりました。しかし体格は190cmを超す巨人でも、テクニックはまだまだ未熟。初戦で0-6, 1-6の完敗。対戦相手は優勝したアンディー・マリーでした。
翌年2005年の全仏オープンジュニアでもデルポはQFでマリーに4-6, 2-6で敗れています。結局この試合を最後に、デルポはジュニアはやめ、本格的にプロ活動に入りますが、プロになっても1歳上のマリーには勝てず、今までの対戦成績は1勝3敗。今年のマドリッドでデルポは1勝しただけで、マリーアレルギーがまだ続いているようです。(デルポとマリーの試合中の口論は以前、記事でも紹介しましたが、二人の間にテンションがあることはよく知られています。)
では昨年までのプロ活動を簡単に紹介したいと思います。
2005年(16歳~17歳)150番台
全仏オープンジュニアでマリーに負けて以来、ジュニアとフューチャーズをやめて本格的にチャレンジャーに挑戦することになったデルポは、最初のイタリアのレジオ・エミリア大会で準決勝まで進出。これに自信をえたデルポはチャレンジャーで快進撃を続け、ランキングも400番台から一気に150番台に駆け上りました。
2006年(17歳~18歳)90番台
4月メキシコのAguascalientesのチャレンジャーで初めて優勝。5月に初めてのグランドスラム、全仏オープンの本戦入りを果たしましたが、初戦でフェレロ(当時27位)に敗れています。しかしチャレンジャーレベルのトーナメントで好成績をあげて、シーズン末には90番台までアップ。
2007年(18歳~19歳)40番台
1月のオーストラリアのアデレイル大会で準決勝まで進んだデルポは、オーストラリアン・オープンでも好成績が期待されましたが、2回戦のゴンザレス(当時9位)との対戦で5セットまでいきながら、残念ながらリタイア。しかしデルポにとってトップ選手とフルセットで戦うことができたことは大きな自信となりました。
10月のストックフォルムでも初戦で(ベルディッチ対戦)デルポはリタイア。錦織選手もこの年齢の頃はよくリタイアがありました。「20歳くらいまではまだ体が出来上がらず、選手はよく怪我や故障にあう」という圭君担当のIMGのトレーナーの言葉を思い出します。
2008年(19歳~20歳)8位
オーストラリアン・オープンの2回戦、フェレール(当時5位)と対戦中、腰に激痛を覚えたデルポはリタイア。この故障で2ヶ月半の休養を強いられたデルポは、ランキングも60番台に下落。いつも故障に悩まされたデルポはここで大きな決断を迫られることになります。
幼少時代から育ててもらった故郷のタンディルのコーチゴメスのもとでテニスを続けていくのかどうか?
デルポにはUS Openで優勝するという大きな夢があります。怪我が多くてランキングも下がっていくデルポには、国際試合の経験豊かなチームの再編成が必要であることは誰の目にも明らかなことでした。3月に新チーム結成を決断。デルポは、新コーチとして元アルジェンチンデ杯のキャプテンのフランコ・ダビンを迎えることになりました。
しかしコーチを変えたからといって、すぐには結果は出てきません。トレーナーも変え、筋トレと体力の増強のトレーニングを重ねるデルポに、効果が現れはじめたのが7月のシュツットガルト大会でした。まだ腰の故障の危険性があるデルポには、ハードコートを選ばず、体にやさしいクレーのサーフェスを選んだことも勝利の大きな一因でした。デルポは決勝で15位だったガスケを破って、ついに初優勝を遂げたのです。
デルポは余りの嬉しさに、副賞のベンツを妹にプレゼントしてしまいました。「妹の誕生日だったしね。でもその夜考えたらしまったと思ったけど、でも自分はツアーで使えないのだし。」と妹思いのお兄ちゃんぶりを見せたデルポは、翌週もなんとまたオーストリアのKitzbuhelで優勝。
「2週間続けて優勝するなんて今だに信じられないよ。しかもクレーでね。」デルポが得意とするのはハードです。
一時81位まで落ちてしまったデルポは、2度の優勝で一気に24位までジャンプ。8月にアメリカに渡ったデルポは、ロス大会の決勝でフィッシュ、ロディックを破り優勝。ワシントンではハース、トロイッキを破り4連続優勝するという歴史的偉業を遂げてしまったのでした。
まさか4タイトルを1ヶ月間で! 誰がデルポのこの快挙を想像したでしょう。元コーチのゴメスもきっと喜んで禁煙の約束を果たしてくれたと思います。
このワシントン大会の直後、私はデルポと圭君のUS OpenのR16を観戦する機会に恵まれました。圭君はフェレールとの5セットの激闘で疲れ果ててしまって、ストレートでデルポに敗れてしまいましたが、あのときのデルポの安定したパワフルなショットと19歳には見えない成熟したメンタルに感動を覚えたのでした。
「この選手はきっと将来No.1になる」という直感が走ったのです。しかしまさかこの選手が翌年US Openに優勝してしまうとは!
デルポトロ vs 錦織 US Open 2008
次号は彼の育ってきた環境、エピソードについて語ってみたいと思います。
(感謝の辞)
デルポトロの資料は英語ではほとんど得られず手こずっておりましたところ、Hammer_K (Twitterのニックネーム) さんから、どっさりとスペイン語の記事の資料をいただきました。しかも何ページにもわたるスペイン語の記事を翻訳機で英語に訳し、それを和訳するという面倒な作業をして日本語でいただいたのです。これは普通の英語とは違って本当に大変な作業なのです。ときどき翻訳機でなされた英訳がトンチンカンで何を言っているのかわからないときがあります。このときは、直接スペイン語の辞書で調べるようにしていますが、さぞかしHammer_Kさんも大変な労力を費やされたことと思います。
ご自分の立派なブログがありながら、私に大量の資料をくださったHammer_Kさんに深くお礼をいいます。彼女のブログ名は『隠れ家ブログ』http://kakure-g.269g.net/ ここではハマーさんの名がついています。気の利いたイラストがあってとても楽しいブログです。
ちなみに彼女のTwitterは侍のアイコンでセンスのよさがうかがわれます。 http://twitter.com/Hammer_k/
参考資料
http://www.elargentino.com/nota-15547-A-un-paso-de-la-gloria.html
http://www.minutouno.com/1/hoy/article/90880
http://www.conexionbrando.com/nota.asp?nota_id=1148394
(追記)
デルポトロが右手首の怪我でリタイアしてしまいました。練習で怪我をしてしまったのでしょうか? というわけでデルポが出場しなくなりましたので、残念ながらこのシリーズは中断です。また彼が活躍し始めたら再開することにします。
それにしても怪我が続出しています。ハースは右肩。ロディックは左膝。フェデラーやマリーはすでに欠場。シーズンの後半がハードコートで体が酷使される選手たちがかわいそう。
投稿者 Tennisnakama 09:40 | コメント(0)| トラックバック(0)
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