2009年01月30日
感動のドラマに涙
ナダルとべルダスコの試合は5時間以上の激闘の結果、ナダルが勝ちましたね。人間の限界に挑戦するかのごとく、想像を絶するbrutalな試合でした。
Nadal def Verdasco 6-7, 6-4, 7-6, 6-7, 6-4
ベルダスコは3回目のダブルフォルトで5セットの末負けてしました。ナダルは勝った瞬間、ネットを飛び超えてベルダスコに駆け寄りハグしました。何かごめんねといったような感じの申し訳ない勝ち方に、ナダルの心のやさしさが伝わってきます。ナダルはべルダスコの退場に拍手を送りました!
このようなドラマが観れたことは本当にテニスを愛していてよかったと涙です。
この二人の最後まで戦いぬく魂にどれだけ多くの人が感動し、力をもらったことでしょう。
私も彼らから元気をもらいました。2日間一睡もしていないので、しばらく休憩しますが、このエントリーに感想を後ほど書きたいと思っています。
いよいよナダルとフェデラーの世紀の戦いの幕が切られようとしています。スポーツは残酷ですね。どちらかが勝ち、どちらかが負けなくてはならないのですから。再び感動のドラマが観れることは嬉しいのですが、また5セットになってしまったら私の心臓が持ちません。
Nadal def Verdasco 6-7, 6-4, 7-6, 6-7, 6-4
ベルダスコは3回目のダブルフォルトで5セットの末負けてしました。ナダルは勝った瞬間、ネットを飛び超えてベルダスコに駆け寄りハグしました。何かごめんねといったような感じの申し訳ない勝ち方に、ナダルの心のやさしさが伝わってきます。ナダルはべルダスコの退場に拍手を送りました!
このようなドラマが観れたことは本当にテニスを愛していてよかったと涙です。
この二人の最後まで戦いぬく魂にどれだけ多くの人が感動し、力をもらったことでしょう。
私も彼らから元気をもらいました。2日間一睡もしていないので、しばらく休憩しますが、このエントリーに感想を後ほど書きたいと思っています。
いよいよナダルとフェデラーの世紀の戦いの幕が切られようとしています。スポーツは残酷ですね。どちらかが勝ち、どちらかが負けなくてはならないのですから。再び感動のドラマが観れることは嬉しいのですが、また5セットになってしまったら私の心臓が持ちません。
2009年01月30日
自作自演説のミステリー
本当に多くの方々からの心暖まる励ましのコメントをいただいて、感激しています。が、少々疲れてきております。
皆さんがフェデラーvsロディック戦やナダルvsべルダスコ戦についての記事を楽しみされているのに、このエントリーのタイトルをみて一体どういうことなのか訳が分からず戸惑っていらっしゃるのではないでしょうか。 実はフェデラー戦はESPNとテニスチャンネルで2度も観戦して、メモもしっかりととりましたが、どうしても記事を書く気になれないのです。すみませんが今回はミステリーの話をさせてください。
昨日のコメントに「通りすがり」さん(「とおりすがり」さんではありません)のコメントを不思議に思われた方も多いと思います。以下がそのコメントです。
「自演はやめましょうよ。みんなもう分かってることなのですから、みっともないだけですよ。」
この意味がお分かりですか? 最初私は、訳がよくわからなかったのですが、過去にも「自作自演はやめろ」といったコメントが残されていたのを思い出したのです。
そして今日、スポーツナビの『男子テニスがキター』のブログを読んで謎が解けてきました。
このブログはとてもすばらしく毎日読むのを楽しみにしていたのですが、突然ブログを閉鎖されてしまいました。その理由が長文にわたって書かれていますが、どうも理由が釈然としません。それはある特定の管理人が「自作自演」をしていると決めつけた内容で、その行為を批判するためにブログを閉鎖すると言った内容でした。以下がその管理人に向けての文章の一部です。
「読者の皆さんを、決して自分より愚かな人間だと思わないでください。
あなたより見識を持っている読者がいるのは、自作自演をしなければならなかったあなたが誰よりも知っている筈です。
この記事を読むまでもなく、知っている人はすでに知っているのです。
自作自演をやめれば、あなたが考えを改めたと思って、よりあなたの記事を真剣に読んでくれる人も増えると思います。」
これだけ読まれても分からないと思いますが、ここで使われている「自作自演」と、私のブログに再三現れる「自作自演」とどうも無関係ではないような気がします。
『男子テニスがキター』の記事によると、「自作自演」とは、コメントをいろいろ工作するために別名で投稿し、自分の有利になるようにコメントを操作しているというもので、一体どういう根拠からそういう発想がでるのか分かりませんが、極度の睡眠不足に陥っている私としては、そんなことなど想像もつかない世界です。
また、< 読者の皆さんを、決して自分より愚かな人間だと思わないでください>のところでひっかかるものがあります。
ジョコの件で、私は日本と世界との平和観にズレがあるとコメントしたことがあります。それは戦争のない平和な日本と、絶えず国境で紛争が起きている多くの国々との間では、平和観の違いがあって当然で、ズレというのはバカにした言葉ではなく、違うという意味で書きました。
このブログの作者が、誰のことを批判しているのか分かりませんが、テニスのブログであり、最近議論が沸騰しているブログといえば、それはtennisnakamaではないかと憶測されても仕方がない書き方です。「自作自演をするな!」という激しい批判には、証拠を出して、名指しで堂々と批判をしてほしかったと思います。それでないと根拠のないただ悪質なゴシップになってしまい、その余波で私のように被害を被る人達がでてきます。
「自演はやめましょうよ。みんなもう分かってることなのですから、みっともないだけですよ。」これは便乗して面白がった悪質なコメントです。
しかしこのような悪質デマは放っておくことはできません。真相追求のためいろいろ調べてみました。
スポーツナビのコメント管理は「削除」か「非公開」の機能しかなく、誰がコメントを書いているのか分かりません。しかしtennis365ではすべてのコメント者のIPナンバーが分かりますので、同じ人間が別名で投稿してきたとしても、すべてこちらのほうでその情報が手に入ります。この機能はまさにブロガーにとっては絶対に必要な機能で、さすが tennis365です。
最初に「自作自演」の言葉を発見したのは、1月26日の『ジョコヴィッチはルーザーだ・・・』の記事のコメントです。しかも投稿者名が「自作自演をするな!」となっています。
http://newyork.blog.tennis365.net/archives/article/159239.html
「聞き捨てならないコメントを目にしたので発言させていただきます。
日本は島国であるために独特の平和観があるのでズレがあるというのは、本当に無知な日本人の発言です。・・・」
これは「自作自演をするな!」さんのコメントです。
しかし調べて分かったことですが、この「自作自演をするな!」さんは実は「通りすがり」さんと同一人物だったのです。
「通りすがり」さんは『民族の対立の暴力事件に思う』に3つコメントを残されています。いずれも管理人の意見に反対のコメントです。
http://newyork.blog.tennis365.net/archives/article/158860.html
皮肉なことに、この自作自演説で、コメント者が別名で操作する人たちがいることもわかりました。この問題は由々しき問題なので、さらに追求していきたいと思います。
(追記)
念のためにこの今日の「通りすがり」さんのIPを調べてみることにしました。実はスポーツナビではいろんな「通りすがり」さんが登場しましたので。
しかしこの通りすがりさんのIPと「通りすがり/自作自演をやめろ!」さんのIPとは番号が一致しません。一体どうなってるの?どうしてそういうややこしいことになるのか、真面目にブログに取り組んでいるtennisnakamaは、もう頭がクラクラどころかガンガンと頭痛がしてきました。
皆さんがフェデラーvsロディック戦やナダルvsべルダスコ戦についての記事を楽しみされているのに、このエントリーのタイトルをみて一体どういうことなのか訳が分からず戸惑っていらっしゃるのではないでしょうか。 実はフェデラー戦はESPNとテニスチャンネルで2度も観戦して、メモもしっかりととりましたが、どうしても記事を書く気になれないのです。すみませんが今回はミステリーの話をさせてください。
昨日のコメントに「通りすがり」さん(「とおりすがり」さんではありません)のコメントを不思議に思われた方も多いと思います。以下がそのコメントです。
「自演はやめましょうよ。みんなもう分かってることなのですから、みっともないだけですよ。」
この意味がお分かりですか? 最初私は、訳がよくわからなかったのですが、過去にも「自作自演はやめろ」といったコメントが残されていたのを思い出したのです。
そして今日、スポーツナビの『男子テニスがキター』のブログを読んで謎が解けてきました。
このブログはとてもすばらしく毎日読むのを楽しみにしていたのですが、突然ブログを閉鎖されてしまいました。その理由が長文にわたって書かれていますが、どうも理由が釈然としません。それはある特定の管理人が「自作自演」をしていると決めつけた内容で、その行為を批判するためにブログを閉鎖すると言った内容でした。以下がその管理人に向けての文章の一部です。
「読者の皆さんを、決して自分より愚かな人間だと思わないでください。
あなたより見識を持っている読者がいるのは、自作自演をしなければならなかったあなたが誰よりも知っている筈です。
この記事を読むまでもなく、知っている人はすでに知っているのです。
自作自演をやめれば、あなたが考えを改めたと思って、よりあなたの記事を真剣に読んでくれる人も増えると思います。」
これだけ読まれても分からないと思いますが、ここで使われている「自作自演」と、私のブログに再三現れる「自作自演」とどうも無関係ではないような気がします。
『男子テニスがキター』の記事によると、「自作自演」とは、コメントをいろいろ工作するために別名で投稿し、自分の有利になるようにコメントを操作しているというもので、一体どういう根拠からそういう発想がでるのか分かりませんが、極度の睡眠不足に陥っている私としては、そんなことなど想像もつかない世界です。
また、< 読者の皆さんを、決して自分より愚かな人間だと思わないでください>のところでひっかかるものがあります。
ジョコの件で、私は日本と世界との平和観にズレがあるとコメントしたことがあります。それは戦争のない平和な日本と、絶えず国境で紛争が起きている多くの国々との間では、平和観の違いがあって当然で、ズレというのはバカにした言葉ではなく、違うという意味で書きました。
このブログの作者が、誰のことを批判しているのか分かりませんが、テニスのブログであり、最近議論が沸騰しているブログといえば、それはtennisnakamaではないかと憶測されても仕方がない書き方です。「自作自演をするな!」という激しい批判には、証拠を出して、名指しで堂々と批判をしてほしかったと思います。それでないと根拠のないただ悪質なゴシップになってしまい、その余波で私のように被害を被る人達がでてきます。
「自演はやめましょうよ。みんなもう分かってることなのですから、みっともないだけですよ。」これは便乗して面白がった悪質なコメントです。
しかしこのような悪質デマは放っておくことはできません。真相追求のためいろいろ調べてみました。
スポーツナビのコメント管理は「削除」か「非公開」の機能しかなく、誰がコメントを書いているのか分かりません。しかしtennis365ではすべてのコメント者のIPナンバーが分かりますので、同じ人間が別名で投稿してきたとしても、すべてこちらのほうでその情報が手に入ります。この機能はまさにブロガーにとっては絶対に必要な機能で、さすが tennis365です。
最初に「自作自演」の言葉を発見したのは、1月26日の『ジョコヴィッチはルーザーだ・・・』の記事のコメントです。しかも投稿者名が「自作自演をするな!」となっています。
http://newyork.blog.tennis365.net/archives/article/159239.html
「聞き捨てならないコメントを目にしたので発言させていただきます。
日本は島国であるために独特の平和観があるのでズレがあるというのは、本当に無知な日本人の発言です。・・・」
これは「自作自演をするな!」さんのコメントです。
しかし調べて分かったことですが、この「自作自演をするな!」さんは実は「通りすがり」さんと同一人物だったのです。
「通りすがり」さんは『民族の対立の暴力事件に思う』に3つコメントを残されています。いずれも管理人の意見に反対のコメントです。
http://newyork.blog.tennis365.net/archives/article/158860.html
皮肉なことに、この自作自演説で、コメント者が別名で操作する人たちがいることもわかりました。この問題は由々しき問題なので、さらに追求していきたいと思います。
(追記)
念のためにこの今日の「通りすがり」さんのIPを調べてみることにしました。実はスポーツナビではいろんな「通りすがり」さんが登場しましたので。
しかしこの通りすがりさんのIPと「通りすがり/自作自演をやめろ!」さんのIPとは番号が一致しません。一体どうなってるの?どうしてそういうややこしいことになるのか、真面目にブログに取り組んでいるtennisnakamaは、もう頭がクラクラどころかガンガンと頭痛がしてきました。
2009年01月30日
大人の会話を続けることの意味
最近ジョコヴィッチのことを書くとかならずブログが騒々しくなるので、本当はあまり触れたくないのですが、彼の言動は私の関心の深いテーマに関わることが多いので、誤解(ジョコバッシング)を受けるのを覚悟で書いてきました。
私のブログでは、話題になった事件については、日本では紹介されないことが多いために、世界のメディアの反応も知っていただきたいという願いから、記事にする場合があります。
ですから今回の『フェデラーが直言』では、彼が決してジョコ批判をしているのではなくて、ジョコが今までとってきた「リタイアとMTOの取り方に疑問あり」の世論の背景があることを理解していただきたくて書きました。あのジョコヴィッチの「暴力事件に対するコメントなし」の記事でかなり反撃を受けたあとだけに、この記事を書くと、tennisnakamaがジョコバッシングをしているととられても仕方がないという危険な記事であることは百も承知の上でした。
「tennisnakamaの評判の方が大切」なのか、「フェデラーの真意とメディアの記事の背景を伝える方が大切」なのか。私は迷わず後者を選びました。
私はテニスを心から愛しているものですから、限られた選手だけを応援する気持にはなれないのです。彼らのそれぞれにすばらしい才能、技術、精神を見いだしたときは宝物を発見したような嬉しい気持になります。しかし「違うんじゃないの?」と思ったことは正直に言える自分でありたいと思います。ファンだから、自分の応援する選手には盲目的になることは賛成しかねます。
私が嫌悪するのは、手段を選ばず「勝つためにはアンフェアなこともやる」行為です。残念ながらこのような行為は子供のレベル、大人のクラブ対抗戦レベル、プロのレベルでも見られます。2年ほど前まで、テニスクラブ同士が行うリーグ戦のチームのキャプテンをしていましたが、毎週試合に出てトラブルの多さに辟易してしまったのです。
「勝つためには手段を選ばず」はラインコールだけに及ばず、人種問題まで波及してきます。あるとき、私のパートナーの日本人の英語をバカして大笑いした相手チームがありました。パートナーの言った「アウト」が「アウトって何? 英語をしゃべってよ。」という訳です。いわゆるOut のtがうまく言えず「ト」と言ったため、今のコールは正当なコールではないと言い出す始末。それからは毎回彼女がOutという度に、「分からない」とバカにします。これはほんの一例です。
私は一本気な性分ですので、卑怯なやり方は見過ごすことはできず、大げんかになりました。あまりに腹が立つので、その後プロテストのアクションをおこしました。委員会の会議にかけ、この試合が不当な行為(わざと試合を妨害する)のもとで行われたとして、私たちの勝利となりましたが。このようなプロテストシステムが日本にあるのかどうか分かりませんが、これは民主的にトーナメントが運営される根本的なシステムだと思います。
4年ほどキャプテンをやっているうちに、汚いやり方で試合をする人間があまりにも多く、このままだとテニスが嫌いになりそうな危機感におそわれてチームを解散してしまいました。
ですからこのような経験のもとで、不正行為やルールの乱用(MTOメディカルタイムアウトやトイレットブレーク)には、許しがたい気持が人一倍強いのかもしれません。そういう背景があるものですから、特にMTOについては、自分の疲労回復のためのマッサージなどに使われるべきでないという意見は変わっておりません。
しかし、そのことを言う度に大変なコメントの攻撃に合います。「ルールを利用して何が悪い」という反対意見はウェルカムなのですが、どうも感情に走って関係のない個人攻撃が始まってしまうことがあります。
ジョコヴィッチの「なぜ記者会見で、ファンのおこした暴動事件についてNo violenceの一言がいえなかったか」という記事に対して、さまざまな意見をいただきました。私の記事はtennisnakama365とスポーツナビに掲載していますが、特にスポーツナビでの、攻撃は過激なものがあり、しばらく静観することにしました。そのときにイスラエルに住んでいらっしゃる読者の方から熱いコメントが入ってきました。彼(彼女)は戦争中という政治事情のまっただなかで、きっと私のNo violenceという主張に賛同せずにはおれなかったのだろうと思います。しかしそれ以降は私の手を離れてしまって、イスラエルの方との討論に発展し、事態は険悪になっていったのです。ここではとてもご紹介できないような罵倒と個人攻撃のコメントが寄せられてきたため(これらは削除しました)、収拾のつかない事態が予想されましたので、 tennisnakama365とスポーツナビで、とりあえずこの記事に関するコメントの締め切りを決断しました。
締め切りと言っているにも拘らず、コメントが寄せられましたが、その中に「お前は自作自演をしている」など訳の分からないコメントや「イスラエルに住んでいながら呑気にコメント書いてよいのか」など悪意に満ちた個人攻撃のコメントが寄せられました。真面目にコメントを残そうとされた方々には申し訳なかったのですが、あの時点でコメントを締め切らざるを得なかった状況をご理解していただければと願います。
自分と違った意見に出会うと感情に走り、理性的な会話ができない。悲しいことです。
私がブログを始めて一年になりますが、最初は「あなたはアメリカが好きな嫌らしい方ですね」とか「お前は非国民だ」とか罵られました。特に日本について書くとかならずバッシングに合います。これは錦織選手にも当てはまります。日本批判とニシコリ批判は一切できない風潮にあります。
US Openで圭君のトイレットブレークの取り方がおかしいと指摘した事がありました。(ウォームアップのあと、ショーツを履き替えに行ったり、帽子を忘れたので取りに行ったこと)私の意図は、US Openはジュニアのレベルではないのだから、そういったことは、汚い作戦のひとつと誤解されると、彼のことを思って書いた記事でした。しかし読者の猛反撃に合い「錦織選手の批判は許されぬ」の合唱でした。
そういった状況は、真に圭君のことを思った助言も受け付けつけない裸の王さまの世界があります。皮肉だったのは、このトイレットブレークの件について、松岡修造氏がAIG Openで圭君に注意したことです。その松岡氏の言葉に皆「そうですよね~」とあっさりOK。権威のある者には従うが一市民の声には耳を傾けない。あのときに私に猛反撃した彼らは、一体どこに行ってしまったのでしょうか?音沙汰なしの行方不明です。
私はコメントをいただく方々に心から感謝をしています。いそがしい毎日の中、記事を読みコメントを残すということは大変な時間とエネルギーを要します。本当にありがたい気持で一杯です。世界はいろんな意見があって当然ですし、それでないと皆一緒になってしまって気持悪い世界となってしまいます。
これからも「ちょっと変?」と疑問に思ったことはブログで書いていきたいと思っています。その私の意見に「その考えはおかしい。賛成できない。」と思われた方は遠慮なく意見を発表していただきたいと思います。しかし社会にはルールがあります。感情論に走らないルールにのっとった大人の会話が続けられればと願っております。
(追記)フェデラーvsロディック戦を見逃しましたので、のちほど録画をみてコメントしたいと思います。
私のブログでは、話題になった事件については、日本では紹介されないことが多いために、世界のメディアの反応も知っていただきたいという願いから、記事にする場合があります。
ですから今回の『フェデラーが直言』では、彼が決してジョコ批判をしているのではなくて、ジョコが今までとってきた「リタイアとMTOの取り方に疑問あり」の世論の背景があることを理解していただきたくて書きました。あのジョコヴィッチの「暴力事件に対するコメントなし」の記事でかなり反撃を受けたあとだけに、この記事を書くと、tennisnakamaがジョコバッシングをしているととられても仕方がないという危険な記事であることは百も承知の上でした。
「tennisnakamaの評判の方が大切」なのか、「フェデラーの真意とメディアの記事の背景を伝える方が大切」なのか。私は迷わず後者を選びました。
私はテニスを心から愛しているものですから、限られた選手だけを応援する気持にはなれないのです。彼らのそれぞれにすばらしい才能、技術、精神を見いだしたときは宝物を発見したような嬉しい気持になります。しかし「違うんじゃないの?」と思ったことは正直に言える自分でありたいと思います。ファンだから、自分の応援する選手には盲目的になることは賛成しかねます。
私が嫌悪するのは、手段を選ばず「勝つためにはアンフェアなこともやる」行為です。残念ながらこのような行為は子供のレベル、大人のクラブ対抗戦レベル、プロのレベルでも見られます。2年ほど前まで、テニスクラブ同士が行うリーグ戦のチームのキャプテンをしていましたが、毎週試合に出てトラブルの多さに辟易してしまったのです。
「勝つためには手段を選ばず」はラインコールだけに及ばず、人種問題まで波及してきます。あるとき、私のパートナーの日本人の英語をバカして大笑いした相手チームがありました。パートナーの言った「アウト」が「アウトって何? 英語をしゃべってよ。」という訳です。いわゆるOut のtがうまく言えず「ト」と言ったため、今のコールは正当なコールではないと言い出す始末。それからは毎回彼女がOutという度に、「分からない」とバカにします。これはほんの一例です。
私は一本気な性分ですので、卑怯なやり方は見過ごすことはできず、大げんかになりました。あまりに腹が立つので、その後プロテストのアクションをおこしました。委員会の会議にかけ、この試合が不当な行為(わざと試合を妨害する)のもとで行われたとして、私たちの勝利となりましたが。このようなプロテストシステムが日本にあるのかどうか分かりませんが、これは民主的にトーナメントが運営される根本的なシステムだと思います。
4年ほどキャプテンをやっているうちに、汚いやり方で試合をする人間があまりにも多く、このままだとテニスが嫌いになりそうな危機感におそわれてチームを解散してしまいました。
ですからこのような経験のもとで、不正行為やルールの乱用(MTOメディカルタイムアウトやトイレットブレーク)には、許しがたい気持が人一倍強いのかもしれません。そういう背景があるものですから、特にMTOについては、自分の疲労回復のためのマッサージなどに使われるべきでないという意見は変わっておりません。
しかし、そのことを言う度に大変なコメントの攻撃に合います。「ルールを利用して何が悪い」という反対意見はウェルカムなのですが、どうも感情に走って関係のない個人攻撃が始まってしまうことがあります。
ジョコヴィッチの「なぜ記者会見で、ファンのおこした暴動事件についてNo violenceの一言がいえなかったか」という記事に対して、さまざまな意見をいただきました。私の記事はtennisnakama365とスポーツナビに掲載していますが、特にスポーツナビでの、攻撃は過激なものがあり、しばらく静観することにしました。そのときにイスラエルに住んでいらっしゃる読者の方から熱いコメントが入ってきました。彼(彼女)は戦争中という政治事情のまっただなかで、きっと私のNo violenceという主張に賛同せずにはおれなかったのだろうと思います。しかしそれ以降は私の手を離れてしまって、イスラエルの方との討論に発展し、事態は険悪になっていったのです。ここではとてもご紹介できないような罵倒と個人攻撃のコメントが寄せられてきたため(これらは削除しました)、収拾のつかない事態が予想されましたので、 tennisnakama365とスポーツナビで、とりあえずこの記事に関するコメントの締め切りを決断しました。
締め切りと言っているにも拘らず、コメントが寄せられましたが、その中に「お前は自作自演をしている」など訳の分からないコメントや「イスラエルに住んでいながら呑気にコメント書いてよいのか」など悪意に満ちた個人攻撃のコメントが寄せられました。真面目にコメントを残そうとされた方々には申し訳なかったのですが、あの時点でコメントを締め切らざるを得なかった状況をご理解していただければと願います。
自分と違った意見に出会うと感情に走り、理性的な会話ができない。悲しいことです。
私がブログを始めて一年になりますが、最初は「あなたはアメリカが好きな嫌らしい方ですね」とか「お前は非国民だ」とか罵られました。特に日本について書くとかならずバッシングに合います。これは錦織選手にも当てはまります。日本批判とニシコリ批判は一切できない風潮にあります。
US Openで圭君のトイレットブレークの取り方がおかしいと指摘した事がありました。(ウォームアップのあと、ショーツを履き替えに行ったり、帽子を忘れたので取りに行ったこと)私の意図は、US Openはジュニアのレベルではないのだから、そういったことは、汚い作戦のひとつと誤解されると、彼のことを思って書いた記事でした。しかし読者の猛反撃に合い「錦織選手の批判は許されぬ」の合唱でした。
そういった状況は、真に圭君のことを思った助言も受け付けつけない裸の王さまの世界があります。皮肉だったのは、このトイレットブレークの件について、松岡修造氏がAIG Openで圭君に注意したことです。その松岡氏の言葉に皆「そうですよね~」とあっさりOK。権威のある者には従うが一市民の声には耳を傾けない。あのときに私に猛反撃した彼らは、一体どこに行ってしまったのでしょうか?音沙汰なしの行方不明です。
私はコメントをいただく方々に心から感謝をしています。いそがしい毎日の中、記事を読みコメントを残すということは大変な時間とエネルギーを要します。本当にありがたい気持で一杯です。世界はいろんな意見があって当然ですし、それでないと皆一緒になってしまって気持悪い世界となってしまいます。
これからも「ちょっと変?」と疑問に思ったことはブログで書いていきたいと思っています。その私の意見に「その考えはおかしい。賛成できない。」と思われた方は遠慮なく意見を発表していただきたいと思います。しかし社会にはルールがあります。感情論に走らないルールにのっとった大人の会話が続けられればと願っております。
(追記)フェデラーvsロディック戦を見逃しましたので、のちほど録画をみてコメントしたいと思います。